Page:33

※各画像はクリックすると拡大します。



















 10:51に到着するのは区界です[①]。東北地方の駅としては最も高い、標高744mに位置する区界は、文字通り山奥にある駅で、ここ近年の1日平均の乗車人員は1〜3人程度ですが、有人駅であり、列車の発着時には、やはり駅員が出てきます[②]。区界は不通区間に含まれていた駅で、駅舎には「お帰りなさい 山田線」の横断幕がありました。

 全体的に山間部の辺鄙なところを走る山田線ですが、その中でも、区界〜上米内間はとりわけ強烈であり、この区間では、人家もほとんど見当たりません。以前は、同区間に浅岸・大志田という2つの駅がありましたが、あまりにも利用客数が少なく、2016年3月のダイヤ改正で廃駅となりました(前年12月から冬季休業に入ったため、実質の最終営業日は2015年11月30日)。

 旧大志田駅の手前で、「第1大志田トンネル」に入りました[③]。駅そのものは廃止されてしまっても、大志田の名がこのような場所に残っていました。そして駅の跡地はどうなっているかというと、恐怖感満点の廃屋と盛岡保線技術センターの休憩室が残っていたものの[④]、「あるいは」と期待していたホームや待合室は、既に跡形もなく撤去されてしまっていました[⑤]

 区界〜上米内間25.7kmの長い駅間を走り終えると、列車は上米内に到着し、ここで宮古行きの快速リアス号と列車交換を行います[⑥]。ここから先は2016年3月にも乗車した区間となりますが、あのときは、宮古〜川内は列車、川内〜茶畑公園(バス停)は106急行バス、茶畑公園〜上米内はタクシーと繋ぎ、上米内から再び列車というウルトラCを実践しました・・・。

 上米内からは盛岡市の近郊に入るため、車窓に見える住宅の数も増えてきます[⑦]。実際、上米内〜盛岡間は、通勤・通学における需要が結構あるため、同区間のみを走る区間運転の列車が朝に2往復設定されているほか、以前は、それに加えて、社会実験としてさらに夜に2往復を追加で運転していた時期もありました。

 「岩手山を背景に北上川を渡る山田線」は、鉄道写真の有名な構図ではないかと思いますが、そこは”山田線の車内”からも、素敵な名車窓を楽しめる区間でした[⑧]。宮古を発車して以来、街という街がなかった山田線がようやく手に入れた都市的な眺めは、都会でありながらも山や川といった自然に恵まれていて、まさに杜と水の都:盛岡を象徴する車窓です。

 そして東北新幹線の高架橋が見えてきて[⑨]、列車は終点の盛岡に到着しました[⑩]。106急行バスに対しては劣勢に立たされている山田線ですが、今回の快速リアス号における2時間3分という所要時間、そして宮古〜盛岡間1940円という運賃は、106急行バスの2時間15分、2030円という数値にそれぞれ勝っています(まあ、「だから?」で済まされる程度の違いですが)。

 この後、13:51発の宮古行きの快速リアス号がありますが、列車は「回送」表示となっていました[⑫]。どうやらこのまま折り返すわけではないようです。そして発車標を見ると、次のリアス号は1両で運転されるということが分かりました[⑬]。一度引き上げて切り離しを行い、それから再度入線してくるのかもしれません。しかし1両って、それこそまさにバス1台みたいな・・・。

 在来線における盛岡駅は、東北本線・いわて銀河鉄道線・好摩接続の花輪線・田沢湖線・山田線の実質5路線が集う、まさにターミナル駅です。東北本線と旧同線のいわて銀河鉄道線は、さすがにそれなりの本数がありますが、花輪線と田沢湖線(こまち号を除く)は1時間に1本もありません。しかし、それらを越えて本数が”寂しい”のは、我らが山田線です[⑭]












