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 霧島市の代表駅が国分駅ならば、隼人駅は第2の代表駅というところでしょうか。1日の平均の利用客数は、霧島市内にある駅においては、国分に次いで第2位です。そんな隼人は、日豊本線と肥薩線が接続する駅で、駅構内にある側線には、日豊本線を走る電車の817系と、肥薩線を走る気動車のキハ47形が停車していました[②]

 駅舎は九州新幹線の部分開業に合わせて姿が改められたもので、竹材の多用が特徴的です(駅舎正面を覆っているものは全て竹)[④]。駅舎上部の「隼人駅」とあるところの左側にある、円の中に十字が入れられた印は、薩摩ゆかりの島津家の家紋です。駅舎の入り口には「隼人駅」と書かれた木の板が張り付けられています[⑤]

 駅舎の内部[⑥]。自動改札機は設置されていませんが、簡易SUGOCA改札機が1台設置されています。ところで、常々疑問に思っていたんですが、そこそこの利用客数があるのに、このように簡易ICカード改札機が1台設置されているだけという駅は、ラッシュ時は、タッチ待ちの人の列が形成されるんでしょうか?1台の改札機に向かって人が列をなすという、そんな光景があるのだとすれば、それはなかなか滑稽だと思うんですが(笑)

 では、次の列車に乗り込みましょうか。これから14:37発の肥薩線の普通列車に乗車して、今日既に訪れている吉松へ再び向かいます[⑦]

 2番線に向かうと、2両編成のキハ47形が停車していました[⑧]。このとき側線を見てみると、先ほど停車していたキハ47形の姿がなかったので、この編成は、どうやら側線に停車していた編成のようです。

























 このキハ47形の車内には、ごみ箱が設置されていました[①]。が、どう見てもそこらへんのホームセンターで売っていそうなごみ箱です。明らかに鉄道用に作られたものには見えません。まあ、設置されていないよりはマシですが、見た目の格好悪さはかなりのものです(笑)

 隼人を出る肥薩線の人吉方面への列車は、まず日豊本線で言うところの国分方面へ向けて走り出します。しばらくすると、日豊本線の線路が右へ分かれていきます[②]

 隼人を出て最初に停車する駅は日当山(ひなたやま)で、その次に停車するのは表木山。ここで隼人行きの列車と列車交換を行いました[③]。そして中福良に停車し、その次の嘉例川には15:01に到着します[⑤]。嘉例川は開業当初からの木造の駅舎が残っていることで有名であり、その駅舎は登録有形文化財にも登録されています。

 肥薩線の隼人〜吉松間は、肥薩線の中では列車の本数が多い区間ですが、それでも線路は険しいところを通っていて、決して楽な道のりではありません。トンネルを通ったり[⑥]、曲がりくねった線路を右に左に行ったり・・・。

 15:08に到着するのは霧島温泉ですが、この駅の構内には、廃コンテナが置いてありました[⑦]。しかも、それはJR貨物のコンテナではなく、国鉄時代の黄緑色の「戸口から戸口へ」のコンテナでした。倉庫として使用しているのかどうかなど、その用途は分かりませんが、雨ざらしなので、状態が悪いことはたしかです。いったいいつまで置いてもらえるでしょうか。

 霧島温泉駅には、もう1つ見ておくべきものあります。それは線路脇に設置されたかかし[⑧]。この写真に写っているのは、カメラを構えた人間とキティちゃんですが、他にもドラえもんなどがありました。しかし、体の中心に棒が突き刺してあるという状態は、見ていて結構怖くなりますね。まるで生け捕りにされて、これから火あぶりにでもかけられるんじゃないかというように見えて・・・。

 植村に停車し、15:18に到着するのは大隅横川です[⑨]。この駅も、嘉例川駅と同様、開業当初の木造の駅舎が現存しているという駅です。ここで特急はやとの風号と列車交換を行いましたが、向こうは行き違うための運転停車ではなく、こちらと同様、客扱いの停車です[⑩]

 嘉例川にしても大隅横川にしても、その駅の利用客数などから言えば、特急が停車するにはあまりふさわしくない駅ですが、まあ、はやとの風号は速達輸送を目的としない”観光特急(列車)”ですから・・・(私は、特急が速達輸送を放棄していることには感心しませんが)。両駅の特徴である開業当初からの木造の駅舎の見学ができるよう、はやとの風号では、嘉例川・大隅横川ともに、5分ほどの停車時間が設けられています。

