●1月2日●

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 目覚めたのは・・・、というのは、正確な表現ではありません。列車は5:00に酒田に到着します[①]。長岡でベッドメイキングをし、眠ったろうと思っていたのですが、眠ろうと思ってもなかなか眠れず、数分眠ったら起きたり、駅に着くたびに起きたりと、まともに眠れませんでした。不思議なもので、列車に乗っているときというのは、眠りたくないときに眠ってしまい、眠りたいときに眠れないものです。

 で、まともに眠れない自分にいい加減に嫌気がさしてきて、結局青森到着までまだ5時間ほどあるという、5:00到着の酒田で、眠ろうとするのをあきらめました。ベッドにソファーに変えました。ここから先は起き続けます。

酒田の次は遊佐で、5:13着。その次は象潟で、5:36着・・・と言いたいところだったんですが、象潟の2つ前の駅である小砂川に5:30ごろに運転停車。列車交換だろうかと思っていましたが、5分ほど停車して、対向列車が来ないままに発車。そして以後、明らかに普通ではないとわかるノロノロ運転。

 「ああ、ついにか」と。2011年の12月に日本海号に乗ったときにも、羽越本線内の強風の影響で、大幅な遅れの発生を被りましたが、どうやらまたしても強風の被害を被ったようです。車内放送こそ流れませんでしたが、そのノロノロ運転が延々と続く様と、窓越しに見る木々が大きく揺れていたことから、強風のために徐行運転を開始してしまったことは容易に分かりました。

 20〜25q/hという速度ではありましたが、とりあえず運転見合わせとなっていないことは幸いです。定刻では5:36に着く象潟には、25分遅れの6:01に到着しました。問題は、この先、この遅れがどの程度拡大してしまうかということです。せめてこの遅れのままで青森まで行ってくれれば、あけぼの号以降の予定にも影響はなく、何の問題もないんですが・・・。

 6:20ごろにもなると、極うっすらとですが、空が明るみ始めます[②]。そして辺りをはっきりと見渡せるくらいの明るさになってくると、一面に広がる雪原が目に飛び込んできます[③]。ああ、北へ来たんだなあ・・・と、しみじみ。

 昨晩の車内放送では、秋田到着の20分前まで車内放送を休止するとしていましたが、秋田到着の20分前(6:18)の時点では、まだ秋田まで43qはある羽後本荘にすら到着していないという状況でした。で、当然ですが、本当に車内放送を秋田到着の20分前のところまで行わないということはなく、6:50ごろに着いた羽後本荘を発車した後でしょうか、車内放送が流れました。

 案の定、強風による徐行運転をしているとの案内がされ、また、車掌の言うことには、この先秋田までに3ヶ所の徐行区間があるとのことでした。まあ、そもそもあけぼの号が運行されるのかどうかさえ心配していましたし、荒れる冬の日本海側を走る夜行列車は遅れ・運休になって当たり前と思っているので、強風によって徐行運転をして、遅れが発生していることに特に驚きや困惑はありません。

 どうでも良いことですが、車内放送で、車掌が「このままの遅れで参りますと、秋田には6:28に到着します」などと言っていました。むしろ定刻より早いんですが・・・。昨晩の上野発車後の車内放送でも、「この列車には・・・」と言った後、数秒黙り込んで、それに繋がらない全く別のことを話し始めたりしていたので、どうも、ちょっと抜けているところがあるようで。

 7:13に道川に運転停車[④]。3分ほど停車して発車しました。

 さて、こうして列車に遅れが発生して、また、その遅れが数分程度のものではなく、数十分から数時間のものになると予想されるとなると、今後の行動に支障をきたす恐れがあります。一応、最大で55分程度の遅れなら吸収できるようになっているのですが、乗り継ぎを予定通りに行えなくなるほどに遅れが発生した場合に備え、代替案の思案を始めました[⑤]

 私は旅行に時刻表は持っていかない主義(列車は定刻で運転されるであろうと信じていて、また、予定通りにできなくなれば、その後はテキトーでいいやと割り切ることにしているので。現に時刻表を持っていかなかった旅で、それを後悔する羽目になったことはない)ですが、例えば今回のように冬の北日本を旅行する場合など、旅行前から遅れや運休が出る可能性が極めて高いと分かっている場合は、写真のように時刻表を持っていきます。

 辺りもだいぶ明るくなってきましたが、荒れた天気どころか、青空が出ていました[⑥]。天気予報では、雪だと言っていたのですが。大雪による遅れというのは、雪という視覚的に分かりやすく見えるものがあるので、納得しやすいのですが、風というのは、視覚的には見えないものですから、強風で遅れと言われても、「えっ?」と言いたくなるのが正直なところではあります。

 秋田の隣、羽後牛島を通過する[⑦]と、まもなく秋田です。秋田で一旦ホームに出る用事があるので、羽後牛島の通過を受けて、デッキへと移動します[⑧]。秋田には、1時間17分遅れの7:55に到着しました[⑨]

