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 口羽を出ると、三江線はまるで別の路線かのように生まれ変わります。これまでは江の川の流れに合わせて右往左往していましたが、口羽からは、流れが急であると見るや、橋梁を用いて江の川を貫くようになります[①]。また、線路を見てみると、日本屈指のローカル線には似つかわしくない、コンクリート製のPC枕木が奢られています[②]。少しでも直線を維持するように努め、トンネルを通ってはトンネルを通るというトンネル地獄[③]

 これは、口羽〜浜原間が、1966年に着工して1975年に開業した新しい区間であることが理由です。三江線は1975年に全通しましたが、同区間は、その最後に開業した区間でした。着工と完成が比較的最近であったことで、線路を高規格なものにすることが可能となりました。最高速度を比較しても、口羽〜浜原間以外が65km/hという数値に抑えられているのに対し、同区間は、85km/hとされています(遅いっちゃ遅いけど)。

 異常なまでに低い速度制限もほとんどなく、列車は快調に走ります。11:00に到着する宇都井は、地上20mというところを通る高架線上に設けられた駅で、116段の階段を上ってホームへ辿り着かねばならないというその特殊さで名が知られています[⑤]。地上20mという高さは、ビルに換算すると7階部分に相当し、頼りないようで頼れる柵がかえって恐怖感をあおります[⑦]

 「その手の人」だけが乗っているという424Dでしたが、11:26に到着する沢谷で団体客が登場し、車内は一気に賑やかになりました[⑧]。これらの団体客は2つ隣の粕渕で下車してしまいましたが[⑨]、非常に面白い光景を見ることができました。なお、粕渕は、宿泊施設やプール、遊具などの複合施設「ゴールデンユートピアおおち」の最寄り駅で、団体の構成員は主に子供でしたから、そこへ行くのかもしれません。

 「がんばろう!三江線」[⑪]。利用客の少なさ、災害への弱さなど、三江線が立ち向かうべき障壁は様々にあります。ただひとつ、たしかなことは、三江線は本当に必要とされている路線であるということ。そうでなければ、災害によって不通になった際、復旧に必要な費用を地元側も渋ることなく一部負担し、迅速な運転再開を実現することはありえません。

 三江線の高規格区間は口羽〜浜原間のみであり、浜原を過ぎると、また元通りの「ただのローカル線」に戻ってしまいます。枕木はコンクリート製から木製のものとなり[⑫]、運転速度も遥かに低下し、随所で徐行運転が行われるようになります。

 竹駅を発車します[⑬]。見ての通りの小さな駅で、乗り降りは一切ありませんでした。1日平均の乗車人員は、2008年に1人を記録したのを最後に、それ以降はずっと0人を記録し続けています。三江線自体の存廃はともかく、三江線には、利用客の数が異常に少ない駅が散見されていますから、もしかしたら、今後は廃駅も出てくるようになるかもしれません。

 12:09、終点の石見川本に到着[⑮]。引き続き江津を目指しますが、ここでいったん小休止です。



















 石見川本です。424Dは石見川本行きとなっているため、ここでは強制的に下車させられます。では、424Dに接続する江津行きなどが用意されているのかというと、そのようなことはなく、次の江津方面は、13:43発の426Dまでありません。しかも、その426Dで使われる車両とは、424Dとして石見川本に到着したキハ120形そのもの。いわば、三次発江津行きの列車が、石見川本で1時間34分の停車時間を設定しているようなものなのです。

 とはいえ、見方を変えれば、これは「川本の町で飯を食ってこい」という時間であるとも言えます。石見川本は、三江線の駅としては数少ない、駅周辺に町が形成されている駅です[②]。駅舎もしっかりとした造りのものが建てられています[③]。駅周辺には計17の飲食店(夜のみ営業の店も含む)があり、1時間30分を超える待ち時間を活かして昼食を食べるのには、最適な場所であると言えます。

 石見川本で下車した私を、ある人が出迎えてくれました。その人とは、石見川本観光協会に所属しているAさん。何でも、424Dから降りてきた客を出迎えるのが日課になっているそうで、ほぼ毎日、この時間帯に石見川本での出迎えを行っているそうです。

 Aさんいわく、最近は外国人の来訪客も増えているとのこと。しかも、そういった外国人の人たちは、「三江線をお目当て」にしてわざわざ日本にやってきているのだそうで。ローカル線も、その度合いが突き抜ければ、世界にも名前が知られるようになるということでしょうか。また、日本人に関しては、どこからやってきたのかを聞くのが習慣とのことで、沖縄と徳島から来たという人はまだ見たことがないそうです。

 そのAさんから川本町の町内・広域地図などをいただくとともに、コインロッカーの案内と、貸し自転車の使用許可をいただきました[④]。貸し自転車は2台あり、ともに広島の鉄道ファンのグループから寄贈されたものとのこと。424Dが到着する12:09から426Dが発車する13:43まで使用可能ということで、せっかくなので、荷物をコインロッカーに預け、この自転車を使って町に繰り出すことにしました。

 まずは昼食を食べねば、ということで、Aさんからもおすすめされた「福村食堂」を訪ねました。こちらの食堂の特色は、なんと言っても、「低価格&驚異的なボリューム」です。私は焼肉定食を注文しましたが、これほどの量の肉を提供しながら、900円という3桁の価格に収めています。お金をかけずにお腹いっぱい食べたいという人は、こちらの福村食堂が良いかもしれません。

