坪     尻
つ  ぼ  じ  り / T s u b o j i r i
訪問日:2011年4月4日

●土讃線・JR四国●

讃 岐 財 田
Sanuki-Saida
徳島県三好郡三好市 箸     蔵
Hashikura



※各画像はクリックで拡大します。


▲駅名標

▲列車は阿波池田へ

▲扉は木製。プレートは新しい

▲坪尻駅のホームから

▲「おつかれさまでした」

◆停車のための”儀式”◆
 列車がトンネルを抜けた。トンネルを抜けると、右手にはこれから下車する坪尻駅が見える。なるほど噂通りに秘境駅というたたずまいだな、と思う。
 琴平から乗車してきた1000形の普通列車は間もなく坪尻駅に到着しようというわけだが、列車は坪尻駅を一旦通り過ぎる。何も知らなければ「どういうことなんだろう」と思ってしまうが、そう、ここ坪尻駅は四国に2つあるスイッチバック駅のうちの1つである。列車は坪尻駅に停車するために、折り返し用の引き込み線へ入るのだ。
 引き込み線に入って列車が停止すると、運転士は客室内を通って、これまでとは反対側(琴平方)の運転室へと向かう。しばらく待つと、列車は坪尻駅へ向けて逆走を開始した。この”儀式”を経て、列車は9:50、ようやく坪尻駅に到着する。
◆今までに見たこともないような駅◆
 9:50に列車は坪尻駅に到着した。財布からバースデイきっぷを抜き出し、それを運転士に見せて坪尻駅に降り立つ。4月になり、寒い日もめっきり減った。今日もたしかに暖かく、さらに空は雲1つない快晴で、本当に清々しい気分になる。
 坪尻で下車したのは私1人だった。まぁ当然といえば当然か、とも思う。坪尻駅は山の中にあり、駅前には人家はもちろん、道路もない。周囲を見回してみても、あるのはそびえる山々だけで、他には何もない。なぜこんなところに駅があるのか?という疑問も自然と湧いてくる。もっとも、それこそが、ここ坪尻駅が「秘境駅」と呼ばれる所以であるのだが。
 今まで、数々の駅に降りてきたが、このような駅は今までに1度も見たことがない。まだ駅の様子を見たり、周辺を歩いたりもしていないが、坪尻駅を取り巻いているものだけでも、私を驚かせるには十分であった。
 本当に凄いという一言しか出てこない駅だなぁ、と思っていると、2分の停車時間が経過して、普通列車は坪尻駅を発車していった。今度は進行方向を変えることなく、そのまま阿波池田方へと走っていく。
 そうして、坪尻駅から1000形のアイドリング音が消えた。人がなければ物もないのだが、とうとう音もなくなってしまった。しかも、駅の前に「マムシ注意」という看板も見えるものだから、ちょっと不安にもなってきてしまう。
 列車が発車して1人坪尻駅に残されたところで、尿意を催していたので、とりあえず便所へ向かった。ひょっとしたら便所なんかないかも、と思ったが、幸いにも便所は設置されていた。古めかしい木製の扉に、白く新しい「手洗所」というプレートが何とも不釣り合いだ。
 扉を開けて便所に入ると、そこはかなり汚れていた。清掃も一切行われていないのだろう。こうも山の中に駅があり、駅にたどり着くことが困難で、また利用者もほとんどいないという状況では、人の手が行き届かないのも仕方がない。

