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 新幹線の高架橋が遠ざかっていきます[①]。このあと、津軽線は海沿いの区間を走行し、新幹線は内陸の区間を走行していきます。しかし、前者も、海の間際はほとんど通らないので、意外と線形は良いようです。

 地面に目をやると、そこには幅の狭い狭軌の線路だけが敷設されていて、三線軌条区間が終了したことを改めて実感します[②]。これは新在分離直後の複線区間(信号場内)ですが、津軽線は、全線で単線となっているため、この後、今見えている下り用の線路がなくなり、単線区間に入れば、「在来線の津軽線」に入ったことを、より強く感じることになるでしょう。

 この辺りは、一般的に言う「津軽平野」には含まれない場所ですが、しかし津軽線内では、辺り一面に広がる水田地帯を眺められます[③]。これはまだ蟹田に達する前の写真ですが、蟹田の先にある郷沢からは、それが顕著になります。航空写真で見ると、西から山〜水田地帯〜線路〜住宅街〜海という構成になっていて、とりわけ、津軽線の線路が水田地帯と住宅街を見事に分かつ様は、なかなか面白いです。

 津軽線は、1951年に青森〜蟹田間が開業したという、意外と歴史の浅い路線ですが、当時の市街地の端に沿って線路を敷設したのか、それとも何もないところに敷設し、その後に、線路よりも海側の区域だけが居住区としての開発が進んだのか。その答えはいかに。

 列車はゆっくりと速度を落とし、駅構内に進入していきます[④]。カシオペアデラックスは、12両編成ある中の2号車(五稜郭〜青森間では後ろ寄り)に位置しているため、このようにカーブに差し掛かると、長い編成が弧を描く様がよく見えます。そうして0:47に到着したのは蟹田です[⑤]。以前なら、乗務員交代のための運転停車と言えましたが、カシオペア紀行では、機関士も車掌も、JR北海道の人が青森まで通しているような気がします。













































 3分の停車の後、列車は0:50に蟹田を発車しました[①]。乗務員交代の有無は結局のところ不明ですが、”かつてと同じように”蟹田に運転停車し、発車していくと、これがカシオペア紀行という特別な団体列車であるという感覚は薄くなります。それこそ、今でもカシオペア号が普通に走っていて、自分はそれに乗っているのではないか、と。どうせなら、南千歳を通過したように、蟹田も本当に通過してくれれば・・・。

 カシオペア号は津軽線を南下しながら、次なる停車駅である青森を目指します[②]。かつて、青森〜函館間は、それを構成する津軽線・海峡線を総称して「津軽海峡線」と呼ばれ、本州と北海道を結ぶ列車が多数往来していましたが、今となっては、在来線の旅客列車は、1本たりともありません。こうしてカシオペア紀行に乗って津軽線を走っていると、北海道新幹線開業以前の日々が思い出されるかのようです。

 ・・・とはいえ、以前なら、上りのカシオペア号にでも乗れば、その道中で、北斗星号やトワイライトエクスプレス号、はまなす号、そして貨物列車との出会いがありましたが、今やそれらの旅客列車はなく、貨物列車も、ちょうど年末年始の運休期間なのか、五稜郭からここに至るまで、全く遭遇していません(”だからこそ”、カシオペア紀行が運転できるわけですが)。深夜の津軽海峡線を一人ぼっちで走っても、そこに”かつての栄華”はありません。

 青森駅付近特有の(と、私は勝手に思っている)、一軒家ばかりが立ち並ぶ住宅街の間を走る区間に入ると、まもなく青森です[③]。そして、これまた青森駅手前特有の(あくまでも個人的なイメージ。別に他の駅にだってある)、ナトリウムランプによって橙色に照らされる駅構内にまで達すると、今度こそ、カシオペア号は本当に青森に到着します[④]

 そして、青森到着直前に、窓越しに大きく現れた「EF81」の文字[⑤]。青森駅構内では、この後青森〜上野間における牽引を担当するEF81形が既に待機していますが、今回の上りカシオペア紀行では、ファンからの人気も高い95号機(通称・レインボー機)が充てられたようです[⑥]。学校も会社も休みとなっている今日12月31日、95号機が登板するとなれば、これは有名撮影地に多くの撮影者が出没する予感が・・・。













































 そうして、カシオペア号は、1:15に定刻で青森に到着しました[①]。最終列車はとっくのとうに出て行っているため、ホームの照明は既に落とされていました。恐らく、この時間帯は駅構内も閉鎖されていて、写真撮影のためにホームに出てくる、といったことも不可能でしょう。

 青森到着に先駆けて、五稜郭のときと同じように、予め12号車のラウンジカーに出陣しておきましたが、やはり展望窓付近には、深夜でも元気な人たちが集まり、EH800形の解結作業を見守っていました[②]。深夜帯の五稜郭〜青森間のみを牽引し、ヘッドマークはつけてもらえず、人目につかないトンネル区間も多いなど、まさに「ひっそりとした」活躍となるEH800形ですが、乗客たちは、その雄姿をしっかりと目撃していました。

 E26系から切り離されたEH800形は、入換灯を点灯させた状態で列車から離れていき、海に向かって突き出している機回し線に向かいます[③]。青森駅そのものも、埋立地に跨り、やや海にはみ出していますが、機回し線は、その青森駅から単線で延長して伸びているので、まさに「海の上にある」ような状態となっています。列車内からでは分かりにくいのが残念です[④]

 機回し線に進んでいったEH800形は、所定の位置で停止すると、すぐに機関士が反対側の運転室へと移動し、こちら側の前照灯を灯らせます[⑤]。そして準備が整うと、EH800形は車両基地へ向けて回送され、青森駅の側線を通過し、闇の中へと消えていきました[⑥]



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