鉄道での旅行には、窓越しに見える車窓や特徴ある駅舎を見ること、夜行列車でじっくりと移動することなど、様々な楽しみがあります。
登山家たちが「そこに山があるから」山に登るように、私も「そこにレールがあるから」鉄道での旅をします。

規則や命令に束縛された日常生活から抜け出して、遠い目的地を目指すことの楽しさと、到着した時の一種の「達成感」
これが得られるだけで、私は日本全国どこへでも飛んでいくつもりです(笑)


※閲覧される皆さんへ※

DISCOVER どこかは(いや、もちろんそれ以外もそうですが)、誤字・脱字や画像のリンクミスがないよう、細心の注意を払って制作していますが、
文字の量・画像の量ともに非常に多いため、それでも誤字・脱字や画像のリンクミスが発生している場合があるかもしれません。その点、ご了承いただきたいと思います。

一応、私自身も作成したものを見て、間違っている個所を見つけたら手直しするようにしていますが、
もし、DISCOVER どこかを閲覧されている際に、何かしら間違っているところがあれば、ご連絡をいただけると嬉しく思います。

また、列車の愛称や号数、停車駅や現存/廃止の状況その他諸々は、全て制作当時の状況に基づいて記述していて、後に状況が変わって、
旅行記の本文中に書いてあることと実際の事実が異なるようになっても、後から修正することはしません。そのままにしておきます

その点についても、どうかご承知おきください。





2009年8月の九州初上陸!〜の旅をしたときは、私はまだ中学2年生でした。
ここにある旅日記は、古ければ古いほど「まだまだ尻が青かったころ」に書いたものとなるため、古い旅日記の質については、
かなりひどいものであることを予めお伝えいたします(私自身の成長に合わせて、旅日記も徐々に進化しています)。



まだ見ぬ九州の鉄道を求めて・・・
九州初上陸!夏の南国の地を駆け巡る旅


2009年
8月13日〜15日
 日本には北海道、四国、九州という、本州とは直接は繋がっていない大きな島が3つあります。
 私はこのうち北海道、四国には行ったことがありましたが、九州にはまだ1度も足を踏み入れていませんでした。そしてまた、九州を走る独創性溢れる車両たちに大きな魅力を感じ始めていました。
 「九州初上陸」と「九州の車両を楽しむ」ことを目的として実行した、これまでの私の鉄道旅行の中でも最大規模の旅。

春、去る者たちへ哀悼の意をこめて・・・。
能登、雷鳥、500系のぞみ号惜別乗車の旅


2010年
1月29日〜30日
 500系の東海道新幹線からの引退が発表され、「惜別乗車でもするかな」と思っている最中に発表された、北陸号・能登号の廃止と雷鳥号の1往復化。
 「どうせなら、500系と北陸(能登)、雷鳥の全てに乗車することはできないか?」と思いながら時刻表を見ていると、嬉しいことに、都合良く全てにに乗車することができることが分かりました。
 「それならばやってしまえ」と、3つの惜別乗車を行う旅が実行されました。
土・日きっぷで大暴れ!
土・日きっぷで東日本のあちこちを巡る旅
2010年
3月27日〜28日
 「新幹線・特急(含急行)の自由席が土曜・日曜の2日間乗り降り自由!」という、出血大サービス極まりないトクトクきっぷの「土・日きっぷ」が、3月27日・28日の利用をもって廃止になる・・・。
 その発表を聞いた私は、前々から温めていた土・日きっぷでの旅行を、「今せずしていつするのだ!」と考えて、ついに実行することにしました。

さよなら初代「Narita Express」
初代N'EX・253系に別れを告げる

2010年
6月12日
 初代成田エクスプレス専用車両、253系が6月30日で定期運用を終える。すなわち、成田エクスプレスとしての運用を終えてしまうという一報を耳にしました。
 E259系の導入でいつかはそうなるということを考え、写真撮影は2010年の2月中に済ませてしまいましたが、惜別乗車はまだしていませんでした。
 それならばと行った253系の惜別乗車の旅。E259系との乗り比べも。

