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 吉松で乗客をだいぶ降ろしたのか、あるいは隼人を発車した時点で既にこの程度だったのかは分からないところですが、1両編成でも車内はガッラガラ[①]。吉都線は、JR九州の路線の中でも特に乗客が少ない路線と聞いていますが、その通りのようです(実際、JR九州の路線の中で唯一、JR西日本で行われているような”保守工事のための列車運休”が存在する路線です)。

 車両はさすがに冷房化されていますが、車内では、扇風機が稼働していました。で、その扇風機なんですが・・・、なんと、JNRのロゴが残っているというものでした[③]。国鉄が分割民営化されてから26年、もう間もなく、”JRである期間”の方が”日本国有鉄道であった期間”より長くなりますが、このロゴの部分には、一切手が及ばなかったということなんですね・・・。

 11:53に、列車は吉松を発車します。夏を象徴する車窓というと、それは海であると言いたくなりますが、私はどちらかというと、このような「青空・山・緑の田圃」という車窓の方が、夏らしさを感じるというか、夏を象徴しているものであるように思います[④]。こういう車窓を窓越しに展開しながら、適度な揺れと走行音をもって、炎天下を走っていく。心和む、ローカル線のひととき。

 今回の旅では、史上初めてスーツケースを使用してみましたが、キハ40系の網棚では、ちょうど横幅いっぱいというところでした[⑤]。車両にある網棚も、その車両それぞれで仕様が違っていて、スーツケースをそれぞれの列車内で網棚に乗せる度に、その違いを実感します。例えば、N700系は、幅も高さも余裕があって、スーツケースがすっぽりと収まりましたが、783系(終盤で乗ります)は、高さがあまりなく、”押し込む”羽目になりました。

 吉都線の途中駅は、周囲に建物もあまりないというところにある駅が結構多いんですが、宮崎県小林市の中心駅である小林駅は、吉都線の途中駅で唯一、街の中にあると言える駅です。このような街らしい車窓が見られるところも、吉都線内では、小林駅周辺以外では、そうありません[⑥]。その小林駅は有人駅ですが、これは吉都線の途中駅で唯一のこと。

 今回の九州を巡る旅の中で、しばしば見かけるこのお店[⑦]。スーパードラッグコスモス。九州を中心に、西日本で店舗を展開しているドラッグストアです。で、なぜこのお店に私が注目しているのか?その理由は”色”です。いや・・・、この緑色とピンク色の組み合わせって、明らかにE5系じゃないですか。店舗の業務用扉の白色を、E5系の車体の下半分の白色に見立てれば、もうE5系と言うほかないと思うんですが(笑)

 そして12:31に小林に到着[⑧]。ここは乗る人、降りる人共にそこそこいましたね。柵に吉都線の開業100周年を記念する横断幕が張られていましたが、その右側に写っている車両は、どう見ても電車である415系だと思うんですが・・・[⑨]。まさかキハ40系の写真を用意できなかったとは思えませんし、「吉都線を電化してほしい」という願いでも込めてのことなのでしょうかね?

 単線非電化の吉都線ですが、谷頭駅の構内には、なぜか架線が張られています[⑪]。いったいなぜなのか?実はこの架線、電気を流して実際に使用しているものではなく、保線社員の訓練用として設けられているものだそうです。電化区間の駅にこのようなものを設けると、本当に電気が流れている本線用の架線との混同による?感電事故の恐れがあるため、あえて非電化区間の駅(谷頭)に設けたとのこと。

 最後の途中停車駅は日向庄内[⑫]。既に都城市内に入っています。日向庄内を発車し、車窓に都城の市街地が見えるようになると、列車は間もなく終点の都城に到着します[⑬]。吉松からの所要時間は1時間27分で、特に長いというわけではありませんが、各駅に停車する普通列車だったからでしょうか、乗車中の時間は、随分と退屈な時間でした。

