〜 増 毛 駅 〜



増   毛
ま  し  け / M a s h i k e
訪問日:2016年09月08日

●留萌本線・JR北海道●

箸  別
Hashibetsu
北海道増毛郡増毛町弁天町  

 「廃駅前の風景シリーズ」第2弾として、留萌本線の増毛駅の訪問記をお届け致します。島ノ下駅に引き続き、これまたレンタカーで訪れたという、鉄道ファンとしては”禁忌の行為”でしたが、この後にお届けする第3弾は、列車を利用しての訪問です(笑)
 札幌駅や函館駅のような、移動中に避けては通れない主要な駅を除けば、旅先で訪れる駅というのは、そう2度3度と繰り返して訪れることはありませんが、増毛駅は、2014年1月〜2月の北海道旅行において、深川発増毛行きの列車で訪問しています。ローカル線の末端駅という、1度でも訪れれば良い方という駅でありながら、私は、2度目の訪問を果たしました。
 当時は真冬、今回は晩夏。廃駅まであと約3か月という段階に差し掛かっていた、夏の増毛駅が見せてくれた素顔とは・・・。


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 日本海オロロンラインを構成する国道231号線を北上し、増毛駅に辿り着いた。増毛にやってくるのは2度目であるが、前回は真冬のときであり、吹きすさぶ寒風と一面を覆いつくした雪が、どことなく閉塞感を齎していたが、曇りとはいえ、今日は夏である。前回の訪問に比べれば、幾分爽やかな雰囲気であるし、ここでの滞在時間も快適に過ごせそうである。
 前回の訪問から2年半以上の歳月が経過していたが、あのときに見た駅舎は、再会を心待ちにしていたかのように私を迎えてくれた<1>。老いた木造駅舎ではあるが、様々な気候の変化を乗り越えて、今日9月8日という日にも健在でいてくれた。「孝子屋」と書かれた幕が目につくが、これは、駅舎に入居している、土産物や軽食を取り扱っている店のものである。廃線になってしまうほどの利用者しかない区間の駅ではあるが、正規の「駅員」はいないものの、決して全くの無人駅ではないことが分かる。
 このことは、駅というものが、利用者が多かろうと少なかろうと、その街の中心部を形成する際の基準点であり、人が集結しやすい拠点として機能することを如実に表していると言える。そして、駅が消えるということは、街の中心部を示すための目印が失われるということでもある。
 前回の訪問は1月末のことであり、アスファルトというアスファルトは見えず、まさに雪だらけであったが、もちろん夏に雪があるはずもなく、そこには、増毛駅周辺の街並みが、覆い隠すものなく広がっていた<2>。その路面では、具体的に何を意味しているのかは分からないが、2つの矢印が、舗装路と未舗装路とを結んでいる<3>。冬になれば雪の中へと葬られ、まるで役に立たなくなるこの矢印。私も、雪解け後の季節にやってきたことで、初めてこのようなものが描かれているのだと知った。
 さて、未舗装路の側は果たしてどのようになっているのかというと、砂利道が一面に広がっているだけで、そこには何もない<4>。ここから先は線路内とでも言いたげなチェーンの外側は、事実上の駐車場として機能している。廃駅が迫っているということもあってか、車で増毛駅を訪問する人も多いようで、この砂利道にも車が数台停まっていた。
 訪問者向けに駐車場を用意してくれたとはありがたい、と思いたいが、まさかそのようなはずはない。増毛駅は、昔は貨物を取り扱っていて、そのための側線や荷卸設備が駅構内に広がっていた。結果として駐車場になってしまったこの砂利道は、かつての栄華の残骸なのである。