全長676キロの「偉大なるローカル線」
日本最長路線・山陰本線を乗りつくす旅


2010年
8月21日〜23日
 全長676キロの山陰本線は日本最長の鉄道路線で、どう頑張っても1日だけ、または1本の列車で全線乗車をすることは不可能という路線です。
 そんな山陰本線の「日本最長」の肩書きに思わず惹かれてしまった私は、何回かに分けず、1回の旅行で全線乗車をする旅をしよう、と考えました。
 計画段階では、山陰本線を全線乗車する!ということばかりに気を取られていましたが、いざ山陰本線に乗ってみると、数々の絶景が私を待っていました。
 そう、山陰本線は、ただ長いだけではない、そこを通る我々に、素晴らしい車窓を与えてくれる路線でもあったのです。

快速シーハイル上越号で行く
冬の上越を訪ねる旅



2011年
2月6日
 高校受験が控えている、ということで、↑の山陰本線を全線乗車する旅をして以降は、旅をしたり、列車に乗って写真を撮影しに行ったりするのをしばらく自粛していました。
 そして2011年1月上旬、高校受験が終了。晴れて、休止状態にあった鉄道趣味をまた再開して、旅などをすることができるようになりました。
 復活後最初の旅の行き先は、まだ真冬の雪国・上越。臨時快速のシーハイル上越号に乗り、白い毛布を纏い、一面銀世界の冬の上越を訪ねてきました。

855.2kmの線路が作る物語
春の四国を駆け巡る3日間



2011年
4月2日〜6日
 「自分の誕生月のうちの好きな連続3日間、JR四国の特急列車のグリーン車が乗り降り自由」という、出血大サービス極まりない、JR四国が誇る?トクトクを地で行くきっぷ「バースデイきっぷ」。嬉しいことに、この切符を使っての旅行ができることが分かりました。
 「それなら早速旅程を練るぞ」と旅程の検討をしたところ、有効期間の3日間でJR四国全線を乗車することが可能であることが分かりました。
 3日間でJR四国のほぼ全線を乗車するということで、ちょっと急ぎ足になりながらも、春の季節感 、秘境駅の魅力、絶景、列車の力強い走りなど、ありとあらゆるものを感じ、聞き、味わい、得てきました。さぁ、旅の始まりです。

はるか南紀のくろしおと海と
熱い暑い夏の紀伊半島を駆ける旅



2011年
8月12日〜14日
 2007年以降、毎年8月に泊まりがけの大型旅行をしていますが、2011年は、紀勢本線などに乗って、紀伊半島をぐるっと回るという旅行をすることに。
 新幹線の驚異的な速さを体感し、気動車特急の力強い走りを満喫。普通列車でのんびりと揺られ、時には列車交換で小休止。車窓には、山と田圃の田舎風情溢れる風景だけでなく、一面に広がる雄大な海も展開。特急のグリーン車で快適に過ごすこともあれば、都市の列車混雑に放り込まれることも。そして個室寝台から見られる星の海・・・。
 乗ったそれぞれの列車には、それぞれ違う走り、車窓、雰囲気がありました。その1つ1つが、まるでパズルのピースのようで・・・。

行くぜ、東北?
東北応援パスで冬の雪国へ



2011年
12月24日〜26日
 東北応援パスなるトクトクきっぷの発売の情報を入手。JR東日本全線が乗車可能といえども、乗車券のみのタイプとなると、イマイチ旅行意欲が湧いてこないところだったんですが・・・、「せっかく発売されるのなら」と、東北応援パスでの旅行の決行を決意しました。
 通常、12月に旅行なんてしないので、東北応援パスの発売によって急遽行われた、”予定外”の旅行でしたが、青森で発着する2つの寝台列車に乗るという中身の濃さも手伝って、この銀世界の冬の雪国を巡る旅は、いつまでも思い出として残る旅行となりました。

列車にゆられてボクは行く
夏・縦断・NNG



2012年
8月19日〜21日
 幾度の鉄道旅行により、未乗車の路線は少なくなり、それらの残った路線も、乗車難易度が高いものも増えてきました。そんな状況下で残存する、比較的乗りやすそうな路線がいくつか目につきました。その路線とはいったい?
 乗車する路線選びの動機は不純。でも、やっぱり鉄道旅行は楽しい。なぜその路線を選んだのか?そんなことは、もはやどうでもいい。自分の目に前にやってきた列車に乗り込み、走行音と景色をまなでる。それが鉄道旅行です。

