Page:18

※各画像はクリックすると拡大します。








 13:59発の備後落合行きの普通列車に乗車します[①]。1日に3本しかない備後落合行きの普通列車のうちの貴重な1本です。

 車内は「そういう人たち」で混雑しており、立ち客も出る状況でした。木次線の出雲横田〜備後落合間は列車本数が極端に少ないため、その数少ない列車を求めて、1つの列車に乗客が集中してしまいます。とはいえ、このような事態が起こるのは青春18きっぷが使える期間のみで、普段の乗客数は推して知るべしなのでしょう。だからこその「あの本数」です。

 道も険しい木次線を進みます[②]。土木技術が発達している現代ならともかく、今よりもそういった技術が遥かに貧弱だった戦前などに、よくこのようなところに線路を敷設したものだと感心してしまいます。先人たちの努力の跡を踏みしめるかのように、40km/hにも満たない速度でゆっくりと走る木次線の普通列車・・・[③]、って、別に全くありがたいことではありませんがね。もっと速く走って所要時間を縮めないと。

 分岐器と枝分かれする2つの路線に主要駅としての風格を感じる備後落合駅構内[④]。列車は14:22に終点の備後落合に到着します[⑤]






















 木次線の普通列車が備後落合に到着しましたが、この駅は目的地にはなりようのない駅なので、下車した人たちは皆、次の列車に乗り換えるべく、ホームを移動していきます[①]。全員が全員鉄道好きというわけではないようで、手提げくらいだけを持った軽装な人、旅行してきたその帰りと見られる夫婦、スーツケースを転がす帰省中と思しき人など、様々な種類の人がいました。

 私が乗車するのは、14:34発の芸備線・新見行きです[②] [③]。12分というちょうど良い待ち時間で接続している列車です。「われ先に座席をってことで、もうめぼしい席は獲られてしまったのかな」と思ったら、どうやら、そうでもなかったようです。新見行きの普通列車に乗らず、ホームに立って、何か別の列車を待っている人たちがいました[④]

 しばらくすると、芸備線・三次方面からやってきた列車が2番線に到着しました。私は知りませんでしたが、14:38発の芸備線・三次行きという列車もあったんですね。新見行きに乗り込まなかった人たちは、これの到着を待っていたようです。また、この結果、1番線・2番線・3番線の全てに列車が在線し、往年の輝かしき時代を思い起こさせる光景が展開されました(全部1両編成だけど!)[⑤]

 さて、14:34発の新見行きに乗り、布原を目指しましょう[⑥]。秘境駅としてその名が知られている布原は、伯備線の列車は全て通過し、備中神代〜新見間で伯備線に乗り入れる芸備線の列車のみが停車するという、一風変わった駅です。いま私は、芸備線の列車に乗車しています。せっかく布原に下車することができる可能性を得たのですから、降りてみたくなるというものです。

 今回、私は、九州へ上陸するための切符として、最寄り駅→長崎の片道乗車券(出札補充券)を使用しました。しかし、これまでの移動の仕方を見ての通り、その経路上にないところへ行ったり、あるいは一度来たところを引き返したりしています。そして今、私は、三井野原→布原という乗車券を使用しています[⑦]。青春18きっぷではないので、最寄り駅→長崎の乗車券に収まらない部分は、全て別途乗車券を購入せざるを得ません。

 14:47、道後山に到着[⑧]。備後落合の隣で、駅間距離は6.8kmにすぎませんが、13分もかかりました。以前は2面2線の駅でしたが、現在は1面1線となっており、線路が剥がされた側は、ホームだけが空しく取り残され、そして不自然な空きスペースができてしまっています。

 道後山の次は小奴可です[⑨]。ここではお年寄りが1人下車していきました。木次線の出雲横田〜備後落合間と同じく、芸備線の備後落合〜東城間は、1日に3往復の列車しか設定されていませんが、それでも、地域の人々、特に車などが運転できない高齢者などにとっては、重要な足となっています。利用者が本数の少なさと不便さを受け入れる代わりに、JR西日本には、路線を維持する”努力”義務があるのかもしれません。