 13:20に、列車は終点の都城駅に到着しました[⑭]。都城は、吉都線と日豊本線が接続する駅です。
















 駅構内の脇に整然と並ぶ太陽光パネル[①]。総事業費8億円をかけて建設したもので、4月1日に稼働を開始したばかりのもの、とのこと。現在の発電量を数値で表示する装置もあり、それを見てみると、1587Kwと表示されていました[②]。ちなみに、通常1世帯で必要な電力は約3Kwらしいので、単純計算では、今この太陽光発電装置は、529世帯分の電力を発電していることになります。

 都城からは、日豊本線の列車に乗車します[④]。次に乗るのは13:34発の鹿児島中央行きの普通列車で、これに乗って隼人へ向かいます。私は、旅で遠出をするときは、”普通列車に乗って節約しよう”などとはあまり思わない(例外はある)人間なので、本当は隼人まで特急で移動したかったんですが、13:15に鹿児島中央行きのきりしま11号が発車したばかりで、次の下りの特急は15:03。そのため、今回は仕方なく普通列車に乗ります。

 13:34発の鹿児島中央行きの普通列車は、2両編成の817系です[⑤]。黒い顔が特徴的な近郊型車両です。


























 外観には特に特徴がない817系ですが、まあ、JR九州の(非初期の)車両ですから、車内は当然普通ではないわけでして・・・。

 車内の座席は転換クロスシートですが、その座席とは、木製の座面や背もたれに、革を表地に使ったクッションを貼り付けているというものです[①]。なんというか・・・、本当にJR九州(というより水戸岡鋭治)って、木と革が好きだよなあ、と思わされます。座り心地に関しては、クッションが部分的にしか使われていないことや、そのクッションの厚みがあまりないこともあってか、ぶっちゃけ、イマイチです。私はこの座席は嫌いですね。

 窓はかなり大きなもので、その横幅は、座席4列分に相当するほど[②]。カーテンはありません。これほどの大きさの窓ですから、太陽が眩しくても、カーテンがないためにどうすることもできないという点はありますが、車窓の眺めはかなり良さそうです。

 定刻通り、13:34に列車は都城を出発しました。右手に分かれていくのは、先ほど乗車した吉都線の線路です[③]。ほどなくすると、列車は高架橋を駆け上がっていき[④]、高架駅となっている西都城に到着します[⑤]。最近高架化されたというわけではなく、1979年には既に高架化が完了しているんですが、正直、なぜ高架化されたのかよく分からない駅です。「地上を走る線路によって市街地が分断されている」とか「線路が市街地の東西(南北)の往来を著しく支障している」とかの事情があったようには全く思えなかったんですが(開かずの踏切の存在なんてなおさら信じられない)。

 2両編成で空いている車内、という状況は、まさにローカル線のそれ[⑦]。また、森の中を走るという区間もあるので[⑧]、時折、「ここは本当に日豊本線という幹線なのか?」と疑問を抱きそうになりました。まあ、幹線=長い編成の列車が平地を走る という印象自体が、私の勝手な思い込みではありますが・・・。

 14:08に到着するのは霧島神宮[⑨]。ここで上りの普通列車と列車交換を行いました。霧島神宮の次は国分ですが、その国分までは、1駅間ながら12.7キロもあります。霧島神宮〜国分間で山を抜けきって平地に至るため、この区間にはトンネルが結構あり[⑩]、またその長い駅間距離のためか、霧島神宮から4.5キロ、国分から8.2キロのところに、列車交換が可能な霧島信号場が設けられています[⑪]

 国分駅付近までやってくると、マンション・アパートや一軒家、学校などが見えるようになり[⑫]、”街”という雰囲気になってきます。国分は、鹿児島県内第2位の人口を擁する霧島市の中心駅ということもあり、利用客が多い駅です。1日平均の乗車人員は2665人(2011年)であり、6947Mでも、国分での乗り降りがかなりありました。

 国分を出ると、次は下車駅の隼人です。天降(あもり)川を渡り[⑬]、左に曲がって肥薩線の線路と合流すると、間もなく隼人に到着します[⑭]

 そして14:20、列車は隼人に到着しました[⑮]。都城からの所要時間はちょうど50分。隼人は日豊本線と肥薩線が接続している駅であり、この後は、肥薩線の列車に乗って吉松へ再び向かい、肥薩線の未乗車区間として残してしまっている隼人〜吉松間の乗車を果たします。


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