///番外編///
早めに651系をじっくり味わっておいた


2012年
9月23日

 ここでもう予防線を張っておきます。手抜きの旅行記です。


それはまぎれもなくヤツさ
帰ってきたぞ、再上陸!冬の東北2013



2013年
1月1日〜4日
 2011年12月の東北応援パスの旅行で、リゾートあすなろ下北号と大湊線の乗車にあえなく失敗。それ以降、いつかリベンジしてやろうと思い続けていましたが、そのリベンジの時を2013年1月に設定しました。
 そのリベンジ構想が、今回の旅のそもそもの発端でしたが、発端が至ってシンプルだったにも関わらず、なぜか旅の計画は肥大化。気が付けば、計3泊4日を要し、ふるさと行きの乗車券で乗れるJR線で、まだ乗っていないところは1mも残さず乗り潰すという旅に発展していました。
 でぃすかばあ・のーすいーすと。さあ、北へ行こう。約1年の時を経て、再びあの遠い東北の地へ舞い戻ろう。

4年ぶりに関門越えて
ニーマルイチサン・イザ!・九州



2013年
8月15日〜19日
 485系で運転されるにちりん号の存在を知った私。当初は、それに乗ることが九州へ行くことの最大の目的になっていましたが、実際には、それ以外の列車への乗車もなかなか面白く、結果的には、「九州の様々な列車と路線を味わう」という旅になっていました。
 2009年にも九州を訪れていますが、その後、九州新幹線の全通などもあり、九州の鉄道は大きく変わりました。2009年から2013年という4年の歳月で、九州という地はいかに変わったのか。
 今、4年ぶりに再上陸する九州。用意はいいか。さあ、真夏の九州を縦横無尽に駆け巡る旅の始まりです。

北の大地が、私を呼んでいる
THE HOKKAIDO



2014年
1月26日〜2月2日
 なぜ、人は旅に出るのだろう・・・?
  なぜ、人は物として残らない「想い出」を求めるのだろう・・・?
   なぜ、人は「遠いところ」に憧れを抱くのだろう・・・?
    なぜ、人は時として「土地」に吸い寄せられるのだろう・・・?
     なぜ、北の大地は私を呼ぶのだろう・・・?

 何があるから、何に乗りたいから、だからそこに行こう。私の旅には、大抵「動機」があります。でも、今回は違うんです。明確な動機がないんです。
 では、なぜ北海道へ行こうと思ったのか・・・?それは、「北の大地が私を呼んでいる気がしたから」―――。

絶景と心躍るひとときを掴むために
晩夏・北の大地、風に吹かれて




2014年
8月30日〜9月7日
 事の発端は「前回の北海道旅行で乗れなかった宗谷本線と日高本線を何とかしないと」という思い。それらを乗ってくるだけであれば、別にいつでも構わないわけですが、トワイライトエクスプレス号の廃止が発表されるなど、北海道行きの夜行列車の存在が危うくなりつつありました。
 夜行列車を愛する人間としては、北海道は、やはり夜行列車を使って出入りしたいところ。それができるのも、そう長くはないのかもしれない。ならば行けるうちに行かねば。機を逃してはならぬ。
 と、きっかけはそんなことだったわけですが、いつしか、北海道フリーパスの有効期間である7日間を目いっぱいに活用しつつ、観光要素もきちんと取り入れるようにした、完成度の高い旅になっているのでありました・・・。

///特別篇///
時代を駆け抜ける豪華寝台特急の象徴
―その名は、カシオペアスイート―


2015年
2月17日〜2月18日
 数多くの夜行列車が「利用客の減少」を理由に廃止され、ついには、「車両の老朽化」というとんでもない理由を盾として、利用客の減少に依らない夜行列車の廃止例まで現れ始めてしまいました。
 一方、上野〜札幌間を走る寝台特急・カシオペア号は、常に高い乗車率を誇り、また1999年に製造されたE26系客車を使用しているという、利用客の少なさとも車両の老朽化とも縁のない列車です。
 いつの時代も人気であり続ける豪華寝台特急とは、いかなるものであるのか。今回は、旅日記の制作対象を、カシオペア号に乗車したときのことにのみ絞り込んで、カシオペアスイートの超詳細な乗車記をお届けいたします。

