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 府中行きに乗車します[①]。車両は先ほどと同じく、真っ黄色の105系。JR西日本において進む単色化計画の中で、岡山電車区の115系2本のみは、イベントでの使用等を考慮して、湘南色のまま存続することとなりましたが、残念ながら、105系には、特にそのような価値ある塗装はないということで・・・。あの白+赤+青の塗装とか、私は好きでした。

 鵜飼に到着[②]。駅名というのは、地名であったり、あるいはその所在(○○前や施設名など)を名乗ることが基本であるわけですが、「鵜飼(い)」というのは、いわば一般名詞であり、それを駅名としているのは、かなり珍しいと言えるでしょう。なお、ひとつ前の高木までは1.0km、次の府中までは0.9kmの駅間距離となっていて、大都市の鉄道路線並みの接近ぶりです。

 20分で終点の府中に着きました[③]。万能倉でも降っていた雪は、ここに至って強さを増してきているようで、横殴りの雪に見舞われています。いま乗ってきた列車は、行き止まり式となっている1番線への到着で、ここは車止めによって線路が打ち切られています[⑤]。この先は単行の気動車が基本となる非電化区間なので、普通なら、そちらに切欠きの行き止まりホームが造られそうなものですが。

 電化区間は府中で終了し、この先は非電化区間となります[⑥]。塩町方面を見てみると、踏切を過ぎたあたりで架線が途切れているのが分かります。しかし、面白いことに、1954年4月〜1962年4月の8年間のみ、ひとつ先の下川辺まで電化されていて、府中〜下川辺間は、非電化→電化→非電化と辿った、なかなか妙な歴史を持っています。

 強い雪が降る府中駅[⑧]。写真の通り、地面に雪は積もっていないので、特段降雪量が多い地域というわけではありませんが、海側からはだいぶ離れているので、雪が降ること自体は、それほど不思議ではないかもしれません。

 次は15:05発の三次行きに乗車します[⑨]。そして終点の三次からは、いよいよ三江線に・・・という段取りなのですが、三江線の列車にまともに接続する列車は、福塩線でも芸備線でも限りがあるので、三江線目当ての客でごった返していることが懸念されます。ましてや、今日は祝日の月曜日なので・・・。さて、どうなる?
















 三次行きの普通列車は、キハ120形1両編成です[①]。キハ120形の中でも、車体が鋼製となっている区分については、105系や115系などと同じく、”車体一色化”の対象となっていますが、ステンレス製の番代については、その対象外となっています。

 府中を発車しました[②]。雪はさらに強まり、まさに吹雪と言っても良いような様相に。列車は芦田川に沿ってだんだんと北上していき、車窓もどことなく”寒そうな”感じになっていきます[③]。ほぼずっと市街地の中を走る電化区間とは異なり、非電化区間は、自然の中を走る区間が多いです。

 「燃えろ〜キヨシ男なら〜ここで一発キ!ヨ!シ」の中畑清と同じ漢字の「中畑駅」[④]。もちろん、当人とは全く関係の無い駅で、肝心の当人は、福島県の矢吹町が出身地です(DeNAの監督に就任することが決定したときには、駅構内に祝福の横断幕が掲げられた)。しかし、人名が鉄道の施設名に影響を及ぼす事例はあり、筑豊本線の特急かいおう号は、まさに大関魁皇から来ています(直方出身)。

 河佐を出ると、全長約6100mの長いトンネル、八田原トンネルに入ります[⑤]。もともとは、この辺りは明かり区間でしたが、八田原ダムの建設に伴って線路を付け替えたという事情があり、このトンネルもそれに伴って新設されたものです。「明かり区間でもなんとかなっていたところを、トンネルに変えた」ものではありますが、その長い闇を抜けると、地面にはうっすら雪が積もっていました[⑥]

