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 松本を発車してからしばらくして、大糸線と分かれます。大糸線も篠ノ井線も、どちらも単線です[①]。篠ノ井線の線形は良いとは言えず、松本から先は、基本的には単線であるほか、曲線も随所に現れます[②]。しかし、松本〜篠ノ井間は、地上設備が振り子に対応していないため、383系はその機能を停止します。また、最高速度も110km/hに抑えられます。

 眼前に広がる雪を頂いた山々が、私の目を奪います[③]。いずれの山も標高が高く、いかにも”山脈”という感じです。松本〜田沢間は、駅間距離が8.3kmとやや長いためか、そのほぼ中間点あたりに、列車交換が可能な平瀬信号場があります。このときは、E127系の普通列車がこちらを待っていました。ま、”そうでないと”ね(特急列車が普通列車を待つのは・・・)。

 山の方には雪が降っていたようですが、地上はさほどでもありません[④]。日陰に融けない雪が残っているくらいで、基本的には地面が広がっています。大糸線方面は、段々と山深い地帯に入っていき、トンネルを抜けるわけでもないのに、明らかに雪の量が増えていくのを実感することができますが、篠ノ井線方面は、そうでもありません。

 聖高原で名古屋行きの特急しなの号と列車交換を行います[⑤]。先ほどすれ違ったしなの号は8両でしたが、2月の平日でありながらも、今度は10両編成。スキー利用客の需要でもあるのでしょうか?[⑥]。ちなみに、こちらの特急しなの13号は、特に付属編成は連結しておらず、基本編成のみの6両編成での運転となっていました。



















 単線区間を進んでいく特急しなの13号[①]。先ほどもご説明したとおり、篠ノ井線の松本〜篠ノ井間(と、信越本線の篠ノ井〜長野間)では、振り子機構は使用されません。国鉄時代のうちに地上側を対応させておけば、きっとここでも振り子を使用していたことでしょうが、あくまでもJR東海の特急であるしなの号(運転区間の比率的に)のために、JR東日本が設備改修をする動機は薄いです。

 松本地区と長野地区を隔てる山も抜けて、列車は姨捨駅の手前あたりまでやってきました[②] [③]。知っている人は知っている。姨捨駅までやってきたということが、何を意味するのかということを・・・。

 姨捨駅は、今となっては貴重な、スイッチバック構造を残す駅です。そのため、駅構内には、スイッチバック駅特有の引き込み線もあって、構内配線は少々複雑なものになっています[④]。特急しなの号は、姨捨は当然通過なので、引き込み線への入線をする必要もなく、上下列車共に、ホームの脇をそのまま通過していきます[⑤]

 日本には、”三大車窓”とも呼ばれる、とりわけ素晴らしい車窓があります。根室本線新内駅付近(廃線)、肥薩線矢岳駅付近、そしてここ篠ノ井線の姨捨駅付近です[⑥] [⑦]。進行方向右手に広がる善光寺平を、高い視点から一望するその眺めは、たしかに良いものです。手前(山側)には積雪があるのに、奥側(地上)にはそれがない・・・という気候の対比も、また味があります。

 姨捨駅の標高は551mですが、列車はそこを頂点に、段々と坂を駆け下りていきます。気が付いたら、だいぶ標高も低くなってきていました[⑨]。視点が一般民家くらいのところまで低くなると、特別な車窓という感は薄れてきますね。・・・まあ、本音をばらすと、先ほどの善光寺平の眺めも、良いものであることは間違いないですが、日本の車窓の三選に入るかというと、「?」とは思います。

 EH200形が牽引する貨物列車とすれ違い[⑩]。塩尻駅で見かけたものと同じく、これも石油輸送の列車でした。信越本線の横川〜軽井沢間が廃線となったことにより、関東〜長野の貨物輸送は、中央本線・篠ノ井線経由が一手に引き受けることとなりました。

 篠ノ井付近では、北陸新幹線の線路は、在来線と同じ高さの地上を走っています[⑪]。東海道新幹線以外の新幹線において、線路が地上を走っているというのは、そう多いものではなく、珍しい光景であると言えます。そして列車は篠ノ井に到着[⑫]。篠ノ井では、今日の朝に愛野駅で見た事例と同様に、新幹線の線路が、在来線の駅構内を貫いています。

 塩尻から1時間で終点の長野に着きました[⑭]。営業キロは76kmで、料金は100km未満のものが適用されます。仮に松本から乗っていたとしても、適用区分は「50km超〜100kmまで」で同じなので、スーパーあずさ号を塩尻で降りた(甲府〜塩尻は100km未満、甲府〜松本は100km超)ことは、結構な節約術になりました。
















 こうして長野までやってきました[①]。新幹線と並行する在来線ではありますが、信越本線の篠ノ井〜長野間は、JR東日本のまま存置された(通勤・通学需要を当て込んだからとも、特急しなの号の料金収入を当て込んだからとも)ため、隣の駅は、信越本線の安茂里と、しなの鉄道線の北長野になっています。

 しなの鉄道線の115系[②]。以前はあらゆる場所で見られた115系も、JR東日本線上からは、絶滅寸前に近い状態になっています。それでも、しなの鉄道ならまだ大丈夫・・・かと思いきや、2020年から、これを置き換えるための新しい車両、SR1系を導入する運びとなりました。置き換えには8年ほどをかけるとのことですが、それが完了しても、JR西日本ではまだ生き残っていそうな気がします。

 長野駅の駅舎内[③]。この年は長野五輪から20周年という、ひとつの区切りとなる年でした[④]。北陸新幹線は、五輪に間に合わせるために、まず1997年10月に長野まで開業しました。東海道新幹線も、東京五輪に間に合わせるために、あれほどの速さで開業に漕ぎ着けました。五輪は、街やインフラを開発するためのきっかけとなります。

 夕刻が迫る長野駅前[⑥]。長野駅では、長野電鉄線と接続していますが、そのような駅は、ここには見当たりません。では、どこにあるのか?というと、その答えは”地下”。長野電鉄の長野駅は、地下駅となっていて、このために、長野県は、非大都市でありながら「地下鉄が存在する」街となっています。長野、市役所前、権堂、善光寺下の4駅が地下です。

 ただのドバト[⑦]。と言いたいところでしたが、若干毛並みが荒々しいです。あと、顔つきも、どことなく険しいような。このような、見た目が普通とはちょっと違う鳩のことを総称して、私は「カッコいい鳩」と呼んでいます。よく見かけるドバトなら、それは「鳩」。それ以外のものなら、「カッコいい鳩」。Aなのかそれ以外なのか、の二択です。

 東京行きのはくたか568号に乗ります[⑩]。その5分後にあさま624号が出ていますが、これらは、どちらも定期列車です。はくたか568号が長野から先でも速達運転をするのに対し、あさま624号は、終点まで各駅に停まります。よって、緩急接続を行っているというわけですが、もとより本数が多いわけではない区間で、5分で続行運転をさせるのも・・・とは思います。

 新幹線ホームの駅名標[⑪]。飯山では飯山線に、長野ではしなの鉄道線と信越本線に、そして上田ではしなの鉄道線に接続します。北陸新幹線の良いところのひとつは、接続路線を持った駅が多いことで、高崎〜金沢間で新幹線単独駅なのは、安中榛名駅のみです。


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