その旅、”唯一無二”生まれ
心燃え滾る西日本攻略大作戦






2015年
8月13日〜8月24日
 ある頃から、私は、自らの鉄道趣味における目標を「JR線の全線乗車」に据えてきました。旅をするときは、いかにして未乗車の路線を乗るかということを第一に考え、全国各地のJR線を順調に乗り潰してきました。
 そんな私の「生業」も、いつかは終わりが訪れます。そして「終わりの訪れ」は、もう決して遠くないところまで来ています。順調に行けば、2016年の春には、不通区間を除くJR線の全線乗車が完了する予定です。
 ならば、「これまでの乗り鉄活動の集大成とも言える旅」をしてから、JR線の全線乗車を完了したい。私の心の内には、そんな思いが芽生え始めていました。
 かつてない予算を用意して、かつてない規模の旅をしよう。近年は観光要素も取り入れるようにしてきたけど、乗り鉄活動の集大成と銘打ったこの旅、どうせなら、観光要素はほぼ無視して、列車への乗車一辺倒になってみよう。
 「かつてない」をキーワードとして考案された今回の旅。宿10泊+車中1泊という規模にまで達した壮絶なる旅の模様をご覧ください。

///特別篇///
ゆらりうつろう特別な28時間
―もうひとつの黄昏急行物語から―


2016年
2月22日〜2月23日
 あれだけ夜行列車好き、夜汽車好きを自認しておきながら、トワイライトエクスプレスには乗れなかったという悔しさ。いや、もしかしたら、「乗れなかった」というより、「乗らなかった」の方が正しいのかもしれません。
 私なりに寝台券の購入は努力しましたが、その努力が足りなかったから、ついぞ乗る機会が得られなかったんです。もっと努力していれば・・・。もっと駅に足を運んでいれば、乗れずに終わるなどということはなかったはず。
 そんな中、2015年5月より、特別なトワイライトエクスプレスなる列車の運転が始まりました。とはいえ、どれも目が丸くなるほどの高額な料金設定ばかり。結局、自分はトワイライトエクスプレスに乗れやしないんだろうな、と思っていたそのとき。あるネット上の広告から発見したツアーとは・・・!?

21歳に間にあいました。
JR線(仮)全線乗車への道をなぞって




2016年
3月23日〜3月28日
 この人生を送る中で、いろんなものが好きになり、いろんなものが嫌いになりました。いろんなものにハマり、いろんなものに飽きました。しかし、そんな中でも、鉄道だけは、幼き日から、ずっと一番の趣味として君臨し続けてきました。
 その鉄道趣味における最大の目標。それは、「全国津々浦々に張り巡らされたJRの路線を全て乗り尽くす」ということです。その目標は、放棄されることなく掲げ続けられ、私は、未乗車の路線を乗ることに勤しんできました。
 そして2016年春。「かつて心に決めた約束」を果たすときが、ついにやってきました。私は、自分で自分を裏切ることをしませんでした。子供のころに抱いた夢を、大人になっても忘れませんでした。
 機は熟しました。さあ、今こそ旅に出るのだ。その先に浮かぶ、21年間も終わらなかった夢のゴールテープを駆け抜けるために。

///特別篇///
〜5年9か月の時を越えて〜
幻を現実へ!甦るカシオペアデラックス


2016年
12月30日〜12月31日
 2016年3月をもって、上野〜札幌間を走る寝台特急カシオペア号は、時刻表に掲載される一般の臨時列車としての運転を終了しました。私自身は、2015年2月にカシオペアスイートに乗車しており、「最後に”最高峰”に乗って締めくくれたのだから、まあ今更悔やむことは何もないだろう」と思っていました。
 そのような中で、ある日、団体専用の臨時列車である「カシオペア紀行」に乗れるチャンスが舞い込んできました。そして、そのとき、私の脳裏に、2011年に起こったある出来事が甦ってきました。
 最終的に選んだ設備は「カシオペアデラックス」。それも、今までになく強いこだわりを持ってこれを選択しました。そのこだわりはなぜ生まれたのか。私はなぜデラックスを強く所望したのか。その顛末をご覧ください。