 山の端の端、生い茂る木々の真下をも走る芸備線。一部の区間には、落石防止用と思われる柵が整備されています[⑩]。晴れている日は落石だけ警戒していれば良いかもしれませんが、大雨が降れば、走っている場所が場所ですから、今度は土砂崩れのことを心配しなければなりません。自然環境の厳しさに向き合いながらの旅路です。

 芸備線は備中神代で終了し、備中神代からは伯備線に乗り入れます。伯備線は電化路線であるため、備中神代〜新見間では、架線下を走っていくことになります[⑫]。15:52、列車は目的地の布原に到着しました[⑬]





















 秘境駅として知られる布原駅にやってきました。山間の僅かに開けた地に存在し[②]、そのホームの長さは、1両編成の列車がどうにか収まるかもしれないという程度です[③]。駅のプラットホームというより、留置線にある運転士の乗り降り用の台に見えてしまいます。

 発車時刻表によると、新見方面は1日に6本、東城方面は1日に5本とのことです(それぞれ1本は土曜・休日運休)[④]。布原駅は伯備線上にあるため、本来であれば、伯備線を走る列車も停車すべきところなのでしょうが、その需要の少なさのために、備中神代〜新見間に乗り入れてくる芸備線から(へ)の列車しか停車しません。この結果、布原駅に停車する列車の本数が非常に少なくなり、秘境駅としての価値が高められました。

 駅の近くを西川がせせらぎ[⑤]、田圃には緑の絨毯が広がっています[⑥]。民家も数える程度であり、のどかで落ち着いた、とても風情のある環境に布原駅は位置しています。流れる川の音がBGMとなり、あとは虫の鳴き声や鳥のさえずりが聞こえるのみ・・・。

 そんな布原駅は、陰陽連絡線の基幹路線である伯備線の駅であるため、特急やくも号をはじめとして、秘境駅の割には、比較的頻繁に列車が通過します。しかし、停車するのは芸備線直通の列車のみで、伯備線の列車は普通列車にさえ無視されるというのが、秘境駅としての哀愁をより引き立てているように思われます。本数の多さがかえって秘境駅の魅力を高めることもあるわけですね。

 「高速で通過する列車」[⑧]。そう聞いて真っ先に思いつくのは、やはり特急やくも号ですね。布原駅での滞在時間は28分しかありませんが、その中で、何かしらの列車に遭遇しないかなと思っていたところ、下りの特急やくも号が眼前を通過していきました[⑨]。布原駅の前後は線形が悪く、また分岐器があるからか、「”高速で”はさすがに脅しだな」と思う程度の速度でしたが、低い視点から見る鉄道車両は、なかなかの迫力がありました。

 布原駅のホームは1両分程度の長さしかありませんが、その割には、前後の複線区間がやけに長いですね[⑩]。それは、この布原駅が、元々は列車交換などを行うための信号場、布原信号場として誕生したためです。また、上り線のホームと下り線のホームは、互いにずらして配置されていますが、これは、信号場時代に通票の交換を行っていた名残です(上下線の列車の運転室がほぼ同じ位置に来ることで、交換が楽にできる)。

 出雲市へ向けて走り去って行ったやくも号・・・でしたが、線路が右へ大きく曲がっているため、布原駅を通過した後も、その姿をしばらく眺め続けることができます[⑪]。最後尾の車両が見えなくなるところまでを見届けましょう。

 そろそろ次の列車に乗車しようと思いますが、新見方面への列車に乗車するのではなく、東城方面への列車に乗車します[⑫]。芸備線の列車の本数の少なさは知っての通りであるため、同一方向の列車を待っていたのでは、待ち時間がいたずらに長くなります。そこで一度逆方向の列車に乗り、新見方面への列車を迎えに行くことで、異常な長さの待ち時間ができるのを回避しようというわけです。


                  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26
27  28  29  30  31  32  33  34  35  36  37  38  39  40  41  42  43  44  45  46  47  48  49
50  51  52  53  54  55  56  57  58  59  60  61


DISCOVER どこかのトップへ

66.7‰のトップへ