〜 舎 熊 駅 〜



舎   熊
し ゃ ぐ ま / S h a g u m a
訪問日:2016年09月08日

●留萌本線・JR北海道●

信  砂
Nobusha
北海道増毛郡増毛町舎熊 朱 文 別
Shumombetsu

 「廃駅前の風景シリーズ」の一応の完結となる第3弾は、留萌本線の舎熊駅です。この駅は、留萌本線の廃線予定区間に含まれている駅ではありますが、途中駅ということもあり、増毛駅などと比べると、注目度は、幾分低いのではないでしょうか。
 今回は、この舎熊駅を、留萌〜増毛間の上下線の各最終列車を利用して訪れてみました。滞在時間は僅か30分で、雨ということもあり、これという深い探索はできませんでしたが、廃駅を控えた夜の無人駅に流れる時間は、とても印象深いものでありました。
 ややもすれば地味で、とりわけ「廃線区間を”乗って”おこう」という層にはついつい見過ごされがちな「途中駅」。「途中の駅で下車すると書くから途中下車」・・・その言葉を今一度噛み締めて、舎熊駅の風景に会いに行きましょう。


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 深川を20:14に出発した留萌本線の下り最終列車に留萌から乗車し、舎熊駅に降り立った<1>。この9月8日は、留萌のホテルに宿泊したが、前々から、夜間の暇な時間を利用して、留萌本線の廃線区間に乗車しようと考えていた。終点の増毛まで乗車してくるのも良かったが、その場合、増毛での滞在時間が僅か8分しかなくて忙しいうえに、増毛駅は昼間に既にレンタカーで訪れていたため、途中の舎熊で折り返すことにした。
 留萌を発車した時点で、乗客は私も含めて3人であったが、残る2人は、舎熊までの駅で降りることはなかった。見た目の風貌も「いかにも」であったから、恐らく、終点の増毛まで乗り通したのであろう。昼間の乗車率がどの程度かは分からないが、ただの木曜日とはいえ、この程度の乗客しかいないのでは、廃線となるのも納得せざるを得ない。
 こんな時間帯に乗り降りする人など碌にいないということを運転士も分かっているのか、駅に停車しても、乗降扉は一瞬だけ開かれてすぐに閉じられる。そんな形式的な停車を繰り返して舎熊に辿り着いたが、私も危うく降りる前に扉を閉められてしまうところだった。私を降ろした増毛行きの最終列車は、やはりすぐに発車態勢を整えて、舎熊を発っていった<2>
 真っ暗闇に赤い尾灯と白い照明を浮かび上がらせながら、キハ54形は増毛へと向かっていった<3>。そのディーゼルエンジンの音が聞こえているうちは賑やかだが、それが聞こえなくなるようなところまで行くと、駅周辺はたちまち静かになってしまう。一応、付近の道路を車が通れば、その音が聞こえては来るが、基本的にはあまりにも静かなものだから、しとしとと降る雨音だけが、この場ではいやに目立ってしまっている。
 舎熊駅は、礼受駅・増毛駅とともに、留萌線(当時)の留萌〜増毛間の延伸開業に合わせて誕生した「駅」である。同区間の他の駅は、いずれも、それよりも後に誕生した駅か、あるいは仮乗降場である。そのような意味では、今回廃線となってしまう区間においては、最も長い歴史を持つ駅のひとつと言える。残念ながら、100周年は迎えられなかった。
 「舎熊(しゃぐま)」とは、いかにも北海道らしい響きの駅名であるが、ここでの「熊」には、bearの意味はない<4>。その駅名は、アイヌ語のイ・サッケ・クマ(魚を干す竿)が転訛した「サックマ」に由来する。そのため、熊の出没を恐れる必要はないであろうが、駅舎には「マムシに注意」との文言があった。どうやら、気を抜けない駅であることに違いはないらしい。