 食堂を後にした私は、江の川の土手にやってきました[⑤]。川本町は、中国山地のまさにその中にあり、四方を山に囲まれているという険しい環境にあります。人口も3400人ちょっとしかなく、市街地として住居や学校などが集まっているのは、僅か0.36km^2の面積にすぎません。市街地の一角は、江の川の流れに合わせ、三江線の線路・土手ともども丸みを帯びた形となっています[⑥]

 三江線活性化協議会による呼びかけ「さあ、三江線に乗ろう。」[⑧]。フリーきっぷの類だと、どこの路線を利用したのかなどが分かりませんが、今回、私は、普通の乗車券で三江線に乗りに来ています。券面(業務連絡書)には、経由する路線として「三江線」ときちんと記されていますし、三江線を利用した人間として計上され、その維持に貢献できていれば嬉しいんですが。

 業務委託駅とはいえ、石見川本駅は、窓口の営業もある有人駅です。ベンチや自動販売機も用意された広い待合室は、線内の主要駅として君臨するにふさわしいものです[⑨]。駅舎内も天井の高さがあり、広々としています[⑩](三江線基準)。























 江津行きの426Dに生まれ変わったキハ120形に乗車します[①]。1時間30分以上も待たされた、と言いたいところですが、三次〜江津間を通しで走る列車であった場合、3時間21分〜3時間46分かはかかるので、途中で気分転換ができたと思えば、そんなに悪い時間でもありません。それほどの長い時間をキハ120形に乗り続けるというのは、正直、拷問に近いものがあるかと・・・。

 石見川本13:41着の浜原行き425Dの到着を待ってから出発します[③]。ここから先は、終着の江津まで、全て1面1線の駅となっており、列車交換ができる駅は存在しません。そのため、425Dが到着しないことには、こちらも動けません。

 川戸駅で見た掲示。「祝 三江線全線開通 平成26年7月19日 おかえりなさい、三江線。これからも、ずっと一緒に。」[④]。橋梁損傷、土砂崩れ、土砂流入、橋脚流出、築堤崩壊、線路陥没、ケーブル損傷など、三江線は、何度も災害の被害を被り、不通になりました。しかし、そのたびに復旧工事が行われ、見事に復活しています。それはまさに「不死身」の体現で、不死鳥のローカル線と言っても過言ではありません。

 日本屈指のローカル線が、何度でも立ち直るその理由。それはひとえに、地元自治体に鉄道への理解があるからでしょう。大赤字のローカル線の復旧費用など、鉄道会社が全額を持ってくれるわけがありませんが、そうとなれば、島根県は、復旧にかかる費用の一部をきちんと負担します。また、平時からも、三江線活性化協議会が組織され、回数券購入費の補助を行うなど、三江線の利用を促進するための努力が行われています。

 それだけではありません。同協議会は、JR西日本と共同でバスによる増便社会実験を試みたり、神楽にちなんだ駅名愛称を制定したり、地酒や特産物を振舞う特別列車を運転したりと、様々な試みを行っています。もし、こういった鉄道に対する理解がなければ、三江線は、災害で不通になった区間がそのまま廃線になったり、あるいは既に全線で廃線になっていたりしたかもしれません。

 復旧費用の負担や利用促進があったところで、別に三江線が黒字になるわけではありません。とはいえ、こういった「いざというときには真摯に協力してくれる」という姿勢は、三江線を運営するJR西日本にも、少なからず良い影響を与えているのではないでしょうか。同じ大赤字でも、鉄道への理解と協力をしてくれれば、JR西日本としても、運営と維持に前向きになろうというものです。

 どこのどいつと名指しするつもりもありませんし、今後そういう事例が出るぞと言いたいわけでもありませんが、利用促進や路線運営への協力を一切しないでおきながら、いざ廃線にするという話が持ち上がると「絶対反対」と声だけ上げるような場合があるならば、そんなものは、廃線になって然るべきでしょう。普段はマイカーを使いまくりながら、廃線になりそうになってようやく反対の声を上げるのも同様です。

 川平駅は、かつては相対式2面2線の駅でした。しかし、列車本数の減便に伴い、駅舎とは反対側にある線路が剥がされ、1面1線の構造となってしまいました[⑥]。石見川本〜江津間には、川平を含め、列車交換ができる駅が4駅ありましたが、いずれも1面1線の駅となり、列車交換を行うことができる駅が消滅しました。増便社会実験の際には、これが列車増発の妨げとなり、列車ではなくバスでの増発となりました。

 夏空の下を走る三江線[⑦]。三江線というと、ついつい横か下の方、つまり「江の川」に注目してしまいますが、上を見上げて、その美しい空にも注目したいものです。沿線の建物が少なく、青々と生い茂った緑と空が織りなす見晴らしの良い展望は、三江線のもうひとつの魅力です。

 トンネルを通って、また一歩江津へ近づいて[⑨]。江津本町は、426D最後の途中停車駅です[⑩]。本町と言いつつも、江津市街地の外れの方にありますが、その代わりに、江の川に面した駅という立地を得ています[⑪]。ホームの端からは、眼前を流れる江の川が見られることでしょう。

 山陰本線の橋梁、国道9号線、そして日本海が見えてくると[⑬]、まもなく終点の江津です。三次〜江津間は、三江線で108.1kmの距離ですが、速度の低さと石見川本での待ち時間が相まって、4時間52分もかかっての到着となってしまいました[⑭]。また、長谷以外の全ての駅に停車するという進み方であったため、「一歩一歩」「じわりじわり」という感じが強く、なんだか、妙な達成感がありました。


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