◆山の中にぽつんとある駅◆
 用を足して、再びホームに戻ってきた。改めて駅周辺を見回してみるが、先ほども書いたように、山に囲まれ、本当に何もない。自然に恵まれているとか、大自然の中にある駅とか、聞こえが良い言い方はいくらでもあるが、これはあまりにも自然に恵まれすぎている。
 山の上の方を見てみると、車が走っているところが見えた。山の上には道路があって、その道路は坪尻駅の最寄りの道路ということになるのだろう。だが、その道路はかなり遠くにあるように見える。
 そろそろ駅の外に出ようと駅舎内へ向かうと、頭上に手書きで「おつかれさまでした」と書かれた看板があった。どこからどれくらいの距離と時間で坪尻駅に来たかは人それぞれだが、特に遠来の人にとっては、心温まるものだろう。たかだが10個の文字が書かれているだけに過ぎないのだが、妙に人のぬくもりや温かさを感じるような気がしてならない。
◆駅ノートと本がある駅舎内◆
 駅舎内に入る。駅舎の中には木製のベンチが2つある。そして片方のベンチの上にはかごがあり、その中には駅ノートが入っている。1冊を手にとって中を見てみると、多くの書き込みがある。それだけ鉄道ファンの来訪はあるということなのだろうが、一般の人の利用はやはりほとんどなさそうな気がする。
 他の人の書き込みを見ていると、どこからどのような来たのかが書いてあったりして、その人それぞれの旅の様子が思い浮かばれる。旅の始まりの駅は全員違っても、みんな坪尻駅を目的地としてここで降りた。思わず、何とも言えぬ一体感のようなものを感じた。私も坪尻駅を訪れた記念に、駅ノートに書き込みをしてみた。これで坪尻駅に訪れた鉄道ファンの一員になれただろうか。
 ベンチの脇には本棚があって、その上には発車時刻表がある。本棚の下段を見てみると、「鉄子の旅」などの本が置いてあった。列車を待ち合わせる時間に読んでもらおうということで、地元の人か、それかどこからかやってきた鉄道ファンが置いていったのだろう。カバーにはしわがあり、それだけ多くの人に読まれたのだろうということがうかがえた。
 次に、本棚の上にある発車時刻表を目をやる。当然、列車の本数は少ないが、坪尻駅は普通列車でも通過する列車があるため、普通の時刻表に掲載されている普通列車の本数よりも本数が少ない。
 1日に発着する列車の数は、下りが8本で上りは5本。下りの方が上りよりも多くなっている。合計で13本の列車が発着するわけだが、1日の平均乗車人員は2人だ。少なくとも11本の列車では坪尻からの乗車はないということになる。また、乗り降りが全くない列車も当然あるだろう。だが、残念ながらそれが現状なのである。

▲列車の本数は少ない

▲駅舎内

▲本が置いてあった

▲駅ノートもあった

▲通過列車が駆け抜ける

◆駆け抜けていった南風号◆
 坪尻駅には通過列車の時刻表がある。通過列車がホームの横を通るなら、注意を呼び掛ける放送が流されない坪尻駅にはそういうものが必要かもしれないが、スイッチバック駅になっているがゆえに、通過列車はホームの横は通過しない。
 ではなぜ通過列車の時刻表があるのだろうかと思ってしまうが、実は坪尻駅には構内踏切があり、これには警報機がついていない。そのため、いつ列車が通過するのか分からないというのでは危険極まりない。そのため、通過列車の時刻表もあるのだろう。
 今から一番近いもので、10:08に下り列車が通過するようだ。その光景を見たいと思い、再びホームへ。誰もいないホーム上でしばし列車を待つ。
 数分後、列車が来るような音が聞こえてきて、それが段々大きくなってきたかと思ったら、笑顔のアンパンマンを見せながら、トンネルの中から勢いよく下りの特急南風(なんぷう)号が出てきた。
 速度は約100km/h。坪尻駅も引き込み線も構うものかとでも言うように、「南風(みなみかぜ)」のごとく颯爽と駆け抜けていった。目の前を通過するのに、時間にして5秒もかからなかったと思う。阿波池田方に見える曲線にあっという間に消えていくと、駅はまた静かになった。
◆味のある木造駅舎◆
 南風号の通過を見届けたあと、駅の外へ出てきた。先ほどは駅ノートを見たり書いたりするので時間を潰して、気がついたら南風号の通過時刻が近づいていたのでホームへ・・・、という流れだったので、まだ駅の外へは出ていなかった。
 外へ出ると、いきなり「マムシ注意」の看板が出迎えてくれる。これを見ると、たまに駅のホームなどで見る「ハトのフンに注意」なんてものは、大したことのないかわいいものにさえ思えてきてしまう。
 駅舎は木造の古びたもの。坪尻駅は利用者も停車する列車も少ない小さな無人駅だが、駅舎はきちんとある。本物の木でできているこの木造駅舎は、車両の内装などで使われる「木目調(の部品)」とは違い、本物ならではの味がある。坪尻駅は1929年に信号場として生まれているが、恐らくは、この駅舎はそのころから1度も建て替えられてはいないだろう。2011年で1929年からは実に82年が経過したことになるが、この古びた駅舎からは、その長年の歳月を感じることができる。
 駅舎内にある駅の解説によれば、1950年に駅に格上げされた当初は、行商の人や学生の利用が結構あり、利用者は多かったと言う。だが、現在は前述のような状況であり、鉄道ファン専用駅と言って差し支えがないかもしれない。
 多くの利用があったころから、1日わずか2人しか乗車しない現在までをずっと見てきた坪尻駅の駅舎。利用状況は大きく変わったのに、駅舎は多くの利用があったころの昔とあまり変わっていないというのだから、何だか物悲しくなってくる。



