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 さすがに造船の街と申しますか、呉市内では、造船所のクレーンが車窓にも現れます[②]。私自身は、家系のとある事情から、造船の街と所縁が深い人間なので、このような「造船の街の風景」は、殊更に珍しいものではありませんが、やはり、「大きなものを造っている(光景)」ことは、単純にワクワクするものがあります。

 安芸阿賀〜広間で渡る黒瀬川[③]。件の西日本豪雨では、この川もかなり暴れたようですが、今回の旅をしていたのは2018年2月ということで、川も普段通りの様子でした。川幅は約220mで、なかなかの”渡り甲斐”があります。

 広駅の手前で、進行方向右側に、何やらボンベのようなものがたくさん置かれたホームが現れます[④]。ここは、LPガスのボンベやガスタンク、各種容器の製造等を手掛ける中国工業という会社の工場で、そこに見えている線路は、かつてこの工場へ引き込まれていた専用線の名残です。現在は、この専用線は廃止されていますが、線路や施設は残存しているようです。

 広駅は、呉線の列車運行上の拠点となる駅で、広より広島側は基本毎時3本、三原側は毎時1本となります。そのため、駅構内には留置線が設けられていて、ここで休憩中の105系と遭遇しました[⑤]。105系はオールロングシートの車両なので、多客を捌くにはもってこいだろうと思いますが、呉線の随所で展開される瀬戸内海の景色を見るのには、ちょっと向いていません。

 仁方を通過した後に見られる立派な吊り橋は、「安芸灘大橋有料道路」です[⑥]。本州本土と瀬戸内海の小島・下蒲刈島を結ぶ道路で、瀬戸内海に浮かぶ島々は、その後も橋によって陸続きとなっており、最終的には、県も変わった愛媛県今治市の岡村島まで、ずっと陸路で移動し続けることができます。ただし、有料であるのはこの橋だけで、残る島々を結ぶ橋は、全て無料道路です。

 安芸川尻に到着[⑦]。ここは営業停車の駅ですが、広行きの下り列車と行き違いを行います。基本的に毎時1本となる区間(三原〜広間)ということで、新しい車両の導入は後回しにされていそうな気もしますが、実は、同区間は、2015年3月のダイヤ改正による227系初投入時から、227系の運用区間に含まれています。

 広島県、それも温暖であるはずの瀬戸内海側でありながら、またしても雪が降ってきました[⑨]。それもまずまずの量が。北陸地方に入るまで、雪とはほぼ無縁だろうと思っていたのですが、長崎にしろ、佐賀にしろ、山口にしろ、どうしてか雪に恵まれています。

 竹原に到着しました[⑩]。ここでは5分間の停車時間が設けられているため、息抜きのために、いったん車外に出てみました[⑪]。両開き扉であることが、瀬戸内マリンビュー号の種車がキハ47形であることをよく示していますが、指定席を連結する観光列車としては、やはり片開き扉でデッキ付きのキハ48形を・・・とは思ってしまいます。

 ホームが低い地方部を走ることを前提とするキハ40系ということで、原形の車両は、かなりの段差のステップを持っています。しかし、瀬戸内マリンビュー号では、電化された呉線・山陽本線を走ることに合わせて、ステップを緩和するための嵩上げを施したようで、床面との段差は、かなり小さくなっています(ステップの上端が、扉下部の引手付近まで来ている)[⑬]

 降り続く雪は、竹原でもなお降っていました[⑭]。本当に、よもや瀬戸内マリンビュー号で雪と遭遇するとは・・・。


















 ずっと自分の座席に座っていて、瀬戸内マリンビュー号”らしい”ところを見ていなかったので、そのあたりをちょっと見ておきましょう。

 1号車の車端部には、海側を向いて置かれたソファー席(これは普通の座席のところにもありますが)、海を眺められるカウンター席、潜水艦を思わせる丸い窓、オールに浮き輪など、”マリン(海)”を名乗る列車らしい環境が出来上がっています[①] [②]