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 ホーム上に屋根はなく、天候が悪いときには、駅舎への退避を要求される。そのうえ、街でもないところにある駅で、照明の数も少ないから、今日の雨という天気も相まって、非常に陰気な雰囲気が漂っている<5>。もちろん、齢21の男であるから、これを怖いと思うことはないが、このどこかすっきりとしない重苦しい空気は、まるで、舎熊駅の未来が明るくないことが大気となって現れたかのようである。
 以前は1面2線の構造をしていて、列車交換も可能だったようだが、現在は1面1線の棒線駅となっている<6>。もはやたった1本の上り列車を残しただけの小さな駅は、人影という人影もなければ、その気配さえも感じられない。それでもなお健気にホームを照らし続ける照明と、まるで現役時代の生きている姿を想起させるかのように光を灯している車掌車改造の駅舎は、この静寂漂う暗闇に、駅としての自らの存在を主張するかのようで、どこか愛らしさを感じさせるように思われるのである。
 プラットホームの表面は舗装されておらず、砂利道のような状態になっている<7>。とはいえ、例えば、ひとつ前の信砂や次の朱文別は、板張りのプラットホームを使用しているのだから、それらと比べれば、ホームの基礎が土とコンクリートで固められている分、よほど”駅らしい”佇まいをしていると言える。今日はあいにく雨中の訪問となったが、水が下へ抜けていって水溜まりができにくいことを考えると、見た目はみすぼらしいが、”砂利道プラットホーム”にも、ちょっとは優れたところがあるのかもしれない。
 そんなホームから深川方面を眺めてみると、ここから程近くに、舎熊駅と似た橙色の照明が灯る場所があることに気づく<8>。最初は踏切かなと思ったが、その正体は、恐らく信砂駅であろう。信砂〜舎熊間は、北海道のローカル線としては異例とも言える、僅か800mの駅間距離しか有していない区間である。その近さとほぼ直線に敷設された線路という2つの要素が、この暗夜に信砂駅の存在を浮かび上がらせたと言えよう。


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 駅前にはまとまった民家があり、その向こうには、国道が通る<9>。そのため、舎熊駅は、いわゆる秘境駅に該当するほど絶望的な環境にあるわけではない。留萌本線の留萌〜増毛間の上り最終列車(増毛発留萌行き)は、途中舎熊・阿分のみに停車する、事実上の快速列車となっているが、舎熊駅は、同区間においては比較的大きな駅であると言え、その停車駅に選定された理由になる。逆に、通過とされた駅は、周辺に民家が碌になく、ホームも板張りといった小さな駅が多い。
 専用に建築された本格的な駅舎は有していないが、車掌車を改造した駅舎が設置されている<10>。北海道ではそれほど珍しくもなかったはずなのだが、2016年3月のダイヤ改正で廃駅となった根室本線・花咲や、2017年の改正での廃駅が予定されている宗谷本線・下沼なども、車掌車を転用した駅舎を使用する駅である。舎熊もまもなく廃駅となるし、「車掌車改造の駅舎」が、やがては北海道でも珍しい存在になるかもしれない。
 海に近く、さらにその風を遮るものがないということもあり、潮風を受け、一時期は随分と錆び付いていたらしいが、再塗装がなされたようで、ストロボを焚いて撮影すると、その整った装いが姿を見せてくれた<11>
 車掌車を転用した駅舎は、無用な改造を回避して少しでも導入費用を低減するためか、可能な限り元々の構造を活かすようにしている。駅舎の正面から直接入室することはできず、まずは一段高くなったデッキへ行き、そこから入るが、そのデッキとは、車掌車として線路上を走っていたころからのものが存置されているわけである<12>。もっとも、北海道という地の条件を考えると、これは暴風雪の侵入対策でもあるのかもしれない。
 扉を開けて中へ入ると、そこには、車掌車としての面影をなんとなく残す空間が広がっている<13>。とりわけ、一般の建築物ではまず見かけないような仕様の二重窓は、これが元々は鉄道車両であったことを物語る大きな要素である。車掌車としての現役時代は、当然、一般人は立ち入れない空間であったが、今では、こうして自由に出入りができる<14>
 以前は普通の駅舎を設置していたが、いつ頃にか、この車掌車を改造した駅舎に置き換わったようである。その時期にもよるが、車掌車として線路上を駆け巡っていた期間よりも、駅舎として不動産をやっている期間の方が長い可能性もある。それでも、鉄道に何らかの関連を持つ形での流用となったのは、彼にとっては幸いに違いない。