◆謎の廃屋の正体は◆
 帰りの列車まではもう少し時間がある。何をしようかと考えたが、そういえば、先ほど山の上に道が存在していることを確認していた。せっかくだから道まで行ってみようかと思い、道を目指して歩いていくことにした。
 それらしい道など見当たらなかったが、構内踏切を渡った先に、何やら道のようなものがあるのを確認できた。列車の通過時刻になっていないことを確認し、構内踏切を渡り、その道へと向かった。
 だがその道は明らかに人が通るようなものではなかったし、その先もどうなっているか全く分からない。道に繋がっているのかどうかさえも怪しい。だが、坪尻駅に繋がっている道はそれ1本だけである。とりあえず、その道を進んでみることにした。
 道の脇には民家があった。坪尻駅周辺にある唯一の建物だが、既に廃屋になっていて、外も中も朽ち果てている。
 この廃屋は、実は昔は雑貨屋だったという。しかし、ちょっと立地が特殊な雑貨屋だったというだけではなく、なんと四国で連続強盗殺人を犯した犯人が強盗をしに来た雑貨屋であるらしい。(犯人は現金2000円と菓子を奪って逃走。店主は無事。)
 また、この廃屋の見えている部分は2階部分であるらしく、1階部分はどうやら地中に埋まっているようだ。そして、どういうわけか廃屋内部とそばに、ドラムセットとバイクが捨てられている。
 消えた1階と、捨てられているドラムセットとバイク。これらが、この廃屋(雑貨屋)で強盗があったという事実と共に、私の恐怖感をあおる。
◆獣道を歩いていく◆
 廃屋の先からは、徐々に上り坂になっていった。だが、道と言っても、それはただ歩けるというだけで、どう考えても獣道としか言いようがないものだった。
 木々が生い茂る森の中。もちろん舗装はされておらず、落ちたらひとたまりもないような崖になっているところさえもある。しかもマムシのみならずイノシシ、蜂が出ることもあるというのだから、とても山の上の道と1つの駅を繋ぐ道とは思えない。ここ歩く際には、その危険性を認識することと、かなりの覚悟が必要になりそうだ。
 その後も更に歩いて行くが、進めど進めど、今歩いているところが獣道であることに変わりはなく、また一向に道に辿り着ける気配がなかった。
 帰りの列車までの時間が短くなっていく中、道に辿り着けそうにないのにこの道を歩き続けるのは時間的にまずいと感じたので、結局途中で坪尻駅へ向けて引き返した。・・・滑落したりしないように気をつけながら。
◆坪尻駅を訪問して思ったこと◆
 獣道を歩いて、再び坪尻駅へと戻ってきた。ついさっき坪尻駅で降りたばかりな気がするのだが、約1時間の滞在時間が過ぎ去り、もう帰りの列車の発車時刻が近づいてきている。
 ホーム上で列車を待ちながら、あの道のことをふと考える。よくよく考えると、鉄道を利用するのに、命の危険を感じながらあんな危険な道を通るというのは、実に馬鹿馬鹿しいうえにおかしい。
 それでも、かつては行商の人や学生が坪尻駅を使っていたというのだから、あの道も、今までに多くの人が歩いてきたはず。地面は落ち葉がたくさんあったが、その下には、きっとあの道を歩いたかつての利用客の足跡が刻まれていたのだろう。
 待つこと数分、10:52に乗車する琴平行きの普通列車がやってきた、久々に、坪尻駅に”音”が戻ってきた。だが、ここで下車する人はなく、乗ったのは私1人だけ。今度は人が消えてしまう。
 扉が閉まると列車はすぐに発車するが、向かうのは坪尻駅に来るときの普通列車も入った引き込み線。運転士が車内を移動するという光景がまた展開される。
 引き込み線に入ってから数十秒で、列車は再度始動し、琴平へ向けて走り始める。後ろへと去っていく坪尻駅が見えたかと思うと、列車はそのまま暗闇のトンネルへ突入してしまった。
 列車がトンネルに入ったことで見えなくなってしまった坪尻駅。トンネルの出口の光が見えるが、それもどんどん小さくなっていく。<終>

▲木造の古びた駅舎

▲周囲は山で本当に何もない

▲廃屋内部

▲国道への道は獣道

▲帰りの普通列車



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