◆8月15日◆
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 日付は変わって8月15日です。今日新たに乗車する予定となっているのは、因美線全線、境線全線、伯備線伯耆大山〜新見間です。「姫新線の津山〜新見間を乗っていないのでは」と疑問に思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、姫新線の津山〜新見間に関しては、2007年の8月に既に乗車しているので、同区間に乗車する必要はありません。

 早朝5時過ぎ、まだ夜も明けぬ津山駅にやってきました[①]。これから乗車するのは、5:21発の因美線直通の美作加茂行きです[②]。津山発の因美線直通の列車はなんと4時台にも設定されており、4:58発の快速智頭行きという列車もあります。ちなみに、姫新線佐用方面の初発列車はそれよりも更に早い4:54発、津山線岡山方面の初発列車に至っては4:29発という極めて早い時刻が設定されています。

 お目当ての列車は1番線に停車していました[③]。またキハ120形の世話になります。駅構内にある車両基地(岡山気動車区津山派出所)を見てみると、そこにはキハ40系の姿もあると共に、昨日津山駅に到着したときよりも、留置されている車両が大幅に増えていました[⑤]。夜〜最終列車後にかけて、1日の運用を終えた車両が続々と入区していったのでしょう。また始まる新しい1日、今度は出区が相次ぐはずです。

 さて、この5:21発の美作加茂行きという列車は、早朝発、智頭へ行かない(智頭乗り換えで鳥取・上郡方面へ行けない)、休日運休という、なんだか微妙な立ち位置の列車です。通学に使うには時刻が早すぎ(しかも逆方向)ますし、美作加茂行きでは、智頭で乗り換えて更に進む人が使えません。一方、休日運休という点からは、通学客向けの列車の印象も受けます。折り返し美作加茂5:56発(休日運休)の単なる送り込みなのでしょうか?

 そんな微妙な立ち位置にあるうえ、今日は8月15日。もちろん学校は夏休みで、しかもお盆ですから、大抵の部活も休みでしょう。となれば、乗客が他に全くいないというのは、至極当然のことでした[⑥]。ああ、クロスシートにも、そしてロングシートにも、人影は全くありません。今日はたまたま私が乗車しますが、もし私が乗っていなければ、この列車は乗客ゼロの状態で津山を発車することになっていました。

 たった1人だけの乗客を乗せて、列車は津山を発ちました[⑧]。 ホテルをチェックアウトしたときと比べれば、空もだんだんと明るくなってきていますが、太陽はまだその姿を見せていません。朝方か、それとも夕方か。どちらともとれる(太陽の出入りの方角は無視するとして)微妙な明るさの時間帯というのは、即ち、流れゆく車窓が美しく見える時間帯でもあります[⑨] [⑩]

 5:30、高野に到着[⑪]。乗客は私だけという状況で津山を発車したこの列車ですが、実は、次の東津山で1人乗ってきました。美作滝尾まで貸し切り状態を維持できるものと踏んでいただけに、少し残念ではありましたが、まあ、列車は人が乗って何ぼです。もっとも、ここ高野では、乗り降りはありませんでした。高野の次は、下車駅の美作滝尾です。

 高野〜美作滝尾間には、昨日の加古川線でも遭遇した、25km/hの速度制限があります[⑫]。しかし、JR西日本のローカル線の中には、この25km/hという数値をも下回る、15km/hという速度制限が存在している路線(区間)もあります。もちろん、今回の旅の中で、その路線も乗車します。そのことを踏まえると、いかに低い速度といえども、25km/h程度でイライラしたり驚いたりしていてはいけないんです。

 5:38、目的地の美作滝尾に到着[⑬]。東津山から乗ってきた人もここで降りました。まあ、身なりからして、この方は間違いなく鉄道ファンだなと思ってはいましたが、考えていたことも同じとは・・・。





























 美作滝尾にやってきました。この駅の駅舎は、戦前に建てられた古めかしい木造駅舎であり、その雰囲気が気に入られたのか、「男はつらいよ」の映画の撮影でも使用されました。そんなわけで、この駅は少々有名なようで、私や東津山から乗ってきた人のような者たち、あるいは「寅さんファン」が、戦前に建てられた木造駅舎のある情景、男はつらいよに登場した舞台を求めてやってきます。

 いくら駅舎が古めかしかろうとも、例えば、ホームにあるベンチが青いプラスチック製のものであれば、その雰囲気は台無しになってしまいます。では、美作滝尾駅の実際のところはどうか。ホーム上には木板と鉄製のフレームを組み合わせたベンチが置かれ、その背後には、通常の駅名標の様式に則らない、前後の駅名を記した板が掲げられています[②]

 駅舎のある側は住宅地(と言えるほどかどうかは分からないが)に面していますが、その反対側には、のどかな田園風景が広がっています[④]。先ほどの木板を使用したベンチや駅名を記した板もそうですが、駅にある小物、そして駅を取り巻く環境が木造駅舎の佇まいと調和するにふさわしいものとなっていることで、美作滝尾駅の駅舎の味わいが引き出されると共に、全体の雰囲気がとても良いものに仕立てられています。

