−11−

※各画像はクリックすると拡大します。
















 矢岳駅のホームに降りたときにまず思ったことは、「何だか涼しいな」ということ。それもそのはず、ホームの柱に取り付けられている温度計を見てみると、30度ちょっとしかありませんでした[①]。この日の人吉地方の最高気温は34.2度でしたが、それとは4度近い差があります。矢岳駅の標高は、肥薩線内で最も高い536.9mですから、その標高の高さによるところが大きいのでしょう。

 駅名標は、JR九州の様式のものとも、国鉄の様式のものともまた違うような、いかにも古そうなもの[②]。そして、屋根やそれを支える柱、そしてベンチは完全なる本物の”木”です[③] [④]。最近、鉄道の車両の内装で木を使うということが増えてきていますが(特にJR九州ですが)、鉄道の車両で使われるものは、難燃化の加工を施したもの。矢岳駅で使われている木は、余計な加工はしていない、生粋の”木”です。

 矢岳〜真幸間には、日本三大車窓の1つに数えられる絶景があります。それがこれ[⑤]。いさぶろう号・しんぺい号では、観光列車らしく、この場所で列車をいったん停車させ、乗客が車窓を楽しめるようにしてくれます。客室乗務員の人も言っていましたが・・・、ちょっと霞んでいて、期待していたほどの絶景とはなりませんでしたね。良い時は、桜島まで見えるそうです。

 11:07に到着するのは真幸駅ですが[⑥]、ここはスイッチバック構造の駅となっています。下り列車の場合は直接は進入できないので、いったん引き込み線に入ったうえで、進行方向を変えて入線します。この写真は引き込み線から真幸駅へ向かっているときに撮影したもので、写真に写っている線路は、駅を発車した後に通っていく本線です。

 そして真幸駅に到着[⑧]。この駅は、肥薩線における、宮崎県内唯一の駅です。この駅の特徴は、1911年の駅の開業時から変わらぬ姿を保つ駅舎があるということはもちろんですが、それ以上に特徴的なことは、ホーム上の鐘の存在でしょう[⑨]。「幸せの鐘」と称され、幸せの度合いに応じた回数を鳴らすのが良いとされています(混雑していたし、1人の旅の男が鳴らすのもどうかと思ったので、私は鳴らしませんでした)。

 真幸という駅は、山の中にあります。かつては駅の周辺に集落もありましたが、1972年に発生した土石流の災害などもあり、集落は移転・消滅、現在は、駅の周辺に建物や家はほとんどありません。駅の周辺は寂しく、また駅自体の利用客も極めて少ない(1日平均の乗車人員は1人)です。

 しかし、そんな真幸駅も、いさぶろう号・しんぺい号が到着するときは違います。列車に乗った観光客たちが鐘を鳴らすためにホームに降りてくるというだけでなく、地域のボランティアの人たちが駅へやってきて、乗客を出迎えたり、特産品を販売したりします。そして、列車が発車していくときは、手を振って見送ってくれるんです[⑪]。僅かな時間ではありますが、普段は静かな真幸駅に、ひとときの賑わいが宿ります。

 雨が降っているわけではないのに、なぜか窓に付着する水滴[⑫]。どうもトンネルを通過した後にだけ付きましたから、恐らく、トンネルの漏水を被ってしまったのではないかと思います。まあ、その程度によることは分かっていますが、トンネルの漏水は崩壊の前兆とも聞きますから、そうならないことを祈るばかりです。

 終点の吉松が近づく中、のんびりとした車内[⑬]。写真がこの視点から撮影されたことからも分かるように、今、私はカウンター席で立っています。乗車にあたって、あらかじめ指定席券を購入しておきましたが、結局、座席に座っていたのは10分もなかったような気がします(カウンター席の方が眺めが良いし、駅に着いたらいったん降りるから、立っている方が都合が良い)。何のための500円の指定席券だったんでしょうか(笑)

 ところで、いさぶろう号には一応自由席がありますから、指定席券がなくても乗ることはできます。もし指定席券を所持していない状態で、座席には座らないという条件のもとで指定席車両に立っていたら、それは行為としては許可されることなんでしょうかね?同じ普通車ですし(そもそも500円[510円]の指定席料金は着席を保証することに対する対価なはず)、繁忙期の満席の新幹線などではよく行われていますが・・・。もっとも、「自由席の旅客が指定席車両で立つのは、あまりに混雑が激しい場合など、やむを得ない場合のみ」とされているような気もしますけれども。