 「ホームに出る用事」とは、ホーム上の自動販売機で飲み物を購入することでした[⑩]。定刻では8:32に着く大館で、弁当とお茶を受け取る約束(予約)をしているのですが、どう考えても8:32に着くはずもなく、かと言って、大館でお茶(と弁当)を受け取るからと、飲み物の補給を一切しておかないのはまずいと思ったので、秋田でとりあえずこの2本の飲み物を購入しました。


















 シングルデラックスの室内には、このようなものが準備されています[①]。最初に入室するときはベッドの下に収納されているものですが、荷物入れに荷物を入れる際の踏み台や、足置きとして使うものだそうで。とりあえず足置きとして使うことにしました。

 「年末年始の北日本は荒れる」という言葉がまるで嘘かのような気持ちの良い晴れ。窓越しに差し込んでくる朝陽の柔らかな光が、個室内を程よく照らしてくれます[②]。そして窓の方を見ると、眩しい太陽が・・・![③]

 あれこれと考えていた代替案ですが、1時間ほどかけて(車窓を見たりするために休止する時間がかなりあったので、実際の思考時間はかなり短いですが)完成しました[④]。当初は津軽鉄道のストーブ列車に乗車する予定でしたが、JR線の未乗路線の乗車を優先することを元々決めていたので、津軽鉄道の乗車は放棄するものの、乗る予定としているJR線は全て乗ってくるという案になりました。

 上半分が1月2日分、下半分が1月3日分ですが、両日でそれぞれあけぼの号に乗ることとしました。今乗っているあけぼの号、今晩のあけぼの号、翌朝のあけぼの号と、計3回あけぼの号に乗車するという、極めてネタ度の高いものとなっています(笑) なお、今晩に青森から五所川原へ行き、翌朝また五所川原から青森に戻るという、無意味な移動がありますが、これは津軽鉄道に乗車することとしていたことの名残(今晩のホテルは五所川原)。

 北金岡で運転停車[⑤]。ここで列車交換を行いました。特急列車なら、やはり速度を出してバンバン駅を通過してほしいものですが、寝台列車(除く285系、つまり客車列車)だと、単線区間をのんびりと走って、列車交換のために小休止というのもなんだか許せてきます。

 秋田から列車は奥羽本線に入っていますが、奥羽本線内は強風による徐行運転の指令は出ていないようで、速く走れるところでは、80q/h近い速度を出しながら走っていました[⑥]。「カタン、カタン、カタン・・・」、軽快なリズムを奏でながら、銀世界の中を北上していきます。

 私は駅弁にはそんなに興味はありませんが、それでも、大館駅の鶏めしは知っています。製造元の花善では、FAX・電話で事前に予約を入れておくと、自分が乗っている列車の乗降口まで、予約した弁当などを持ってきてくれるというサービスを行っています。今回は、朝食は大館駅の鶏めしにしようと思っていたので、あけぼの号で受け取れるように、あらかじめ予約を入れておきました。
 大館駅の到着が近づいてきたら、7号車のデッキへ移動し、待機。乗降扉が開くと、すぐそこに花善の従業員が、予約しておいた弁当やお茶が入った袋を持って待っているので、名前を伝えて、代金を渡してそれを受け取ります。

 朝食に鶏めしを食べようと思ったのは、上野を出ると終点の青森まで、鶏めし以外に適当な食料(朝食)の補給手段がないということもありますが、そんなことは大した理由ではありません。以前、日本海号に乗車したときに鶏めしを食べて、そのときにこれは素晴らしいと感じて、もう1度食べたいと思ったこと。これこそがやはり、鶏めしをまた購入するに至った一番の理由です。味が決め手、というわけです。

 で、大館駅で弁当・お茶を受け取って、自室へ戻ってきました[⑦]。今回購入したのは、左からペットボトルのお茶(冷・150円)、お茶(駅弁タイプなるもの/温・100円)、鶏めし弁当(850円)、特上鶏めし弁当(1100円)、計2200円分[⑧]。駅弁タイプのお茶は、「お茶(駅弁タイプ)とは何ぞや」と思って、興味本位で買ってみたもの。鶏めし弁当が2つありますが、さすがに朝食で2つは食べませんよ! 片方は昼食に回すつもりで、2つ購入しました。

 普通の鶏めし弁当と特上鶏めし弁当、どちらを先に食べるかということが問題ですが、後者にしました。前者は、日本海号に乗ったときに食べたことがあるのでね。まだ食べたことがない方を先に食べる、ということで、特上鶏めし弁当を選択。鶏めしの量や質は普通の鶏めし弁当と同じですが、おかずがより充実しているようです[⑨]

 奥羽本線の有名撮影地の1つ、白沢〜陣場。実際に今一度写真を見なくても、一度でも見たことがあれば、「奥のトンネルを抜けてきた列車が、高架橋を、右手前に曲がりながら走るところを撮れる場所」とこう書き記せば、「ああ、あそこね」と分かる方もいらっしゃるのではないでしょうか。そこでは、今日も多くの人があけぼの号の撮影をしていました[⑩]


















