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 昼食も食べたので、そろそろ博物館へ向かいましょう[①]。平日の真っ昼間なので、そんなに人もいないだろうと思っていましたが、来場者は、想像していたよりは多かったです。400円の入館券を買い求め、入場します。

 入り口を抜けると、まずしづか号と名付けられた蒸気機関車に出迎えられますが・・・[②]、ここに来た目的は、屋外に展示されている数々の実物車両の見学なので、館内の展示物は適当に流します(笑) 一応、館内にもかつての一等車が展示されていて、その中に入ることもできます[⑤]









キハ80系


















 屋外の実物車両の展示場が、この博物館の”メインディッシュ”とも言える場でしょう[①]。少なくとも鉄道ファンにとっては、いや、鉄道ファン以外にとっても、ここで展示されている車両たちを見学することが、この博物館を訪問する最大の目的となっているのではないかと思います。

 まずはキハ80系から見ていきましょう[③]。クロフォード公園には6両ものキハ80系が保存・展示されていますが、小樽市総合博物館にも、計3両のキハ80系が保存・展示されています。本館に近いところにそのうちの2両が置かれていて、「北海」のヘッドマークを掲出した先頭車両[⑤]とキシ80という組み合わせになっています。

 運転室内部を見てみます[⑦]。運転室の中に入れるという保存車両は、特に珍しいものではありませんが、小樽市総合博物館のキハ80系の運転室には、ある面白い仕掛けが施されています。写真右上に橙色のボタンがあるのがお分かりいただけるでしょうか。このボタン、なんと警笛を鳴らすボタンです。車両自体に搭載されているタイフォンから鳴るのではなく、録音されたものがスピーカーから鳴るというものですが、面白い試みです。

 車内の座席は、運転室がある側とは反対側を向いた状態となっています[⑨]。背面テーブルは、なぜか窓側にあるものは撤去されていて、通路側にあるものだけが残されているという状態になっています[⑩]。座席は簡易リクライニングすらできない、背もたれが完全に固定されているというもので、現代の特急型車両の座席の水準からすると、信じられないものがあります[⑪]。「これでよく特急料金をとれたな」とも。

 古臭さがいっぱいの洗面所[⑬]。長距離を走る特急型車両には必須の存在であった冷水器も存置されています[⑭]。現在でも、24系の一部に冷水器が置かれていて(あけぼの号だけ?)、なかなかの古臭さを放っていますが、キハ80系に設置されている冷水器は、24系にある冷水器以上の古臭さを放っています。なんといっても、東芝のロゴが筆記体の時代のものですからね・・・。

 車内に立ち入ることができる車両では、乗降扉にロックはかけられていないので、手で自由に動かすことができます[⑯]。劣化に劣化を極めたゴム部分を見ると、製造されてから経過した月日の長さを感じられます。

 お隣のキシ80ですが・・・、これがだいぶ残念なことになっています。どういうわけか、厨房はすべて撤去されていて、客席への側通路であったはずのところに、テーブルや椅子が設置されてしまっています[⑰] [⑱]。肝心の客席部分も、椅子が窓に向かって置かれていたり、壁に沿って長いテーブルを取り付けたビュッフェ風の何かが作られていたりと、往時の食堂車とはかけ離れた状態になっています[⑳]

 せっかく貴重なキシ80が保存されていても、このようなものをキシ80と呼ぶことができるでしょうか。食堂車ならではの窓配置などは健在ですから、外から見ればたしかにキシ80ですが、車内がこれでは・・・。どうしてこのような改造を施してしまったのでしょうか。かつてはこのキシ80を使って軽食の提供などをしていた・・・とでも言うのであれば、まだ理解できなくもないんですが・・・。














青い旧型客車


荷物車



ED76形


茶色い救援車

 キシ80のデッキに相当する部分に、2人座れるか座れないか程度の長さのロングシートがありました[①]。まあ、もはやどこが”ロング”なのかというくらいのものですが・・・。食堂車が満席で順番待ちとなってしまったとき、ここに座って待ってもらおうということだったのでしょうか。

 妻面にエアコンの室外機が取り付けられていました[③]。当然、車内には室内機があるので、冷房をかけることができるようになっているということですが、このときは、冷房はかけられていませんでした。まあ、市の財政状況も決して良好とは言えないであろう状況下、こんなところで電気代をかさませるわけにはいかないですよね。実際、冷房を取り付けているのはキシ80だけではないわけでして・・・。

 「青い旧型客車」スハ45は、ちょっと分かりづらいですが、「利尻」のサボを入れた状態で展示されています[⑦]。急行利尻号は、1982年11月のダイヤ改正で14系に置き換えられるまでは、このような旧型客車を使用していました。ダイヤの一例として、1980年夏の下り利尻号のダイヤをご紹介しておきますと、札幌を21:20に出て、稚内に6:22に到着するというダイヤでした。この座席で9時間も過ごすって・・・[⑨]

 荷物車・マニ30-2012[⑪]。幅2000mmの大きく開く荷物扉を持つ[⑫]、普通の荷物車・・・ではありません。この車両の正体は、現金輸送車です。そのため、普通の荷物車と比べても窓の数が少なかったり、窓があってもそれは18m厚の防弾ガラスであったりと、何かと特別仕様な”荷物車”です。車内も特別仕様で、簡易リクライニングシートと固定式の大型テーブルがあったほか、プルマン式の寝台もありました[⑬]

 誰もが知っている交流用電気機関車・ED76形。500番代は、その北海道仕様車です[⑮]。運転室に入ることができるほか[⑯]、諸々の機器が収められている機器室の中に入ることもできます[⑰]。機器室内の通路は、本当に人1人分という幅しかなく、非常に狭いです。余裕もなくぎっしりと詰められた各種機器類を見ていると、なるほどこれこそが何両もの客車や貨車を牽引する強大な力の源なんだな、と思わされます。


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