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 流れてきた歳月を感じさせる風格と風合いを備えている駅舎は、ひとつの路線の終点駅を務めるものとしての静かな誇りを湛える<5>。これは駅舎の側面を捉えたものだが、列車から降りてくるとき、そして列車で発っていくときに目にするこの側は、いかに古びて朽ちていようとも、たしかな安心感と存在感に満ちている。時に旅の終わりを飾り、時に旅の始まりを飾る増毛駅。小奇麗でもお洒落でもないが、その気取らなさは、人々の生活に自然と溶け込み、寄り添うための秘訣でもあったように思われる。
 様々な掲示物があり、椅子や机、自動販売機、お店も用意されている駅舎内は、列車の待ち時間を快適に過ごすための”基地”であった<6>。日本海に面した場所に立地する増毛駅は、特に冬季になると、圧倒的な冷たさを伴った強風が吹き荒れる日も多く、外に居続けていては、生命の危機を感じることもある。私は、増毛駅を初めて訪れたときのことを覚えている。あの日も、例によって寒風が猛威を振るう日であった。駅舎内に逃げ込んだときの、あのホッとした気持ち。それは今も心によく刻まれている。
 増毛から発車する列車は、1日7本(土曜・休日は6本)しかなく、鉄道としての実用性は、既に失われてしまっていると言える<7>。留萌本線では、快速を名乗る列車は運転されていないが、一部の駅を通過する列車が多く運転されている。通過駅として「北秩父別」が散見されるが、今後も存続する深川〜留萌間においても、極端に利用の少ない駅は、順次廃駅となることが考えられよう。
 運賃の上がり方が緩やかであることからも分かるように、留萌〜増毛間は、比較的駅間距離が短い<8>。最長駅間距離は瀬越〜礼受間の4km、最短は信砂〜舎熊間で、大都会の鉄道並みに、なんと0.8kmしかない。平均駅間距離は2.08kmとなっている。広大な北海道らしからぬ駅の詰まり方だが、これは、阿分・信砂・朱文別・箸別が、いずれも1960年代の生まれで仮乗降場に出自を持っていることによろう。どれも正規の駅にならないまま消えてもおかしくなかったものと言え、実際、営業キロが設定されたのも、1990年になってからのことである。


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 増毛駅のホームは、駅舎からやや離れたところにあり、それぞれ独立して存在している<9>。屋根はなく、単式1面1線で、簡素な造りをしているが、さすがに板張りといったことはなく、コンクリートで固められたホームのようである。とはいえ、ひとつの路線の終点としては、やや侘しい。
 全国のどこからか伸びてきた線路がまさに途切れるという構図は、終着駅ならではの光景である<10>。2016年3月の北海道新幹線の開業により、青函トンネルの前後を在来線の旅客列車が通行しなくなったため、北海道の各路線は、在来線としては、実質的に本州の各路線と分断されてしまった。「あるところから始まる線路をずっと辿って、全国のどこへでも行ける」ことは、JRの路線網の広大さを示すものでもあり、増毛から始まる線路もまた、かつては、日本全国の各地へとそのまま繋がっていた。
 途中が中抜きにされても、別の路線を迂回すれば、その目的地に辿り着くことはできる。しかし、そこへ至る唯一の路線が消えてしまえば、どうしようもない。この先の未来においては、増毛に鉄路で行く方法はない。江差線の一部廃線、そして留萌本線の一部廃線、そして将来的な夕張支線の廃線といい、「唯一の鉄路」が消えゆく時代が来ている。
 廃線・廃駅が近づく頃合いであったとはいえ、9月初旬のただの平日ということもあってか、さすがに列車が来ない時間帯のホームにおける人影はまばらであった。無人の増毛駅ホームという構図は、閑散としたローカル線の駅としての象徴的な眺めであるが、今後はこの光景も見にくくなるのかもしれない<11>。現に、ホームと線路の周辺のロープ張りは、以前よりも強化されたという。
 駅舎の外壁には、ホーム側に面して、「増毛駅 留萌本線終着駅」という掲示がなされている<12>。途中の駅が消えてなくなるだけであれば、増毛駅のこの立場は変わらない。しかし、区間廃線となれば、終着駅そのものが移動してしまう。今年の年末からは、北東にある留萌駅が留萌本線終着駅を名乗ることになる。
 再塗装されたのか、あるいはフレームそのものを交換したのか、駅名標を支えるフレームは、以前の錆び付いた状態から一転して奇麗になっていた。有終の美へ向けての気合いを入れた化粧直しというわけではなかろうが、備品の盗難や破損、汚損といったこともなく、最後の日が無事に終わることを願いたいものだ。


