7:56に新青森に到着し、8:05発の奥羽本線の普通列車に乗ります[①]。また乗り換え時間が9分しかありません。この後、五能線の全線乗車をしてしていくということで、20分後に来るリゾートしらかみ2号にも乗りますが、今回は、先行する普通列車に乗って、先に川部まで行っておきます。
列車が到着するときには、「黄色い線の内側まで下がって」という放送が流れますが、それならば、まずホーム上にある黄色い線を明示していただきたいところですね(笑)[②] 雪に隠れていて見えません。冬季はこの雪の線が黄色い線の代替となりそうです。
やってきた普通列車は5両編成の701系[③]。今回の旅では、2両や3両の短い編成の列車に乗ることが非常に多いので、5両編成でも「結構長いな」と感じるようになってきてしまいました。ちょっと感覚が狂い始めてきているのかも・・・(笑) 普段、常磐線で10両・15両の列車によく乗っている身ではありますが、やはり2両や3両に慣れると・・・ね。
津軽新城、鶴ヶ坂、大釈迦・・・、と各駅に停車しながら弘前へと列車は走ります。あけぼの号で通ってきたところですが、やはり普通列車で通るのと寝台列車で通るのとでは、何となく感じが違います。
「旅情」という言葉を辞書で引くと、「ひとり旅をしている者として感じる、しみじみとした思い。」とありました。同じところを通る場合でも、普通列車と寝台列車でなぜ旅情を感じない・感じるという違いがあるのか。
私が思うには、普通列車だと、自分以外にも多くの乗客が同じ車両に乗っていて、互いの姿がよく見えます。そこに「ひとり旅をしている者として感じる、しみじみとした思い。」はあるのかどうか。旅人としての思いを抱けるのかどうか。通勤・通学列車、近郊輸送の列車に紛れ込み溶け込んだ、ただの乗客の1人にしかなれないように思います。
そのような観点から言えば、寝台列車であれば、1人用個室の中で、他に誰もいないという空間で、しみじみとした思いを味わうことができます。例え開放寝台であっても、基本的には各寝台はカーテンで仕切られ、他人の姿はそんなに見るものではありませんから、個室寝台の場合と同様です。
私は、1人用個室の中で周期的に繰り返される走行音を愛で、深夜の夜空に向かって鳴り響く踏切の音を聞き、時に建物や駅のホームの光で部屋の中が照らされるという、あの時間に最も旅情を感じます。そこに缶コーヒーがあればなおよし。
と、そんなことを考えているうちに、列車は奥羽本線を進み、下車駅の川部に到着しました。列車の先頭車両の正面は特に何ともありませんでしたが、最後尾の車両は、尾灯が見えなくなるほどの雪に覆われていました[④]。特に問題とはされないのでしょうか。
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