 大館を出ると、碇ヶ関、大鰐温泉と停車して、弘前に到着します[①]。シングルデラックスの窓側は、ホーム側とは反対側だったので、どの程度の人が降りたのかは分かりませんでしたが、人口約18万人で、青森県第3位の都市である弘前市の代表駅であることと、五能線への実質的な乗り換え駅であることを考えれば、多くの人が降りたのではないかと思います。

 弘前を出ると、新青森に停車して、その次は終点の青森です。終点の青森へ向けて、あけぼの号はラストスパートをかけ始めたというところでしょうか。道なき雪原を横目に、北はみちのく・青森県を走ります[②]

 青森まであと約17qのところにある、大釈迦駅で運転停車[③]。奥羽本線と言えども、単線区間は非常に多く、それゆえ列車交換のための運転停車というものも、宿命として避けられないところではあります。が、その相手が普通列車だと[④]、「こっちは特別急行列車なんだぞコルァ」と毒を吐きたくはなりますが(笑)

 最後の途中停車駅、新青森駅に滑り込みます[⑤]。東北新幹線の全線開業に伴うダイヤ改正であった、2010年12月のダイヤ改正から停車するようになりました。乗継割引こそ適用されませんが、あけぼの号を新青森駅で降りて、新幹線に乗り換えて七戸十和田や八戸へ行くことも可能になりました。まあ、上野や大宮から乗ってそれをするのは、鉄道好きくらいでしょうが(秋田とかからならあるいは)。

 11:08、新青森駅に約1時間20分遅れで到着しました[⑥]。この1時間20分という遅れは、残念ながら、この後の乗り継ぎを極めて絶望的にする遅れ方です。上り列車の到着を待ってから発車する(これで更に遅れが拡大しますから、結局この後の乗り継ぎができなくなることは確定しました)とのことだったので、ホームに出てきてみましたが、冷たい空気が心地良かったです。

 あけぼの号でシングルデラックスとして使われる、スロネ24形550番代の個室側には、小窓が整然と均等に並んでいます[⑥]が、かつて東海道本線を走る寝台列車で使われていた、元祖シングルデラックス・オロネ25形0番代を髣髴とさせるものがあるように思います。もっとも、あちらは金帯ではなく、銀帯でしたが・・・。なお、オロネ25-0が全14室であったのに対し、スロネ24-550は11室なので、今乗っている後者の方がゆったりとしています。

 巻き上げた雪が付着したのでしょうか、車両の連結面の下の配線には、雪がびっしりと付いていました[⑦]。個室内から車窓を眺めていても、結構舞い上がる雪煙が見えるものですし、車両の外側では、凄いことが起こっているのだということがよく分かります。

 「あけぼの」を表示する発車標と24系[⑧]。東北新幹線が新青森まで開業したら、あけぼの号はお役御免になるのでは?という推測が、その開業前にはよく流れていましたが、実際には廃止されることはなく、それどころか新たに新青森を停車駅に加えました。寝台列車を愛するものとしては、やはり今でもこうして「あけぼの」の文字を発車標で見ることができることを、大変嬉しく思います。

 新青森を出ると、次は、ついに終点の青森です。下車の支度をあらかじめ整えておいて、あけぼの号での最後の数分を、自室でソファーに身を任せながら、じっくりと味わいます。

 そして11:27に、定刻から1時間32分遅れて、あけぼの号は終点の青森駅に到着しました[⑨]。強風による遅れこそありましたが、極端に大きな遅れになったり、途中で運転打ち切りになったりすることなく、終点の青森まで走ってくれたので、私としては、とりあえず一安心しました。ややもすれば不謹慎にも聞こえますが、お高い寝台料金を払ってシングルデラックスを手に入れたわけですから、遅れることで長く味わえてよかったかなー、とも。

 この遅れのためか、本来ならばあけぼの号は5番線に到着するところを、この日は到着番線変更となり、6番線に到着しました。その結果、”青森駅6番線に停車するあけぼの号”という、普段は見ることのできない、貴重な光景を目にすることができました[⑩]。今回、EF64形からバトンを受けて長岡から牽引してきたのは、EF81形の136号機でした。いかつい連結器回り(136号機は双頭連結器を装備しているカマ)が特徴です。

 以前は、1両のEF81形が上野〜青森の全区間を通していたので、上野でEF81形牽引のあけぼの号を簡単に見ることができましたが、上野〜長岡間がEF64形の牽引に変更されましたから、今では、EF81形牽引のあけぼの号を、茨城県に住む私が見ることの難易度は、格段に上がりました。

 さて、こんな具合にして、青森駅までやってきました。1時間32分も到着が遅れてしまったため、予定していた乗り継ぎは不可能となりました。そこで、ここからはあけぼの号の車内で考えておいた代替案を用いて行動することになります。ま、旅というものは、予定通りに行かないくらいの方が、山あり谷ありくらいの方が、結果としては面白くなるものですよ。



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