Page:10

※各画像はクリックすると拡大します。



















 普通列車で鹿児島中央駅に戻ってくると、普通列車が到着した隣の番線に、特急指宿のたまて箱号が停車していました[②] [③]。JR九州には、キハ47形の改造車による特急列車が複数ありますが、なぜまた両開き扉でデッキのないキハ47形ばかりを種車に選ぶのでしょうか。百歩譲ってキハ40系を特急列車にするとしても、せめて片開き扉でデッキ付きのキハ48形でなければ・・・。

 行き交う人の多さは、都市ならではの活気にあふれた息吹を感じさせます[④]。都市の規模としては熊本に劣る鹿児島ですが、先ほどの熊本駅とは異なり、鹿児島中央駅は、市街地の中にあり、1日平均の乗車人員も、約15000人の熊本駅に対してこちらは約20000人弱と勝っています。

 鹿児島中央駅には、過去3回(2015年8月、2013年8月、2009年8月)訪れていますが、以前はダイエーだった駅前のスーパーが、いつの間にかイオンに成り代わっていました[⑤]。ある場所に一定の期間を置いて複数回訪れる中で、こういった「知らないうちに起こった変化」を発見することは、私の旅における醍醐味の一つです。

 鹿児島には路面電車がありますが、その軌道の一部は緑化されていました[⑧] [⑨]。今は冬なので、特にそのありがたみを感じることはありませんが、夏季には、緑化による温度上昇抑制の効果が如実に表れるはずです。・・・と、これは誰でも思い浮かぶ”効果”ですが、この芝生は、どうやら音もかなり吸収してくれるらしく、騒音低減も実現しているそうです。

 観覧車といえば鹿児島中央駅、鹿児島中央駅といえば観覧車。どちらを起点にしても自然と導き出されるこの結びつきは、まさに鹿児島中央駅を象徴する光景のひとつです[⑩]。観覧車に乗れば、鹿児島の市街地はもちろんのこと、遠くに見える桜島や眼下を通る新幹線など、鹿児島中心部の風景を存分に堪能することができます。

 鹿児島中央からは特急きりしま12号に乗り、宮崎を目指します[⑫]。今回の旅は、南から北まで、日本全国を踏破する長旅になりますが、適宜普通列車に乗り、途中の駅でふらりと下車し、地元の人たちと触れ合って・・・などというテレビ番組のような真似はできないので、鹿児島中央から宮崎まで、特急列車に一気に突っ走ります。

 留置線に415系が停車していました。それも白い鋼製車[⑬]。我が地元の常磐線では、415系鋼製車は、2007年3月のダイヤ改正で全て引退し、それ以降も残った415系は、全てステンレス製の1500番代でした(これも2016年3月のダイヤ改正で引退)。1500番代に遭遇したとしても、それなりの懐かしさを感じるはずですが、その懐かしさは、白い鋼製車との遭遇ではひとしおになります。

 きりしま12号は787系での運転です[⑭]。派手で、奇抜で、木やレタリングを使用してばかりの”(最近の)水戸岡製車両”ですが、近頃のその手の車両に見慣れると、「787系は彼がデザインした」と言われても、それを信じられない人も多いことでしょう。そう、787系のデザイン担当者は、実はあの水戸岡鋭治。外装も内装もだいぶ真っ当で、(相対的には)硬派で落ち着きのある車両です。



















 きりしま12号に乗車します[①]。乗るのはこちらの車両ですが・・・、グリーン車には乗りません。今回は普通車指定席です[②]。きりしま12号は4両編成で、1号車がグリーン・指定、残りの3両は自由席。そのため、先ほどのさくら号と同様に、「半室の普通車指定席」に乗ることになりましたが、これは単なる偶然というか必然で、またまた「半室指定席」を選びに行ったわけではありません。

 最初の停車駅は鹿児島です。日豊本線も、大分以南は全面的に単線区間となっているため、随所で列車交換が行われます。ここでも、鹿児島中央行きの特急きりしま9号と行き違いしました[③]。鹿児島駅は、JR貨物の鹿児島貨物ターミナル駅が隣接しているため、ここで九州を走る貨物列車に使用されるED75形やEF81形といった機関車の姿を見ることもできます[④]

 やがて海沿いの区間に入り、桜島の姿が見えてきました[⑤]。今日はまずまずの天気のため、その立ち姿もより一層映えます。ところで、九州新幹線の列車名の公募の際、私は「”さくら”じま」にもひっかけて「さくら」で応募し、実際にさくら号が採用されましたが、私と全く同じ考え(桜島にかける)をしていた人はどれくらいいるのでしょうか?

 竜ケ水駅を通過します[⑥]。しかし、普通列車にも通過列車があるため、「特急だからこその」通過という感はありません。竜ケ水駅を通過すると、引き続き海沿いの区間は続きますが、桜島が見えなくなるような方向に向かってしまうため、車窓には海だけが残ることになります[⑦]

 国分を出ると、列車は山間部へと進路を取り始め、「山奥」といわんばかりのところを走るようになります。国分の次は霧島神宮で[⑧]、ここも山中にある駅ですが、国分とは12.7kmもの駅間距離があり(JR九州の在来線では最長)、国分と霧島神宮の間に「溝」があることが分かります。霧島神宮駅では、屋根の骨組みは赤く塗装されており、神社を思わせる造りになっています[⑨]

