土・日きっぷで大暴れ!
土・日きっぷで東日本のあちこちを巡る旅


車内は眠っている人ばかり。
まぁ時間的に仕方がないのでしょうけれどもね。
六日町 石打、大沢、上越国際スキー場前、塩沢を通過して22時47分、六日町駅に到着。
はくたか号も停車する駅ですが、乗降とも1人もいなかったのは意外でした。

列車はここから、北越急行のほくほく線へと入って、犀潟・直江津へと向かいます。
十日町 23時03分に停車するのは、飯山線とも接続する十日町駅。

飯山線の列車がまだ走っているというのなら、飯山線の列車との乗り換え客もいそうですが、飯山線の最終列車はとっくに出てしまっているので、ここで乗降した人は単純に十日町が目的地か、十日町から乗ってきたということですね。

ここでは六日町行きの上り列車と交換。
こちらはほくほく線の下り最終列車ですが、向こうも上りの最終列車です。
天井写り 天井がやけにテカテカしているせいか、車端部に取り付けられているLEDの情報表示機に流れる文字が、天井にも上下反転状態で写り、流れていきます(笑)

ちなみにLEDの文字は進行方向左側の窓にも写っていたので、計3か所でLEDの文字が流れるということに。
踏み切り 23時37分に、列車はほくほく線を走り終えて犀潟駅に到着しますが、その直前に踏み切りを通ります。

ほくほく線は、はくたか号が最高速度160キロで走行するという路線の性格上、踏み切りが一つもありません(←の踏切と六日町駅の踏み切りはそれぞれ犀潟・六日町の駅構内にあるので、厳密には違うのか・・・?)

そのため、こうして踏み切りを見ると、JR線に戻ってきただとか、ごく普通の在来線に戻ってきただとか、踏み切りを見ただけなのに色々なことを感じます。
到着 列車は犀潟駅を発車後、黒井駅を通過して、終点の直江津駅に到着〜。
降りてきた乗客は、皆無口で階段を上がっていき、あっという間に5番線ホームは人気がなくなってしまいました。

まぁ、実はその中には私と同じことを考えていた人も結構いたのですが(笑)
(↑については後述)
貨物 6番線の線路の隣の側線には、19D形コンテナを大量に積載した貨物列車が停車していました。

貨物列車は、普通の旅客列車(で使われる車両)以上に、無骨かつ重々しいものですが、同じコンテナばかりが連なっているようで、実はそうでもない。
頭から尻までを全て見ると、多種多様なコンテナがあるということに気が付く・・・。

私は貨物列車には特段の興味があるわけではありませんが、それが一つの魅力なのかな、と思いました。
急げ 貨物列車とHK100形などを適当に撮影したあとは、急いで2番線へと向かいます。
というのも、この後、23時50分に青森行きの下りの寝台特急日本海号がやってくるので、それの撮影を行うのです。

北陸号の廃止により、国鉄時代から運行を続けている寝台特急は、ついに大阪〜青森間の日本海号と、上野〜青森間のあけぼの号のみになってしまいました。

乗り継ぎ時間の関係上、都合よく日本海号の撮影ができるので、それをしないわけにはいきません。
青森行き 2番線への階段を下りている途中で、日本海号は直江津駅2番線に到着しました。
どうせなら、入線してくる様子をホームからじっくりと眺めたかったので、もう少し早く行けば・・・、と後悔。

2番線へと降り立った後、まず手始めに方向幕を撮影しました。

2006年3月改正までは、青森を越えて北海道の函館まで、2往復のうちの1往復が足を延ばしていましたが、今や青森発着なうえに1往復だけの運行。

大阪〜青森でも十分長距離ですが、どうしても函館行きがあった時代を知っているだけに、どこか「物足りなさ」も感じます。
カマ 方向幕を撮影した後は、脇目も振らず機関車の撮影へ。

ブロアー音をホーム上に響かせながら、2つの前照灯を光らせ、真ん中には誇らしげに「日本海」のヘッドマーク。
雨が降りしきる中、ワイパーだけを動かして佇む巨体に、光輝く「EF81−106」の車両番号。

その姿からは特急が「特別急行」だったころを感じられるようで、今時の2両や3両の特急、近郊型車両で特急、普通列車より遅くても特急を名乗っているような最近の特急列車とは全く違う、一種の「威圧感」のようなものがありました。
!? 日本海号の撮影を続けている最中、後ろから何か列車がやってくるような音が聞こえてきました。

で、横を見てみると、どこかで見たような車両が停車しようとしていました。

どう見ても・・・。どう見ても・・・。
あれは新津駅で見た485系3000番代の甲子園臨にしか見えないのですが・・・!?
間違いない! ヘッドマークには、「2010甲子園号」の文字が確認できました。

・・・まさか、新津駅で出会ったあの甲子園臨と、こうして直江津駅でまた再会できるとは思ってもいませんでしたよ。
何たる奇遇でしょう。これには本当に驚いてしまいました。
んで 23時56分に日本海号が発車した後、すぐに甲子園臨が停車している4番線へとやってきました。

私以外にこの列車を撮影していたのは2人程度で、日本海号を撮影しているときには15人は居たかないうような状況が、まるで嘘のようです。(まぁ、日本海号のときは日本海号から降りてきた人もいましたけどね)

新津駅で見て以来、約3時間ぶりの再会となった甲子園臨。

直江津駅での停車もまた、新津駅と同様運転停車のようで、乗降扉は閉じたまま。
189系 ↑から左側に視点を向けると、そこには妙高号などで運用される、あさま色の189系が停車していました。

特急あさま号での運用は、1997年の北陸新幹線の長野開業によって終了しましたが、その後は、信越本線長野以北にて普通列車の妙高号で運用されるようになり、なおも生き長らえています。

しかし、あいづライナー号にしてもそうですが、特急型車両が特別料金不要の普通列車で運用されているとは、何て贅沢なことでしょうか!全くもって羨ましい。。。
シールでした 「2010甲子園号」のヘッドマークは、LEDで表示されているものだと思っていました。

「485系3000番代のLEDって、随分と綺麗で高精細な表示ができるみたいだな」と思っていましたが、よくよく見てみると、ヘッドマークはシールで、それをLEDが照らしていただけでした。

まぁじっくり考えなおしてみると、フルカラーLEDでもないごく普通のLEDが、ここまで絵も文字も綺麗に表示できるわけはありませんねぇ・・・。

直江津駅で日本海号を見たり甲子園臨を見たり、
189系を見たりとまぁ面白いものが次々と目に入ってきますね。

この後、また面白いものを見るわけですが。。。
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