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 そんな折、何人かの来訪者がやってきた<14>。列車であれ駅であれ、消えゆくものを惜しみ、慈しもうとする思いは、鉄道ファンの間では広く共有されることである。私も含め、廃線までいくらかの余裕があるこのような時期に訪れているということは、末期の過熱した状況をあまり好まない人たちなのであろうが、「ひっそりと動いていたローカル線」の訪問・観察・お見送りは、やはりひっそりと静かな環境下で行いたい。そのようにしてこそ、そこにあった日常の本質的な一面を垣間見ることができると信じている。
 深川から伸びてきた線路は、このまま真っ直ぐ進んでいたとすれば、日本海にドボンと飛び込んでしまう<15>。しかし、札幌〜増毛間にも路線を建設する計画もあったため、あるいはこの先の延伸が実現していたという「もしも」もあるようだ。後にも先にも、札幌を出発して日本海側を北上していく路線は存在していないが、江差線・瀬棚線・岩内線・羽幌線、そして今冬の留萌本線(留萌〜増毛)といった、日本海側へ向かう/日本海沿いを走る路線が悉く消えていった現実を鑑みると、そのような路線が建設されていたとしても、遅かれ早かれ姿を消すことになったのであろうか。
 車止めの向こうに見える黒いセダンは、私が使用していたレンタカーであるが、人口減少とモータリゼーションは、留萌本線の経営状況に大きな影響を与えたことは間違いない<16>。しかし、留萌本線は、そもそもは留萌港への石炭や海産物の輸送を目的に造られた路線であり、人の輸送を目的に造られたものではない。旅客列車による人員輸送は、沿線の人々の移動を支えたことはたしかであるが、言うなれば片手間の事業である。存在意義の根幹をなす貨物輸送を奪われてしまえば、その行く先は、どうしても苦しくなる。”副業”では生きながらえない。
 深川へと伸びていく線路の脇には、25kmの徐行標識がある<17>。2012年に、箸別〜増毛間で、列車が線路に流入した土砂に乗り上げて脱線するという事故が起こったが、この徐行区間は、その事故を受けて設定された。もちろん、落石防止柵の設置等はするのだが、それに加えて「目視で異常を発見したときにもすぐに止まれるよう、該当区間を徐行にする」という手段も使わざるを得ないのは、こんな赤字の閑散区間に対しては、土砂崩れ対策などに大金を投じられない、という事情を示すのである。


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 ホーム上にベンチは置かれていないが、駅舎の外に、1席1席が独立している仕様のベンチが設置されている<18>。大半は緑色だが、ホーム寄りの4席分は、なぜか黄緑・水色・赤色・薄桃色となっている。屋外にあるため、冬季は無用の長物だが、夏季には役立つこともあったのだろう。7月〜8月あたりに、ここにあるベンチに座りながら日本海からやってくる海風を浴びてみるのも、また一興であったに違いない。
 1921年に開業した増毛駅であるが、その駅舎が、開業当時からのものを継続して使用し続けているのかどうかは、定かではない。 しかし、少なくとも、幾年もの年月を経ることで手に入る、木造駅舎ならではの味のある風合いは、この駅舎にたしかな歴史と尊厳を与える<19>。増毛駅とその駅舎は、いくつもの時代を見届け、そして潜り抜けてきた。この柱の先に見える風景も、時代とともに移り変わってきた。いま、ここに手を添えて目を閉じるとき、自分が生まれるよりも遥か前から生きてきた歴史の立会人に対して、敬意の念さえ覚えるのである<20>
 木製枕木に犬釘でレールを打ち付けたという仕様の線路は、ローカル線の典型的な線路である<21>。いかに本数の少ない留萌本線といえども、列車が往来する部分の線路の表面は、さすがに銀色に輝いているが、停止位置目標よりも先、即ちオーバーランでもしない限りは列車が来ない部分は、限りなく錆びついている。
 列車が来ないところは錆びだらけ、というのは、いかな大幹線でも同じことなのだが、殊に今の増毛駅においては、「廃線(廃駅)後の留萌〜増毛間の未来図」を指し示すようで、やや不吉な感がある。車輪に磨かれて光っていた線路は、やがてくすんだ茶色になり、深川から伸び始めた線路は、留萌駅の先で切られるのだ、と<22>
 函館本線以外の路線では、最後まで日本海側へ向かう(沿う)区間を有し続けた留萌本線(留萌〜増毛)。最終運行日は12月4日。そのとき、一面が銀世界になっていて、”北海道らしい”風景とともに最終日の時計の針が流れれば、それは他にない良い供養になるであろう。 <終>



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