 隼人を発車してから1時間ちょっと、前方に吉松駅が見えてきました[⑫]。列車は間もなく終点の吉松に到着します。

 15:40、列車は定刻に、終点の吉松に到着しました[⑬]。ほんの4時間ほど前までこの駅にいて、そして一度は離れたのに、後になってこうして戻ってくると、何とも言えない不思議な感覚に陥ります。ともあれ、これで肥薩線の隼人〜吉松間の乗車が完了したため、八代〜隼人を結ぶ肥薩線の全線乗車を果たすことができました。


























 隼人方面の肥薩線の列車も、都城方面の吉都線の列車も、決して本数が多いとは言えないんですが、それにしても人吉方面の肥薩線の列車は少ないですね[①]。1日わずか5本で、うち2本は観光列車のしんぺい号ですから、純粋な普通列車は3本しかありません。これを見ると、隼人方面・都城方面の列車の本数が、相対的に物凄く多いように思えてしまいます。

 ホーム上に、細かく仕切りが設けられた入れ物がありました[②]。これはいったい何なんだろうかと思って、近寄って見てみると、その入れ物には、大量のサボが入っていました。なるほど、使わないサボを収納しておく入れ物だったんですね。小分けされた各スペースの上には、「○○○○D取付」などと書かれた、各サボの使用場面についての指示が記された紙が貼り付けられていました。

 駅の外に出るために跨線橋に上がると、そこから、3本のキハ40系が吉松駅に停車しているという光景が見られました[③]。ちょっと見にくいですが、写真の中央右に写っている2両編成のキハ40系の左側に、もう1本キハ40系が停車しています。こうやって眺めてみると、キハ40系の屋根は、意外とすっきりしているんだなということが分かります。

 今日1度目の下車のときに見学できなかった「鉄道の資料館」にやってきました[④]。吉松のまちと吉松駅の解説や九州の鉄道の年表、制帽などの鉄道関連用品が展示されています。館内は冷房で涼しくなっていたので、熱くなった体にはたまりませんでした。

 ガラスケースの中では、鉄道模型の展示もされていました[⑤]。しかしまあ・・・、脱輪くらいであれば全然問題ないと思うんですが、横転している車両があるというのはいったい(笑) 不届き者がケースを揺らして横転させたのかもしれませんが・・・、管理者の方、ぜひ直してあげてください。

 駅の周辺を適当に歩いていると、吉松駅の敷地内への入り口のところにたどり着きました[⑨]。やけにすっきりしているように見えるのは、やはり非電化で、架線と架線柱がないからでしょう。

 その入り口のところで、うずたかく積み上げられたPC枕木を発見しました[⑩]。肥薩線などのローカル線では、木製の枕木がまだまだ健在ですが、将来的に交換するときを迎えた際、いまさら木製の枕木を導入する利点もなさそう(木材価格高騰&寿命短い)ですから、そのときには、PC枕木がローカル線にも導入されていくんでしょうね。今ここにあるPC枕木も、肥薩線での将来的な枕木交換に備えて準備したものなのかもしれません。

 駅舎の近くに、駅の開業100周年(2003年)を記念して建てられた記念碑と、国鉄創業100周年(1972年)を記念して設置された蒸気機関車の車輪があります[⑪]。さらにその車輪の左には、「薩肥 鐡道開通記念碑」と書かれたものがありましたが、これはやはり1903年の吉松駅開業時に建てられたものなのでしょうか?

 そろそろ、次の列車に乗るためにホームへ向かいますが、その前に缶コーヒーを飲みましょう[⑫]。缶コーヒーは、旅行における私の相棒とも言うべき存在です。夜行列車の中でしみじみとした思いを抱きながら夜景を眺めるとき、駅の前で物思いにふけってみるとき、ホテルで今日1日のことを思い返してみるときなど、あらゆる場面に缶コーヒーは合います。缶コーヒーは、そのときの思いや心情を問わない、どんな場面にも合う飲み物です。

 これから乗るのは、16:35発の隼人行きの普通列車です。車両は1両編成のキハ40形でした[⑬]


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