 人吉から1時間13分、11:21に、列車は終点の吉松に到着しました[⑭]。この3分後の11:24に、鹿児島中央行きの特急はやとの風1号が発車するので、いさぶろう号からそれに乗り継ぐという人もいました。

 それにしても、普通は趣味者にすら相手にされない(撮影されない)キハ40系も、こう見た目をいじくれば、とたんに趣味者、そして観光客の撮影対象になってしまうんですから、やはり車両の見た目というのは大事ですね。500系の人気ぶりを考えてもよく分かることですが。
























 吉松駅は鹿児島県にある駅で、肥薩線と吉都線が接続する路線です。11:21にいさぶろう1号がここ終点吉松に到着しましたが、それに接続する列車として、3分後の11:24発の鹿児島中央行きの特急はやとの風1号があります。いさぶろう号からはやとの風号という、観光(普通)列車から観光(特急)列車への乗り継ぎも可能です。さらに、鹿児島中央から指宿のたまて箱号に乗り継ぐというのも良いかもしれません。

 11:24に特急はやとの風1号は吉松を発車していきました[②]。・・・しかし、百歩譲って、デッキ付き片開き扉のキハ40形・キハ48形が種車なら許せなくもないように思いますが、デッキなし両開き扉のキハ47形が種車になっていて、それが特急列車として走るのはさすがにいただけませんね。特急が「特別急行」であったころを知る人が、今のJRの特急列車たちを見たらどう思うんでしょうか。

 ホームの屋根を支える骨組みには、古レールが使われているようでした[③]。調べてみたところでは、1936年製のレールが含まれている(使われている)とか。戦前生まれのものがこんなところに残存しているんです。

 肥薩線と吉都線が接続し、かつては吉松機関区もあった交通の要衝ではありますが、実際にはローカル線の田舎の駅というところ。跨線橋から外の様子を眺めてみても、駅の周辺に街が形成されているというほどではありませんし、ほど近くに山もあります[④] [⑤]

 改札口の脇には、いさぶろう号・しんぺい号・はやとの風号の乗車記念の撮影用のパネルがありました[⑥]。まあ、一人旅をする男には全然関係のないものですが・・・。家族連れの人たちには、こういうところで記念撮影をするのも、良い思い出の1つになるのでしょう。

 現在の駅舎は1968年に完成した、2階建ての鉄筋コンクリート造りの駅舎です[⑦]。肥薩線と吉都線のCTCセンターが併設されています。改札口前はこういう感じ[⑧]ですが、窓口の上に掲示されている運賃表の人吉方面は、実は真幸、矢岳、大畑の運賃を記していません。吉松の隣は人吉・720円となっています。また、人吉〜八代間にある各駅への運賃も記されておらず、人吉の隣は八代・1770円となっています。

 駅の脇に、「鉄道の資料館」なる小さな資料館があります[⑨]。入館は無料で、「鉄道のまち」である吉松の歴史を知ることができます。せっかく吉松まで来たんですから、ここに立ち寄っていきたいというところですが、今は時間があまりないのでそうしません。しかし、実は、今日はこの後もう1度吉松駅に戻ってくることになっています。資料館はそのときに見ることにしましょう。

 広場には、C55-52が保存されています[⑩]。以前は屋根がなかったようですが、現在は屋根の下に置かれています。せっかく車両を保存しても、雨ざらしにされていることで、状態が良くないという車両もあります。屋根による保護と有志の手入れによって、このC55も、末永く綺麗な状態を維持してほしいものです。

 さて、そろそろ次の列車に乗り込みましょうか。引き続き肥薩線を乗車していく・・・のではなく、吉都線の列車に乗車して、都城を目指します。

 11:53発の都城行きが発車する3番線に停車していたのは、1両編成のキハ40形[⑬]。これぞローカル線という感じですね。こういう列車によく似合う切符は青春18きっぷなのでしょうが・・・、私が使っているのは、川内(せんだい)までの片道乗車券(こーやってお金を落としてローカル線の維持に貢献、なんてね)。なお、この都城行きは吉松始発ではなく、肥薩線の終点である隼人が始発の、肥薩線を経由して吉松まで至ってきた列車です。


                  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25

DISCOVER どこかのトップへ

66.7‰のトップへ