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 釜石〜宮古間の途中駅の訪問を完了し、時間が余ったため、宮古市内にあるシートピアなあど(=道の駅みやこ)にやってきました。単なる時間潰しのため、建物の中には入らず、適当に海を眺めるだけにします。建物には、やはり津波の浸水深を示す標示がありましたが、海を眼前に控える場所に位置するということもあってか、その浸水深は、これまでに見てきたどの標示よりも高いところにありました[①]

 平日の昼間で、宮古市街から外れたところ(しかも釜石〜宮古のルート上に乗らない)にあるということもあってか、車は少ないものでした[②]。駐車場のすぐ目の前には、もう海が広がり(厳密には閉伊川と海が合流するところ)[③] [④]、向こうに聳え立つ山々とも相まって、三陸地方の沿岸部で織り成される複雑な地形の一端を観察することができます。

 ここでもやはり、ウミネコが空を行き交います[⑤] [⑥]。空が暗いため、感度を上げての撮影にせざるを得ず、画質はイマイチ。こうして一眼レフを持っていることからも分かるように、私は、カメラも好きですが、鉄道趣味に注力する時代が終わったら、次はカメラに興味・関心でも向けてみようかなと思います。当面の目標は、新型のEF100-400mmを手に入れることでしょうか。安くても22万円くらいはする代物ですが・・・。

 釜石から運転してきたマークXとそろそろお別れするため、再度その佇まいを観察[⑦] [⑧] [⑨] [⑩]。もっとも、車に興味が出てきたといっても、気筒数の差がどうとか、トルクとか、ハンドリングとか、そんなものはさっぱり分かりませんし、マニュアル車を運転したいとも全く思いません。マークXを選んだ理由も、性能面が云々ではなく、ただただ単純に「カッコいい」「セダン」「排気量が大きい」など、その程度のものです。

 宮古のトヨタレンタカーに返却する前に、駅の近くのガソリンスタンドで給油をしましたが、入った量は5.5Lでした。一方、走行距離は62km。トヨタの公称では、2500cc・AWD車の場合、燃費は10.6km/Lとしていますが、実燃費は、62/5.5=11.27km/Lであり、公称値を上回りました。通常、車の実燃費というものは、公称値を下回ってしまうものですが、結果的には、随分と良い数字を出してくれました。途中からスポーツモードにもしていたのに。



















 マークXを返却し、宮古駅へやってきました。宮古「市」というだけあって、街らしい街並みが広がります[①]。釜石も「市」でしたが、駅と市街地は離れていて、駅前からすぐに街並みが広がるという状況ではありませんでした。それと比較すると、宮古の場合は、駅が中心となって街が形成されていくため、釜石駅前よりも賑わいを感じます(特に人の数が多めか)。

 JRの宮古駅とほぼ隣接して[②]、三陸鉄道の宮古駅が設置されています[③]。ちょっと見にくいですが、釜石駅と同様にネーミングライツによる愛称名が導入されていて、その名は「5きげんみやこ駅」。由来は、テレビ岩手のローカル情報番組、「5きげんテレビ」です。

 JR側の駅舎の内部[④]。自動券売機が1台あり、その横の自動扉を開けると、みどりの窓口がありますが、宮古駅のみどりの窓口は、なぜか4:45という早朝から営業を始めており、大都会の駅よりもよほど早く開きます。自動券売機がなく、全ての切符を窓口で発行しなければならないというのであれば、宮古5:07発の盛岡行きという列車もありますし、分からなくもないのですが、現にそこに自動券売機はあるわけで・・・。

 発着する列車が一切なく、何も表示しない釜石・花巻方面の発車標[⑤]。この状態のまま5年以上の歳月が経過しました。一方、茂市・盛岡方面、即ち、山田線の宮古〜盛岡間に関しては、営業ができているため、列車の発着があります。通電した発車標には、次に発車する列車の表示が。これから乗車するのは、15:53発の川内行きの普通列車です[⑥]

 ・・・が、しかし、現在のところ、山田線の列車で宮古から盛岡へ行くことは不可能です。それは、2015年12月に発生した土砂災害の影響で、途中の上米内〜川内間が不通となってしまっているためです[⑦]。山田線は、盛岡〜上米内・川内〜宮古間でそれぞれ折り返し運転を実施し、山田線と共に盛岡〜宮古間を結ぶ路線バス、106急行バスへの振り替えが実施されています。