 この車端部は、壁も含めて全面的に木目調の仕立となっていて、ここだけを見ていると、とてもキハ47形には見えず、何か別の新型車両のように見えます[③]。しかし、やたらと大きな空調の室内機や扇風機(1番目の写真を参照)は、キハ40系の”らしさ”を色濃くアイテムとして残存しています。

 カウンター席には、「瀬戸内マリンビュー 乗車記念」と書かれたプレートが置かれています[④]。一応、「観光列車」として運転されている瀬戸内マリンビュー号ですが、この記念撮影用のプレートがあることと、車掌から乗車記念賞が配られること以外には、特にこれというものはなく、淡々と広島〜三原間を走ります。昨日の○○のはなし号のような要素はなく、良くも悪くも質素な観光列車です。

 大乗で運転停車[⑤]。この瀬戸内マリンビュー号、本当に運転停車が多く、結局、広島〜三原間において、海田市・水尻・小屋浦・かるが浜・川原石・大乗の計6駅で運転停車を行いました。よく「臨時列車は定期列車を優先し、その合間を縫って走るので、運転停車が多かったり、所要時間がかかったりする」と言われますが、まさにそれを体現しています。

 呉線の中でも最も海の近くを走る区間は、忠海〜安芸幸崎間にあります[⑦]。それは、まさに海が線路のすぐ際にまで来るもので、底が浅い(砂浜の黄色が見えている)部分が、あたかも手に届きそうなところにまで近づいています[⑧]。水面に反射する陽射しは、とにかく眩しいものですが、しかし晴れた日ならではでもあります。

 「三井三菱を食らう謎の造船一族」とも言われる造船会社、今治造船の広島工場が見えてきました[⑨]。安芸幸崎駅の裏手には、同工場の敷地が広がっていて、文字通りの最寄り駅となっています[⑩]。もっとも、呉線のダイヤは、とても通勤の実用に耐えうるものではなく、この駅についても、出入り口は工場とは反対側の一方にしかありません。

 須波を通過すると、列車は海沿いの区間を離れ、三原市の市街地へと入っていきます[⑫]。そして12:30、列車は終点の三原に到着しました[⑬]。新幹線なら20分強、山陽本線でも1時間15分程度で辿り着けるところを、呉線経由で約2時間30分。しかし、今回のような旅であれば、楽しくさえあれば、このように時間がかかることは、全く問題ではありません。












 三原市は、タコの街であるとされています[①]。そのため、ホームには、「タコのまち 三原」と書かれた駅名標も用意されています。タコにまつわるお土産も多く、普通のもみじ饅頭から派生した「たこもみじ」なるものまであるとか。

 山陽本線下りの発車標を見てみると、13:27発のあき亀山行きという列車がありました[②]。2017年3月の可部線延伸に伴って設定された、土曜・休日のみ運転の列車でしたが、2018年3月のダイヤ改正では、早くも普通の広島行きに改められています。また、同改正までは、岡山発緑井行きという変わり種もありましたが、これも糸崎行きと糸崎始発に分割されました。

 1990年6月に高架化が完成した三原駅[③]。もちろん新幹線も高架になっているので、駅は全面的に高架化が達成されていることになります。駅前に出てみると、またしても「ようこそたこのまち みはら」と書かれた看板に出迎えられ、街として全面的にタコを推していることがよく分かります[④]。しかし、広島県としてのタコの漁獲量はそこまで多くはなく、せいぜい全国で10番目くらいです。

 「東京へはやっぱり新幹線!都心に直結!」[⑥]。これには、「新幹線なら都心部(市街地)に駅がある」、「新幹線は(乗り換えなしで)東京駅に直結する」の二通りの解釈がある(ふつうは前者)かと思います。しかし、意地悪くも後者の解釈をとったとしても、三原駅には、1日に1往復だけ、東京行き・東京始発のひかり号があり、たしかに東京へ乗り換えなしで行くことができます。

 ここからは在来線で福山を目指します。12:52発の岡山行きに乗車します[⑦]。「新幹線は?」と聞かれそうですが、日中の三原駅は、1時間に1本のこだま号しかなく、次に来るこだま号を待っていたのでは、福山での乗り換えが成立しなくなってしまいます。


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