隼人方面の肥薩線の列車も、都城方面の吉都線の列車も、決して本数が多いとは言えないんですが、それにしても人吉方面の肥薩線の列車は少ないですね[①]。1日わずか5本で、うち2本は観光列車のしんぺい号ですから、純粋な普通列車は3本しかありません。これを見ると、隼人方面・都城方面の列車の本数が、相対的に物凄く多いように思えてしまいます。
ホーム上に、細かく仕切りが設けられた入れ物がありました[②]。これはいったい何なんだろうかと思って、近寄って見てみると、その入れ物には、大量のサボが入っていました。なるほど、使わないサボを収納しておく入れ物だったんですね。小分けされた各スペースの上には、「○○○○D取付」などと書かれた、各サボの使用場面についての指示が記された紙が貼り付けられていました。
駅の外に出るために跨線橋に上がると、そこから、3本のキハ40系が吉松駅に停車しているという光景が見られました[③]。ちょっと見にくいですが、写真の中央右に写っている2両編成のキハ40系の左側に、もう1本キハ40系が停車しています。こうやって眺めてみると、キハ40系の屋根は、意外とすっきりしているんだなということが分かります。
今日1度目の下車のときに見学できなかった「鉄道の資料館」にやってきました[④]。吉松のまちと吉松駅の解説や九州の鉄道の年表、制帽などの鉄道関連用品が展示されています。館内は冷房で涼しくなっていたので、熱くなった体にはたまりませんでした。
ガラスケースの中では、鉄道模型の展示もされていました[⑤]。しかしまあ・・・、脱輪くらいであれば全然問題ないと思うんですが、横転している車両があるというのはいったい(笑) 不届き者がケースを揺らして横転させたのかもしれませんが・・・、管理者の方、ぜひ直してあげてください。
駅の周辺を適当に歩いていると、吉松駅の敷地内への入り口のところにたどり着きました[⑨]。やけにすっきりしているように見えるのは、やはり非電化で、架線と架線柱がないからでしょう。
その入り口のところで、うずたかく積み上げられたPC枕木を発見しました[⑩]。肥薩線などのローカル線では、木製の枕木がまだまだ健在ですが、将来的に交換するときを迎えた際、いまさら木製の枕木を導入する利点もなさそう(木材価格高騰&寿命短い)ですから、そのときには、PC枕木がローカル線にも導入されていくんでしょうね。今ここにあるPC枕木も、肥薩線での将来的な枕木交換に備えて準備したものなのかもしれません。
駅舎の近くに、駅の開業100周年(2003年)を記念して建てられた記念碑と、国鉄創業100周年(1972年)を記念して設置された蒸気機関車の車輪があります[⑪]。さらにその車輪の左には、「薩肥 鐡道開通記念碑」と書かれたものがありましたが、これはやはり1903年の吉松駅開業時に建てられたものなのでしょうか?
そろそろ、次の列車に乗るためにホームへ向かいますが、その前に缶コーヒーを飲みましょう[⑫]。缶コーヒーは、旅行における私の相棒とも言うべき存在です。夜行列車の中でしみじみとした思いを抱きながら夜景を眺めるとき、駅の前で物思いにふけってみるとき、ホテルで今日1日のことを思い返してみるときなど、あらゆる場面に缶コーヒーは合います。缶コーヒーは、そのときの思いや心情を問わない、どんな場面にも合う飲み物です。
これから乗るのは、16:35発の隼人行きの普通列車です。車両は1両編成のキハ40形でした[⑬]。
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