 八田原トンネルを抜けると、列車はまもなく備後三川に到着します[⑦]。ダム建設による新ルート開通以前は、河佐駅との間に八田原駅がありましたが、新ルート上には八田原駅は置かれず、そのまま廃駅となりました。このため、河佐〜備後三川間の駅間距離は7.5kmとなり、これは福塩線の中でも最も長いものとなりました。

 トンネルを抜けた時点では、まだ「うっすら」という程度の雪の積もり方でしたが[⑧]、雪の量は瞬く間に増えていき[⑨]、いつの間にか、辺り一面が真っ白になってしまっていました[⑩]。こういった光景に出くわすと、2月という真冬に旅をしている甲斐があるというものです。夏だと、沖縄から北海道まで、暑い寒いの違いしかありませんが、冬ならば、雪の有無という違いが現れます。

 甲奴に到着[⑪]。「ぬ」がつく駅はたくさんあれども、「ぬ」で終わる駅というのは、JR線では、ここ甲奴が唯一です。風情ある木造駅舎に雪・・・というのは、このうえなくマッチするものである気がします。



















 辺り一面がすっかり雪に包まれてしまった一方で、天候は少し回復してきたようで、青空も見えてきました[①]。その景色は、完全に雪国の様相そのもので、今回の旅が始まって以来、初めての本格的な雪国突入となりました。

 単純に降雪量が多いというだけでなく、気温も低いようで、備後安田駅では、ホームの屋根から氷柱が伸びていました[②]。暖房の効いている車内にいると、屋外の現在の気温というのが、あまり想像がつかないのですが、こうやってどんどん長くなっていっているくらいなのですから、ある程度は寒いのでしょう。

 主要な道路であれば、地方部であっても、それなりに除雪は行き届くものですが、生活道路レベルになると、やはり除雪の入り方も相当に程度が落ちるようで、雪が積もりっぱなしになっている道路がありました[③]。轍が残っているので、通行する車が踏み固めていくことによって、何とか通行できる状態になっているのでしょうが、SUVでなければかなり走りにくそうです。

 列車が走ることによって、後方部では雪が舞い上げられ、それが窓ガラスに付着します。そして、走行することによって、冷たい風が窓ガラスに当たり、その水滴はシャーベット状の氷となります[④]。キハ120形の導入線区は、往々にして降雪量の多い地帯です。

 それにしても、この福塩線の列車は、実にのんびりと走る区間が多いもので、並行する道路を走るトラックの方が明らかに速く、それに追い抜かれる・・・なんてことも[⑤] [⑥]。もとより平均速度が低いのに加えて、一部の区間では、JR西日本のローカル線ではお馴染みの「極端に低い制限速度」が設定されているので[⑦]、結果的に、61.5kmを1時間55分もかけて走ります。

 クロスポイントの存在が印象的な塩町駅[⑧]。「中国山地の山奥で、2つのローカル線が接続する主要駅」といった具合に備後落合駅が紹介されることがありますが、塩町駅もまた、三次駅の2つ隣というちょっとひっそりしたところで、福塩線と芸備線が接続しています。

 塩町に到着しました[⑨]。福山と塩町を結ぶから福塩線、ということで、福塩線はここで終了。残る塩町〜三次間は、芸備線に乗り入れて走ることになります。2つの路線が接続する駅らしく、以前は急行列車が停車していました。

 続いて神杉に停車[⑩] [⑪]。ここでは3分の停車時間が設けられていて、府中行きの上り普通列車と行き違いを行いました[⑫]。向こうもこちらと同じ色の帯を巻いていますが、正面部分は、経年による色褪せが発生してしまっているのか、紫というよりもピンクという具合に。

 そして列車は終点の三次に到着しました[⑬]。ここからは、今回の旅におけるポイントのひとつでもある、三江線への乗車に臨みます。3月31日をもっての廃線を控え、カウントダウンが始まっている三江線ですが、既に大勢の利用客が押し寄せているようで、跨線橋の階段には、三江線の列車への並び方の指示が掲示されていました[⑭]


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