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 壁に設けられた掲示板には、注意書きや運賃表、時刻表などの掲示物が貼り出されている<15>。当たり前と言えばそうなのだが、例えば、時刻表は2016年3月のダイヤ改正を反映したものを掲示するなど、情報は常に最新に保たれている。掲示物の貼り替えや除雪のために出向く要員に対する人件費など、鉄道路線の経営における赤字の原因は、列車を運行することそのものだけではないことに気づかされる。
 下りの初発列車は7:08発であるが、その次は、12:35発である<16>。これは私見だが、近郊輸送としての鉄道においては、実用性が保障される最低限度の運転頻度は、約30分に1本(毎時2本)で、鉄道としての存在意義を見出せるのは、約1時間に1本(毎時1本)ではないかと考えている。毎時1本すら保てないようになれば、その路線は、「実用的な近郊輸送の手段」としては、とうに存在価値を失っているのではないだろうか。
 さて、留萌本線はどうなのかというと、これである<17>。これは、実質的には、留萌〜増毛間の運転頻度を示すが、例え深川〜留萌間の場合でも、毎時1本もありはしない。現実は限りなく厳しいと言える。
 壁に沿って長椅子が設置されているが、これは車掌車時代のものを流用したものであると言われている<18>。しかし、どうも現役時代は、この上に青色のクッション(ロングシートで使われている座面とよく似たもの)が敷かれていたようだ。いたずらや盗難を恐れたのか、あるいは本当にそうなってしまったのか、見ての通り、現在は木板が顕わになっている。当然、そのまま座ると、座り心地はすこぶる良くない。みんなのために、と誰かが持ち込んだ座布団が、ここで列車を待つ人の尻を救う。
 その長椅子の上には、駅ノートが置かれていた<19>。様々な思いを持った来訪者たちの内心が明かされ、ここに記録として残っている。人心は、そのままでは外部から認知できるものではないが、ここで文字として可視化されれば、この場所を訪ねた人々は、その思いをあまねく共有できる。駅ノートは、顔も名前も知らない旅人同士を結び合う懸け橋なのだ。
 「車掌車を改造した駅舎」というのは、鉄道ファンとしては面白いが、所詮は”中古品”である。床には、雨漏りを示す形跡があった<20>。路線の経営状況ももはや限界に達しているが、各種設備にもガタが来ている。


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 なにぶん元が車掌車であるものだから、その駅舎は、駅前側から見ても、ホーム側から見ても、外観はほとんど変わらない。しかし、ひとつだけ目立つ差異がある。それは、ホーム側の外壁には、「ここの地盤は 海抜6m」と書かれた海抜標識があるということである<21>。これは、東日本大震災を受けて策定された「津波対応マニュアル」に基づいて2014年3月に表示させたもので、留萌本線では、留萌〜増毛間の各駅が対象とされた。沿岸部を走る区間が多い留萌〜増毛間では、津波が発生した際の危険度は高い。同区間に残された僅かな寿命の中で、これが本当に役立ってしまうようなときが起こらないことを望むばかりである。
 もうそろそろ帰りの列車がやってくる。「留萌・深川方面 乗車口」と書かれた標示の近くで待機することとしよう<22>。「留萌方面」や「深川方面」といった表記あれば、今後もどこかで見られるであろうが、「留萌・深川」という併記は、今しか見られない。半ば当然のことであるが、これから舎熊より列車に乗ろうという者は現れなかった。
 無人駅であっても、ところによっては、列車が接近するときにそれを知らせる自動放送が流れるが、舎熊には、そのような設備はないようだ。
 しかし、では列車が来ることは不意打ちになるのかと言えば、そのようなことはない。しとしとと降る雨の音だけが周期的に聞こえ、あとは稀に通過する車の音が聞こえる程度、という静々としたこの”世界”では、列車の接近は、それ自身が走ることによって奏でられるコトン・・・コトン・・・という音が徐々に大きくなることにより、自然と知覚される。行く先を照らす前照灯の光が、我が目の前にある線路に二条の光線を通わせれば、乗るべき列車は、いよいよその姿が闇の中から現れる<23>
 さて、キハ54形がやってきた<24>。増毛発留萌行きで、途中舎熊・礼受にのみ停車し、事実上の快速列車と言えるが、種別表示器は「普通」である。そして列車に乗り込むと、運転士も、乗客の顔ぶれも、先ほど乗車した増毛行きと同一であった。一夜限りの「顔馴染み」を携えた最終列車は、晦冥の中に切り込んでいき、舎熊駅の1日が終了する・・・。 <終>



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