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 北海道への線路上にはない三厩駅。駅名標の隣の駅は、片側しかありません[①]。ここが線路が途切れる駅であることを示しています。東北の駅百選に選ばれている駅ですが、それによれば、「かつては青函トンネル建設基地として、たくさんの人々が訪れたが、現在は、旅情豊かな風と潮の町の静寂な駅」とのこと。なるほど、三厩駅をよく端的に表していると思います。

 駅舎がある側とは反対側に、簡易な造りの建物があります[②]。これは青森保線技術センターの「三厩休憩所」。また、青森運輸区の「三厩乗務員休養室」でもあるようです(左側の入り口が前者、右側の入り口が後者)。どちらも休息がとれるところのようですが、中にはどのようなものがあるのでしょうかね?簡易なベッドくらいはあるのでしょうか。それとも椅子くらいしかないのでしょうか。

 ホームから駅舎に入る前、駅舎への入り口の上部に、「三厩駅」と書かれた看板があり、これが出迎えてくれます[③]。そして駅舎に入ってすぐ左側に、除雪用具が置いてありましたが[④]、色々な種類があるようですね。雪をかく部分が縦長なものもあれば、横長のものもあります。そしてまた、金属製のものもあれば、プラスチック製のものもあります。

 駅舎内にはストーブがありました[⑤]。外はとにかく寒いわけですから、駅舎の中で少しでも暖をとりたいときには重宝しそうです。私にとっては、駅の入り口にある扉は、寒いところに来たんだなと思わせてくれるものですが、駅にあるストーブは、凍てつく寒さと雪に覆われる町で生活する人々の、冬の間の苦悶の日々を偲ばせるものです。ですから、入り口の扉よりも意味合い的には深刻なものがあります。

 三厩駅の時刻表[⑥]。1日僅か5本です。この本数ですから、三厩駅に津軽線の列車を利用してやってくるのは、難易度的には極端に難しいわけではありませんが、しかし楽なものでもないでしょう。1日の数ある移動の中に組み込もうと思うと、どうしても津軽線の列車の時刻を中心にして、その前後の移動を考えなければならなくなります。

 基本的には蟹田からやってきた列車がそのまま折り返していくわけですが、折り返しの発車までの時間はまちまち。最短は7:46到着〜7:53発車の僅か7分。最長では16:43到着〜17:43発車の1時間。今私が乗ってきた列車は12:02着のもので、その折り返しの発車は12:42。間は40分です。路線の途中駅での下車の滞在時間ではなく、1路線の終着駅での滞在時間としてはちょっと短いですが、さすがに15:21発にするわけには・・・。

 駅舎はこのような感じ[⑦]。華美であることもなく、しかしみずぼらしいこともなく。みちのくの最果ての駅ではありますが、人気(ひとけ)もなく、往来する車もなく。冷たい北風が吹きすさぶ、寒いある冬の日の寒空の下に、静寂の中に溶け込むように佇んでいます。1日の平均乗車人員は33人しかありませんが、私のこのたった1回の来訪が、その計算の中に含まれてくれるなら嬉しいことです。

 蟹田への戻りの列車の発車時刻までは、40分程度しかありませんが、先ほど列車内から見えた三厩湾に行ってみようということで、とりあえず駅前の道をまっすぐ歩いていくことにしました[⑧]。駅周辺は民家もありますが、やはり静寂に包まれていて、道を歩けば積もった雪を踏み固める音がはっきりと私の耳にも聞こえてきます。そんな音を聞きながら、1歩1歩前へ。

 「たぶんこう進めば三厩湾にたどり着くだろう」という道を適当に歩き進んでいくと、視界の先に、僅かですが三厩湾が顔をのぞかせました[⑨]。空は灰色で、雪がまたちらりちらりと降り始めました。

 もう三厩湾がすぐそこ、というところの横断歩道で、縦型の信号機を発見[⑩]。鉄道においては、駅の入り口の扉が、私は一種の雪国ならではのものだと思っているのですが、道路(車)においては、やはりこの縦型の信号機が雪国ならではのものだと思っています。もちろん、暖地でもところによっては縦型の信号機が見られますが、その絶対数が違いますからね。


















 三厩湾により近づくためには、横断歩道を渡らなければならなかったですが・・・、その横断歩道がある信号機は感応式で、横断歩道を青にするためにはボタンを押さなければなりませんでした。さて、こういう状況で、私はどうやってボタンを押せばよいのでしょうか?[①]

 ボタンを押そうと思っても、歩道にこれだけの雪が積もっていると、足を踏み出すことすらままなりません。こういう事態になることは想定されていなかったのでしょうかね。いや、まさかそのはずは。以前は定期的に歩道の除雪をしていたが、今はしなくなってしまったとか?あるいは時差式なら、ボタンを押す必要がなくなるので、しばらく待っていれば勝手に青信号になってくれるのですが・・・。

 結局、車が来ないときを見計らって道路を横断しました。そして眼前に広がる三厩湾[②]。まだ見えませんが、この海原の向こうには、北海道の大地があります。この津軽海峡を連絡船で渡った時代も今は昔。現在では海底トンネル。海の上から海の下へ。そして在来線から新幹線へ。「レールが結ぶ、一本列島」という言葉がありましたが、四国新幹線は当分先のこととはいえ、「新幹線が結ぶ、一本列島」の時代も遠くはないのでは。

