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※各画像はクリックすると拡大します。



◆伊  那  田  島  駅◆


いなたじま①

待合室②

その内部③

単式1面1線④

駅周辺の様子⑤

上り天竜峡行き⑥

夏なんだな⑦

時が止まっている⑧

汽車のマーク⑨

ホーム脇の碑⑩

 伊那田島駅は1日平均の乗車人員が27人で、これは飯田線でもかなり少ない方の部類に入ります。それくらいの人数なら、きっと喧騒もないような居心地の良い駅なんだろうと思って、今回は伊那田島駅での途中下車を旅程中に含めました。

 1面1線の駅のホーム上には、コンクリート造りの待合室があります[②]。ポイ捨てのゴミやクモの巣はまだいいとして、見たこともないような得体の知れない虫(白色をした、セミのような虫とか)や、やたら大きい蛾、虫の死骸がたくさんあるのはちょっと耐えられないです。実際居ていられる場所ではなかったので、この後、後続の列車に乗るときも、ホーム上で待ちました。

 この駅は農村の中にあるといったところで、駅の近くにはビニールハウスや畑が広がっていました[⑤]。その向こうには青々とした山が聳え立ち、その上には青空。そして自分以外に人なんていないわけですから、ここはたしかに居心地が良い駅です。

 駅の近くにあるものを見て回ったりしていると、上りの天竜峡行きがやってきました[⑥]。先ほど乗車した下り岡谷行きは、行き先表示機が幕でしたが、この天竜峡行きは同じ313系でもフルカラーLEDが行き先表示機でした。313系は1999年から走っている車両ですが、未だに製造が続いています。同じ313系でも行き先表示機の仕様に違いがあるのは、この長い製造期間のたまものでしょう。

 ちょっと場所を移動して、今度は飯田線の線路(具体的には架線柱と架線)を含めて、山々と青空を撮影[⑦]。いかにもローカル線が走るところらしい景色だと思います。ここに何でも良いので、何かしら列車が入っていたら、カレンダーで採用されそうな写真になりそうな、ならなさそうな。

 伊那田島駅には屋根つきの駐輪場があります。そこに、「本会からのお願い」なる注意書きが掲示されていますが、制作日時は「昭和五十一年二月(1976年2月)」。そのときに作ってから、一度も作り直したりはしていないようですが、制作から既に36年が経過しています。伊那田島駅を守る会の会長の名前や、幹事の名前も記されていますが、もはやその方々がご存命なのかどうかさえも分からないところです。

 踏切があることを示す道路標識は、1986年からは電車の絵が描かれたものが採用され、従来のもの(蒸気機関車の絵)も順次取り換えられていますが、それまでの蒸気機関車の絵の道路標識もまだ残存しています。伊那田島駅の近くにも、ありました[⑨]。当然ですが、飯田線は電化されていて、走る列車は全て電車です。列車とは「汽車」だった時代をしのばせます。







飯田線519M 普通列車上諏訪行き(213系)
伊那田島(15:33)〜大田切(16:24)

列車到着①

転換クロスシート②

立派?な高架駅③

照明が戻る④

大田切に到着⑤

 さて、普通列車で飯田線を北上していきます。次に乗るのは15:33発の普通列車。これに乗って向かう先は大田切駅。2両編成の213系がホームにやってきます[①]。伊那田島から乗ったのは私1人で、降りた人はいませんでした。

 飯田線の普通列車といえば119系でしたが、119系は既に引退。今は313系と213系が飯田線の普通列車に使用されていますが、全車ロングシートであった119系とは異なり、どちらも(転換)クロスシートを装備しています[②]。鉄道愛好家や遠地からの旅行者には、そっちの方がおおむね好評でしょう。私は別にロングシートでも気にしませんが・・・。

 大田切駅に至るまでにある駅の中で、私の記憶にとどまったのは田切駅。なぜか田切駅だけ、築堤上の高架駅となっています[③]。まあ、高架駅といっても別にたいそうなものではありませんが、いやしかし飯田線という路線には不釣り合い。以前は、150mほど北側にあった地上駅でしたが、急曲線の途中にあって車掌による安全確認が困難だったため、1984年に現在の場所に移転したとのこと。なお、現在は直線上にあります。