 盛岡からは新幹線に乗り、大宮へ向かいます[①]。日中のはやぶさ号・こまち号は、基本的に1時間に1本しか運転されていませんが、先ほどのリアス号が11:33に盛岡に到着し、11:50にはやぶさ・こまち16号があるということで、適度な待ち時間で乗り換えることができました。

 私ははやぶさ号の方に乗りますが、盛岡でこまち号との連結作業を行うため、11:44には盛岡に到着しています。そのため、私が11番線ホームに上がったときには、列車は既に到着済みでした[②]。思わず「早く乗らないと」と焦りそうになりますが、心配することはありません。発車まではもう少し時間があります。

 行きのこまち号で進行方向左側のD席に座ったため、帰りのはやぶさ号でも、進行方向左側のA席を選びました。このようにすることで、行きと帰りで両側の車窓を見ることができるというわけです[③]。そのため、行きのこまち号では見ることができなかった、仙台の新幹線総合車両センターの車両基地を見ることもできました[④]

 大宮までの途中停車駅が仙台のみのはやぶさ16号ということで、福島と宇都宮でそれぞれ前を走る列車を追い越します[⑤]。現状、はやぶさ号には特別料金の加算がありますが、盛岡〜大宮間で仙台にしか停まらない便ならば、まあ一応追加料金を払う気にもなれます。しかし、中には盛岡〜仙台間が各駅停車という便もあり、それに特別料金を払う価値があるかというと・・・。

 盛岡から1時間48分で下車駅の大宮に到着しました[⑥]。今回の旅は実はまだ続いていて、この先の乗り継ぎをするには大宮で降りる必要があったため、下車駅を大宮としましたが、例え真っ直ぐ帰る場合でも、盛岡から乗車した場合、大宮で下車すると、上野で下車するよりも新幹線特急料金が330円安くなります。それゆえ、もう直帰だとしても、私は大宮で降りています。












 大宮に到着しました[①]。ここまで来ると、雰囲気的には、もう旅も終わりという感じで、本当に帰路についているのであれば、恐らくここで「残りの自宅までの道のりは省略」としているところかと思いますが、実は、今回の旅はまだ終わっていません。関東まで戻ってきましたが、まだ訪れるべき場所が残っています。

 13:55発の京浜東北線の快速列車に乗車し[②]、南浦和へ移動します[③]。次に乗るのは武蔵野線ですが、せっかく南浦和に来たので(普段の大規模な旅では、関東圏内でこういった”途中の駅”で降りることはあまりないですから)、途中下車をして改札外に出てみました。といっても、特に行くべきところはなく、下車印を押してもらったわけでもないのですが・・・。

 乗車人員そのものも比較的多いですが(6万人弱)、武蔵野線との接続駅ということで、改札内を移動している乗り換え客も含めれば、相当な人数の人が南浦和駅を利用していることになります。しかし、その割には、駅舎は極めてコンパクトであり、必要最低限の体積しかありません[⑤]。こちらは西口ですが、いわゆる”裏口”というわけでもなく、反対側も小ぢんまりとしています。

 武蔵野線の205系が見えました[⑥]。JRに入ってからも製造が続き、首都圏の至る所で見られた205系も、山手線からいなくなった・・・と思えば、京葉線からいなくなり、南武線からいなくなり(浜川崎支線には残る)、埼京線・川越線からいなくなりと、いつの間にかすっかり数が減りました。武蔵野線は、205系の数少ない牙城ですが、これも置き換えが始まろうとしています。

 「南浦和駅周辺案内図」[⑦]。といっても、商業施設等が掲載される「地図」ではなく、これでは道路の入り組みと地割しか分かりません。1989年3月時点の内容のもので、「浦和市」とあったであろうところに「さいたま市」のシールを貼ってまで使い続けているようですが、そろそろ新しいものに取り換えても良いのではないでしょうか・・・。


TOP                    10  11  12  13  14  15  16  17  18  19
20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  32  33  34  35


DISCOVER どこかのトップへ

66.7‰のトップへ