 「この全く除雪されていない歩道に足を普通に踏み入れたらどうなるか」と思って、一応、足を突っ込んでみました。そうしたら、これくらいの深さの足跡ができました[④]。俯瞰気味の写真で、深さが伝わりにくくて申し訳ないのですが。とりあえず分かったのは、「ここを歩いて歩行者用のボタンを押しに行くというのは無理な話だ」ということ。

 それにしても・・・、車も、歩行者も全くと言って良いほどやってきません[⑤] [⑥]。そして気が付いたら降り方が強くなっている雪。風が駆け抜ける音だけが不気味に響く空間には、なんというか、物凄くむなしさを感じます。

 で、駅への帰り道も、別に車とすれ違うこともなければ、人とすれ違うこともなく。それでいて天気は猛烈な吹雪という状況[⑦]ですから、まるで映画のワンシーンで、世紀末の世界にでもいるのではないかという感覚にさえ陥ります。果たしてそれに意味があるのかないのかは分かりませんでしたが、一応傘を差して、雪をなるべく体やリュックに浴びないようにしながら、ゆっくりと三厩駅へ。

 雪慣れしていない茨城県民ですが、一応、”勝手に”雪には強いつもりでいます。しかし、さすがにこれほどの吹雪となれば話は別です。駅へと歩く、ただそれだけなのに、強風を傘に受けて千鳥足。三厩湾へ行くときの道のりは、まだ小雪がちらつく程度でしたから、行きはよいよい帰りはこわいとはこのことか。

 なんとか三厩駅へ到着。駅前には公衆電話が設置されているのですが、電話ボックスの内部へと入るためには、まず2段の階段を上らなければなりません[⑧]。私の家の近所にある公衆電話は、電話ボックスの床はそのまま道路と同じ高さです。電話ボックスの扉の前に雪が積もったときに、出入りが不可能になるのを避けるために、少し高いところにしてあるのではないかと推測しましたが、どうでしょうか?

 当然ことですが、寒いですね。はーっと息を吐くと、その息がすぐに真っ白になって視認されます[⑨]。やや下品な話ですが、鼻息でさえもはっきりと白くなります。さ、外を歩いて冷えた体には、駅舎内のストーブを・・・。

 12:42発の蟹田行きは、12:02到着の列車の折り返しなので、車両は先ほどと全く同じキハ40系2両編成[⑩]。吹雪にさらされながら、乗客を待ち続けるキハ40系。どこか哀愁を漂わせているようにも思えます。















 駅舎の中に、「1人1個、ご自由にお持ちください」という貝殻があったので、三厩駅来訪の記念に、1枚頂いて帰ることにしました[①]。さて、どうしましょうか・・・、これ。別に飾ろうと思って持って帰ることにしたわけでもないので、この後の処遇にちょっと困りますね・・・。

 津軽線のキハ40系は非冷房車ですが、扇風機が天井に取り付けられています。扇風機の中心部分には、JR東日本のロゴと文字が入っていますが、一部の扇風機は、そのロゴと文字が退色してしまい、JR東日本の緑色ではなく、西の方にあるあっちの会社の色のようになっていました[②]。「東」の文字さえ見なければ、本当にJR西日本のキハ40系ではないかという気さえ・・・。

 津軽線の三厩〜蟹田間に乗車していると、海峡線との並走区間を中心として、北海道新幹線の建設工事の現場と思しきものを目にします[③]。北海道新幹線なんぞ、所詮は開業はまだまだ先の整備新幹線よ・・・、と思っていましたが、札幌開業はともかくとして、新函館開業は、2015年を予定しています。もうあと3年以内のことなのです。知らない間に、そんなに近くなっていたとは。

 12:57に到着するのは津軽今別・・・、もとい、津軽二股。有名なことですが、津軽線の津軽二股駅と海峡線の津軽今別駅は隣接していて、両駅の間は(というよりむしろ両ホームの間は)専用通路で結ばれています[④]。津軽今別駅は海峡線の開通と同時に誕生しましたが、なぜ津軽二股ではいけなかったのでしょうね?なぜ別の駅として独立させたのか、これは私にとっては大きな疑問です。

 なお、北海道新幹線の奥津軽駅が、ここ津軽二股・津軽今別駅のところに設けられる予定ですが、その際は海峡線の津軽今別駅は奥津軽駅として生まれ変わることでしょう。が、津軽二股駅はどうなるのやら。奥津軽駅(←津軽今別駅)が開業しても、やはり独立を保つのでしょうかね。しかし奥津軽に統合する方が、旅客案内上も分かりやすくなって良いように思います。

 津軽二股〜大平間には、携帯電話が圏外になってしまうところがありました[⑤]。往復ともほぼ同じところで圏外になったので、端末の一時的な不調ではなく、本当に電波が届いていないようです。基地局の整備により、圏外となるところも随分と減ったのではないかと思いますが、まだこのように残存しているようです。JR北海道の石勝線でも、一部圏外になってしまうところがあります。

 そして13:22に、列車は終点の蟹田に到着しました[⑦]。三厩での大雪はなんだったのかと思わせるような晴れでした。次の三厩行きの発車時刻は14:20。まだそれまでは少し時間があります。1日5往復、1本の編成が、ただひたすら同じ区間をピストン輸送する。単線区間ではお馴染みの列車交換すらもない蟹田〜三厩間ですが、北海道新幹線の新函館開業後も、引き続きJR東日本の路線として営業することが決まっています。



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