 この田切駅を出ると、節電のために消灯していた車内照明が再度、全て点灯しました[④]。案内上は、節電のための消灯区間は(豊橋〜本長篠と)元善光寺〜辰野間とされていますが、この列車では途中の田切発車後で消灯は終了しました。まだ外は全然暗くなってきてはいませんでしたが・・・、外の明るさに関係なく、10:00〜16:00に実施するので、16:00ちょうどに発車する田切で終了したようです。

 下車駅の大田切には16:25に到着[⑤]。「大”田切”」という駅名なので、何もつかないただの田切駅との姉妹関係(浦和と南浦和のような)の駅のようにも思えるんですが、大田切と田切の間には伊那福岡、小町屋、駒ヶ根の3駅があるので、あまり深い関係はないんでしょうか。








◆大  田  切  駅◆


おおたぎり①

橋梁渡って急勾配②

田切とは違って③

宮田村と④

駒ヶ根市⑤

あやうく⑥

いい景色⑦

想像はつく⑧

猫と出会った⑨

まあまあ綺麗⑩

 大田切駅も、伊那田島駅と同様に1日平均の乗車人員が飯田線の中でもかなり少ない方だったので、下車してみようということにしていました。しかし、伊那田島駅が山の中の農村にある閑静な駅という具合だったのに対して、同じ乗車人員が少ない駅でも、大田切駅は、その近くに車通りの多い道が通っていて、お世辞にも静かではありませんでした。ちょっと予想外にして期待はずれでした。

 ホームから辰野方面を見てみると、駅を出てすぐのところに橋梁があり、目にはっきりと分かるほどの急勾配が待ち構えているのが見えました[②]。何‰なのかは分かりませんが、結構なものではないかと思います。

 ”田切駅”はかつては急曲線に沿ってホームがあって、後に直線なところに移設されました。一文字違いの”大田切駅”も、きつい曲線に沿ってホームがあります[③]。脱線防止ガード付きの線路が敷設されていることがその証明と言えましょう。こちらは移設などはされることもなく、今も昔もこのきつい曲線に沿ってホームを構えています。

 大田切駅はちょうど、宮田村[④]と駒ヶ根市[⑤]の境界付近にあります(駅は駒ヶ根市側にある)。駅近くに、大田切川をまたぐ(道路の)橋がありますが、その橋の宮田駅側の終端が、ちょうど市と村の境目です。駒ヶ根市と宮田村を、足一歩で簡単に行ったり来たり。地図で見るような市町村の境界線が、まるで目にはっきりと見えるかのようです。

 階段に腰を下ろして一休み・・・、というとき。尻の近くにバッタがいることに気が付きました[⑥]。潰さなくてよかった。そういえば、ひとくちにバッタと言っても、こういういかつい顔に立派な羽を付けているものと、羽と胴体が一体化したような一体感のあるものと2種類ありますよね(この下手な説明で分かっていただければ幸いなんですが)。後者なら手で掴めるんですが、前者は無理。どうしてと言われても分からんけど。

 そろそろ夕方という頃合。太陽に照らされる物々も、やや黄色がかかって見えます[⑦]。一面に広がる海とか、山とか、そういう景色ももちろん良いんですが、山や川、雲、道路、住宅や電柱などがバランスよく調和して配置されている景色も私は好きです。一面の海や山には、人の住みようがないので、なんだかこの世界とは離れた異次元の世界を見ているような気がしないでもないので・・・。

 さて、大田切駅のすぐ脇には、ロザーナというバーがあります[⑧]。まず、私は「ロザーナ」という店名に注目しました。これだけでもおおよそこのお店の名前の由来と店長の性格が分かりそうなものですが、もう1つ、「Since1993」に注目。ロザーナといえば尾崎豊の曲の1つで、1993年といえば尾崎豊の死去の翌年です。恐らく、店長(創始者)は尾崎豊が好きなんだろうな、ということが容易に想像できました。

 そのロザーナの近くで猫と出会いました[⑨]。首輪こそありませんでしたが、外見は綺麗だったので、ロザーナか、あるいは別のところの飼い猫かもしれません。先ほどのバッタもそうですが、旅先での人間以外の生き物との出会いはなかなか楽しいですよ。

 伊那田島駅の待合室は居ていられる状況ではありませんでしたが、大田切駅の待合室はそこそこ綺麗で、十分、中に居られるレベルでした[⑩]。虫がほとんどいないというだけでもかなり違います。では、次の列車に乗り込みましょう。



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