 国分〜財部間は非常に山深く、駅周辺以外では人家が全く見られない、という区間も珍しくありません[⑩]。国分〜宮崎間は、特急列車も含めて、区間の最高速度はたったの85km/hに抑えられていて、そのうえこんな場所を走っているとなると、単線であることも含め、とても「日豊本線」という一大幹線であるようには思えなくなってきます。

 西都城に着きました[⑪]。2009年8月に下車したことがありますが、当時は、はっきり言って極めて薄暗いうえに汚く、廃墟のような雰囲気さえ漂わせていましたが、2017年11月に改装が完了し、だいぶ綺麗になっていました。ホームの屋根や柱を見るだけでも、それが分かります。私が訪れた当時は、それはもうひどかった・・・。

 きりしま12号には、ある見所があります。それは、清武駅を通過することです[⑫]。清武駅は、きりしま12号・11号以外の全ての列車が停車するという駅で、そのような駅を通過する光景は貴重です。九州新幹線の開業に際して、当時は全列車停車だった清武を通過する特急を1往復設定し、それによって「鹿児島中央〜宮崎は最速1時間59分!」と大々的に宣伝しました。

 昔から、宮崎地区は”放置”されがちで、、陸の孤島などと呼ばれることもあったので、「宮崎にも新幹線の効果は波及する」ということを伝えたかったのでしょうが・・・、1日1往復しかない列車による”記録づくり”は、大抵後に形骸化するもの。現在、きりしま12号は、鹿児島中央〜宮崎間を2時間1分で走り、同11号は2時間2分で走っていて、いつの間にか「2時間切り」は過去のものになりました。

 16:16に南宮崎に到着[⑬]。隣の番線には、海幸山幸号用のキハ125形が停車していました。日豊本線を走る特急列車では、宮崎空港・南宮崎〜宮崎間において、乗車券のみで特急列車の普通列車に乗れるという特例があるため、きりしま12号の自由席には、ここ南宮崎から多くの乗車があったようです。

 南宮崎の次は終点の宮崎です[⑭]。2時間1分の道のりが終わりました。



















 宮崎駅です。駅名標は水色で縁取られていて、これがひとつ宮崎駅の特徴ともなっています[①]。見ての通り、駅は全面的に高架化されていますが、これは1993年完工のものだったので、この近代的な高架駅と寝台特急富士号との組み合わせが、しばらくの間見られていたということになります(富士号は1997年に南宮崎発着から大分発着に短縮)[②]

 かつて、宮崎は新婚旅行のメッカと呼ばれていたそうですが(1995年生まれの私は、そのような時代は当然知らない)・・・、そんなものはさすがに過去の話。しかし、プロ野球のキャンプにおいては、宮崎は今でもメッカです。この2月、各球団は春季キャンプに入っていますが、宮崎にも広島・西武・巨人・ソフトバンク・オリックスの5球団がやってきています[③] [④]

 よく「南国」と言われる宮崎ですが、同じ日本国内、それも寒い2月となれば、「南国らしさ」を駅前に見出すのは困難です。しかし、随所に生い茂るヤシの木を見ると、なるほどここはやはり南国宮崎か、と思わされます[⑤] [⑥]。とはいえ、街行く人々の姿は、さすがにだいぶ着込んだものばかりで、そこはさすがに”冬”そのもの。

 休日ともなれば、ひいきの球団のキャンプを見るために、県内外から(むしろ県外からが中心か?)多くのファンがやってきます。それに対応してか、巨人・オリックス・ソフトバンクの3球団については、どのバスに乗れば良いのかが分かるよう、球団のロゴやマスコットの画像を用いた専用のバス停が建てられていました[⑧](広島・西武は、宮崎駅から遠いからか、直行のバスはなし)。

 こちらは変わって東口[⑪]。市街地とは反対側の出口であり、基本的には住宅街が広がっています。目立つほどの大きな建物はといえば、1軒のホテルくらいです。なお、旅程を練り始めた当初の予定では、今日の移動は宮崎で終了する予定でしたが、「16:20で終了するというのも、時間の使い方として、ちょっともったいないのではないか」と思ったため、今日はこの後延岡まで行きます。

 17:04発の高鍋行きに乗車し、佐土原まで移動します[⑫]。「延岡に行くと言っておきながら、なぜ普通列車で佐土原?」という疑問の声も上がりそうですが、これは、17:31発の特急だと宮崎での滞在時間がいたずらに長くなりすぎてしまうことと、特急への乗車区間を佐土原〜延岡に抑えることで、料金区分が「100kmまで」から「75kmまで」になり、少し節約できるということによります(私は案外ケチでもある)。

 宮崎駅で降りるのは約8年半ぶりですが、当時は有人改札だった宮崎に、ついに自動改札機が導入されていました[⑬]。その導入の7日後からは、宮崎地区でのSUGOCAの運用も開始されたため、ICカードに対応した自動改札機ともなっています。もっとも、出札補充券で移動している私は、どこの駅においても、自動改札機のお世話になることは全くありません(笑)


TOP                    10  11  12  13  14  15  16  17  18  19
20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  32  33  34
35  36  37  38  39  40  41  42  43  44  45  46  47  48  49  50
51  52  53  54  55  56  57  58  59  60  61  62  63  64  65
66  67  68  69  70  71  72  73  74  75  76  77  78  79  80  81
82  83  84  85  86  87  88  89  90  91  92  93  94  95  96
97  98  99  100  101  102  103  104  105  106  107  108  109
110  111  112  113  114  115  116


DISCOVER どこかのトップへ

66.7‰のトップへ