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 大宮を出ると、次はいよいよ終点の上野です。大宮から先の区間は、毎日のように乗る区間ではないとはいえ、何度も通過して飽きてしまっているようなところなので、最後にもう一度車内探索に出かけることにしました。そして、「今なら営業終了後の無人の食堂車を撮れるかも」と思って、ダイニングカーにやってきましたが、そういえば、カシオペア号の食堂車では、営業を終えると入り口が閉められてしまうのを忘れていました[①]

 編成の一番端にある12号車のラウンジカーまでは遠く、おまけに既に2度訪れているので、結局、特に”探索”に乗り出すこともなく、食堂車の廊下でずっとボーっとしていました。食堂車の廊下は、個室とは反対側にあり(=逆側の車窓が見られる)、上を仰ぎ見るように眺めを見たり[②]、2階建て車両の1階部分に相当する低い位置からの眺めも見たりできるので、居ていて意外と楽しいです[③]

 廊下で何をすることもなく立ち尽くしていると、もうしばらくで終点の上野に到着するという車内放送が流れ始め、カシオペア号についての簡単な紹介もなされました。そして、走行音に掻き消されてあまりよく聞こえなかったのですが、その車内放送を流している車掌は、このカシオペア紀行への乗務をもって引退するとのことで、期せずしてひとりの車掌の最終乗務に立ち会っていることが分かりました。

 尾久車両センターに至ると、終点の上野はもう間近です[④]。次いで、機関車が配置される田端運転区が見えてきますが、両車両基地は、隣接するというよりもむしろひとつながりのようになっていて、どこからどこまでがどちらなのかを一目で判断することは困難です[⑤]。なお、北斗星号とカシオペア号を牽引していたEF510形は、その定期的な運転の終了に伴い、全機がJR貨物に売却されたため、ここにはもう1機もありません。

 そして、驚異の複複複複々線(10線)区間を抜け、山手線や常磐線の高架線に別れを告げて地上線に入ったカシオペア号は、機関車も併せて合計13両という長い編成を大きく曲げて、ゆっくりと地上ホーム・13番線に進んでいきます[⑤]。窓越しに見えるこの眺めは、ある意味で、「上野駅に到着する夜行列車の儀式」のようなものであると私は考えていて、北斗星号に乗ったときにも拝んでいました












































 2016年12月31日、11:52。札幌から約19時間10分という長旅を終えて、カシオペア号は、終点の上野に時刻通りに到着しました[①]。途中の郡山を14分遅れで発車してしまうという出来事もありましたが、それにもめげずに定刻での完走を果たしました。以前とは異なり、”函館での息抜き”などもしていないので、まさに19時間以上ぶりの「外」であり、ホームに降り立ったときの「これで終わりか」という一種の達成感もひとしおです。

 そしてホームに降り立つと、ほどなくして、どこからともなく歓声と拍手が。その発生源は、例の今回で引退する車掌のそばでした。有志か、あるいは親族か、とある人から記念の花束を受け取ると、その盛り上がりは最高潮に達しました[②]。単にこれで引退するからなのか、カシオペア号の運転開始当初からの担当車掌なのか、あるいは何らかの理由で”有名人”だからなのか、とにかく大変な祝福のされようでした(窓の映り込みを参照)[③]

 最終乗務の完遂を出迎えるべく、ご家族の方々がお出迎えに来ていらっしゃったようで、花束を受け取った後は、ご家族との記念撮影タイム[④]。明らかに特定の人物を狙い打った写真で、そのうえ取り立てて著名な人物というわけでもないので、お顔は特製ヘッドマーク画像にて隠しておりますが、このときの車掌氏は、涙こそ流していなかったものの、その眼はだいぶ赤くなっていました[⑤]













































 上りのカシオペア号では、五稜郭〜青森間を除き、展望スイートの前には機関車が聳えます[①]。機関車の細部や息遣いを独占できるという点では、鉄道が好きな人にとってはたまらないことでしょうけれども、それでも私は、やはり後面展望がしたいと思います。そうすると、当然、乗るべきは下りの展望スイートですが、どうせ考えることは皆同じであるはずで、競争率は上りの比ではないはず。

 今回は、鉄道ファンからの人気も高い95号機が起用されたため、沿線各地はもちろんのこと、終点の上野駅でも、乗っていた人・乗っていなかった人の双方からカメラを向けられています[②]。EF510形は既に全機が売り払われているため、カシオペア紀行では、かつてのEF81形が使われますが、E26系とEF81形の車齢のことを考えれば、カシオペア紀行の”寿命”は、EF81形に因る部分も大きいかもしれません。

 この後、列車は、尾久に向けて回送されていきますが、尾久へは、上野駅伝統の「推進回送」にて進んでいきます。そのための準備は既に進められているようで、EF81形には、尾灯が灯っていました[③]。JR貨物の機関車ゆえに、ヘッドマークを取り付ける台座がないということなのか、DF200形とEH800形の牽引区間では、ヘッドマークがなかったカシオペア号ですが、EF81形には、見慣れたあのヘッドマークがきちんと掲げられています。

 冬場に走る上りの北斗星号・カシオペア号は、雪国を走行中に纏った雪を残したまま関東にやってくることが多々あり、それは冬の風物詩として親しまれていました。しかし、残念ながら、今回は雪は全くありませんでした[④]。一応12月も最後の日ですが、東京に来てまで雪が残るには、ちょっと気温が高かったということでしょうか。2月ならばまた違う結果になっていたかもしれません。

 EF81-95を特徴づける最大の要素は、車体の側面に大きく描かれた「EF81」の4文字です[⑤]。かつての特別なトワイライトエクスプレスの運転では、わざわざトワイライト色に塗ったEF65形が用意されましたが、カシオペア紀行では、特にそのようなことはされていません。特別な〜とは異なり、もうしばらくの運転は確約されているはずですから、ここはひとつ、懐かしきカシオペア色のカマを用意してくれれば・・・。



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