 JRが直々に出している代行バスであれば、宮古〜盛岡間をバスで移動したとしても、それを山田線の乗車として認めるのにやぶさかではありませんが、いくらJRが認めた「振り替え」といっても、路線バスではちょっと・・・。そこで、今回は、「上米内〜川内間は飛ばすとしても、とりあえず、鉄道で動いている盛岡〜上米内・川内〜宮古は、きちんと鉄道で乗れ」という命令を自身に下しました。

 そんなわけで、15:53発の川内行き(本当は盛岡行き)に乗り、ひとまず川内を目指します。駅の裏手には、工事資材や機材が置かれ、いかにも、これから何かを造るという雰囲気を漂わせていましたが、何を造るつもりなのかといえば、宮古市役所の新庁舎とのこと[⑨]。駅前にあるデパートに入居した石巻市役所のように、駅からすぐのところに行政の庁舎があれば、何かと便利なのは間違いなさそうです。

 駅名標を見ると、不通区間側の隣駅、「そけい」は、テープなどで隠されず、そのまま表示されていました[⑩]。三陸鉄道へ移管されるとはいえ、釜石〜宮古間は、鉄路での復旧が約束されました。「そけい」を隠していないところを見ると、まもなく訪れる復活のときが待ち遠しくなりそうです。























 キハ110系の単行列車に乗り、川内を目指します[①]。川内行きというのは[②]、土砂災害による不通区間の発生によって新たに現れた「行き先」のように感じられてしまいますが、上米内〜川内間は、峠越えをするために需要が少なく、土砂災害の発生以前から、宮古発川内行きという列車は設定されていました。逆に、盛岡発上米内行きという列車も、同様に設定されていました。

 宮古を出た列車は、西へ向かって進んでいきます[③]。最初のうちは、比較的街になっているところを走りますが、それも最初の停車駅の千徳までで、千徳を出ると、民家もまばらなところを走ったり、山に茂る木々の枝が眼前に迫るようなところを走ったりします[④]

 山田線の線路も、そして道路も、閉伊川との付き合いを続けます[⑤]。宮古を出てからというもの、山田線は、区界から宮古にかけて流れる閉伊川に付き添うように線路が敷設されています。盛岡(内陸部)と宮古(沿岸部)の間には、北上高地が聳え、いくつもの山々が絶え間なく並びます。そんな北上高地を通る閉伊川は、山々を切り開くように流れ、その周辺に僅かな平地を造り、山田線は、その平地を追うように走っていくのです。

 列車は16:13に茂市に到着しました[⑥]。山間の小駅ですが、かつては、ここで岩泉線と接続していました。同線は、土砂災害によって2010年7月末に不通となり、以降、バスによる代行輸送(JRによる)となりましたが、2014年4月1日付で、正式に廃線となりました(東日本交通の路線バスへ)。この写真の奥に見える線路(車庫に入らないもの)は、分岐する旧岩泉線の線路ですが、この先の線路は、まだ残っているのでしょうか?[⑦]

 この列車に乗り込んでからずっと気になっていたこと。この車両、ただのキハ110系であるはずなのに、なぜか、クロスシート部にテーブルが設けられています[⑧] [⑨]。この「テーブルつきキハ110系」はいったい何なのかというと、山田線を走るキハ110-100を対象に、「車窓風景を眺めながらお食事をお楽しみいただけるように(盛岡支社)」ということで、テーブルを設置し、2015年10月から走らせているもののようです。

 なるほどこれならば駅弁なども食べやすくなり・・・ますが、上米内〜川内間が不通となっている今、盛岡〜上米内間の15分、川内〜宮古間の1時間弱の乗車時間では、わざわざ駅弁などを広げて食べることはなさそうです。現状、ほぼ宝の持ち腐れ状態でしょうか。盛岡〜宮古間を通しで走り、乗車時間が2時間を超えようかというときにこそ、初めてその真価が発揮されそうです。

 右へ行ったり左へ行ったり、振り子式車両でも欲しくなってしまうような山田線ですが、ほぼ並行して走る国道106号線も、お世辞にも恵まれた環境の道路とは言えません[⑩]。国道106号線から外れたところを通っている生活道路はもっと大変で、中央線を引いてもらえていなかったり、対岸へ渡る橋が物凄く細かったり(明らかに車1台分の幅しかない)[⑪]

 16:41に到着するのは箱石です[⑫]。いかにも山田線という風情の小さな駅であり、乗降はありませんでした。待合室の入り口扉に貼られた発車時刻表を見てみると、上りが1日に5本、下りが4本という本数しかありませんでしたが、この少なさは、1日に1.5往復が運転される快速リアス号が通過してしまうためでもあります[⑬]。箱石の次は終点の川内で、列車は定刻で到着しました[⑭]


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