 ホームに置かれていた謎の道具2つ[⑤]。右側にあるものはリヤカーであろうと想像がつきますが、左側にあるものは何なのでしょうか? 車輪が付いた四角形の箱、そして青い柱の先にあるレバーのようなもの。わざわざホームを掘って格納用の場所を確保しているくらいなので、重要度や使用頻度の高い道具であったのだろうと考えますが・・・。

 早朝の木造駅舎、ホームへの出口から差し込む陽光[⑦] [⑧]。正直、私がここで言葉を色々と連ねるより、ただただこの写真をじっと見つめていただく方が、よほど美作滝尾駅の雰囲気を想像しやすいかもしれません。静寂の中で流れる時間、長く伸びゆく物の影。今は平成か、それとも昭和か。いや、平成であることはたしかなのだろう、でも本当に平成27年の8月であっただろうか・・・。

 言うまでもなく、美作滝尾駅は無人駅ですが、かつては有人駅でした。「切符売場」や「携帯品一時預り所」の窓口があったり、様々な備品が置かれた事務室があったりしますが[⑨]、これらは例えば映画の撮影に合わせて整備したなどというものではなく、本当に有人駅時代のものがそのまま残り続けているようです。特に朽ちた様子もなく、全てが綺麗なままなその光景は、まさに「時が止まった」かのよう。

 もっとも、1998年7月号のJR時刻表など、これはさすがに後年置いたものだろう(1998年あたりまで有人駅であり続けたとはさすがに思えない)というものもありますが、昭和30年代前半くらいに製造されたものではないかと思われる「ナショナル」の「真空管ラジオ」など[⑩] [⑪]、疑いの余地の挟みようがない「有人駅時代の名残」もありました。人の服装も変わった、車両も変わった、運営する会社も変わった。それでも変わらないもの。

 小さな駅ですが、自転車を風雨から保護するための屋根がある・・・と言ったら、これはやや正確ではありません[⑬]。美作滝尾駅も、昔は貨物を取り扱っており、この屋根は、貨物の積み降ろし作業で使ったり、あるいはその降ろした荷物を保管するために使ったりしていたようです。また、この屋根はコンクリートで一段高くなったところにありますが、その「コンクリート」の正体とは、実は貨物ホームです。屋根共々残存しています。

 改めて、美作滝尾駅の駅舎を眺めてみましょう[⑭]。戦火の時代を潜り抜け、戦後の復興と発展を全て知り、平成の円熟期の今を生きる。周りが変わっても変わらないことを貫き続けた美作滝尾駅の駅舎。戦前の20歳も、戦後の20歳も、平成初期の20歳も、そして平成27年の20歳も、美作滝尾駅にやってきてくぐり抜けた入り口、そして入った駅舎は、駅開業当時からの同じものです[⑮]

 駅開業当時からの木造駅舎を優れた状態で堅持し、「昭和初期の標準的な小規模駅舎」とは何かなどを今に伝える美作滝尾駅。そんな美作滝尾駅の価値は、行政からもきちんと評価されています。美作滝尾駅の駅舎は、2008年11月に登録有形文化財に登録され、「貴重な国民的財産」としての評価を与ることになりました[⑯]。とはいえ、登録されるだけでは何も起こりません。この駅舎を美しく保とうとする、人々の努力こそが肝要です。

 なお、駅前や駅前の道については、特に何もありません。別に昭和初期の一軒家が今でもたくさんあるとかいうわけではないですからね・・・。














 美作滝尾から、ひとつ津山寄りの高野へ移動します。次の因美線智頭方面行きの列車は快速列車であり、その列車は、美作滝尾は通過となっています。一方、高野には停車するので、それを迎えに行こうというわけです。ちなみに、美作滝尾に停車する列車を素直に待った場合、美作滝尾発智頭方面行きの次の列車は、11:45発の智頭行きです。待てるわけがありません。

 美作滝尾6:06発の津山行きは、先ほど乗車した美作加茂行きの折り返しの列車です[①]。というわけで、車両はもちろんキハ120形であり、もっと言えば、車両番号も全く同じというわけです。例の「東津山から乗ってきた人」もこれに乗車しましたが、その方は、高野では下車しませんでした。

 朝の因美線を津山方面へ進んでいきます[②]。1区間だけの乗車なので、座席には座らず、車両後部の空きスペースで後面展望をしていましたが、一定の間隔で鳴り響くレールの継ぎ目の音は、窓越しに後ろへ流れゆく「田舎の穏やかな朝」の風景とも相まって、普段以上に心地良いものに感じられました。なんというか、不思議と癒されるような感覚でした。

 25km/hの速度制限の区間を再度通過[③]。そして6:14、列車は高野に到着しました[④]。まあ、下りるのは自分だけだろう・・・と思っていたら、若い女性の方もここで下車していきました。もっとも、鉄道が好きそうな様子は全くなく、至って普通の方でした。


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