思い出せ!あの日の感動
霜月、追憶の寝台列車再会ものがたり




2017年
11月1日〜11月6日
 2016年3月に実施した旅をもって、私は、「JR線の(仮)全線乗車」を達成することができました。当時は、山田線の上米内〜川内間が土砂災害によって不通となっていたため、そこのみが未乗車の区間として残りました。
 そして、「まあ、山田線の不通区間が復旧したら、とりあえずそこには乗りに行かなきゃな」と思っていたその矢先、私は、JR東日本からの「・・・に運転を再開します」との知らせを目にしました。
 こうして、「ついに運転再開か。それでは早速手筈を整えて・・・」と動き出したことが今回の旅の起点でしたが、当然、せっかく岩手まで遠出するのに、山田線の不通区間を乗って帰ってくるだけでは、あまりにももったいない。
 「ついでに、岩泉にある『ブルートレイン日本海』にでも泊まってこようか」などと考え始めたところ・・・、いつしかその流れは止まらなくなり、かつて私と旅路を共にした懐かしの寝台列車たちを追いかける旅が出来上がっていました。

縦横無尽に駆け巡れ。
47都道府県&日本縦断大紀行


2018年
2月7日〜2月24日
 どうにかこうにかなんとか就職先が決まり、いわば「暇人」状態にあった私は、「学生時代の最後を飾るにふさわしい旅とは何なのか?」というものを、ずっと考え続けていました。
 世間では、よくこう言われます。「時間はあるが金はない学生」、「時間はないが金はある社会人」。時間については、これはもう学生時代の特権であると言えると思いますが、お金についてはどうでしょうか。ひたすらに貯金に励み、”軍資金”貯め続ければ、「時間も金もある学生」になれはしないでしょうか?
 だからこそ、私は、「いつか来るそのときのために」と貯め続けたお金を一気に開放して、「時間も金もある学生」を体現し、学生時代の最後を飾るにふさわしい旅を完成させました。
 「沖縄を含めた47都道府県を一気にめぐる、まさに日本を縦断する大旅行」。今ここに、我が鉄道趣味人としての人生の全てが結実する・・・!

続く、続く、まだ続く・・・
47都道府県&日本縦断大紀行
・・・の後日談!


2018年
2月24日〜2月27日
 「沖縄を含めた47都道府県を一気にめぐる、まさに日本を縦断する大旅行」をテーマに決行した「47都道府県&日本縦断大紀行」を、2月24日11:32の札幌到着をもって完了した私は、そのまま気持ちよく家路に・・・、ついてはいませんでした。当然の(?)ことながら。
 ”せっかくこうして北海道までやってきたのだから、もうちょっと楽しんでいかないと”、”いまさら数日延長したところで、かかる費用はそうそう変わるものでもあるまい”、”どうせなら、己の欲望は全て満たしてしまえ”。あらゆる言い訳と理由を重ねることにした私は、今回の旅を「なんらの悔いも不満もないもの」に仕立て上げるべく、札幌到着後、3日半の「延長戦」に入ることにしました。
 真冬の北海道で展開された延長戦、その顛末やいかに。出札補充券に記された「稚内」を目指し、いま、その火蓋は切って落とされました。

///特別編///
グリーン個室貸し切りを堪能せよ
特急にちりんシーガイア24号の366分


2020年
7月11日
 あるとき、時刻表で日豊本線のページを開くと、ある列車が目に入ってきました。「宮崎空港1719 特急にちりんシーガイア24号 博多2325 G個」。それを見て、私は思いました。「6時間以上に渡ってグリーン個室を独り占めできるなど、とてつもなく贅沢な話ではないか?」と。
 ややっ、と思ったら即実行。だいたい、このような風変わりな列車など、いつまで持つか分からないのです。「そのうち乗ろう」と思っていたら、結局乗れずじまいのまま終わってしまうこともありえます。
 最も陽が長い時期のにちりんシーガイア24号のグリーン個室券を入手することに成功した私は、この6時間6分の素晴らしい時間を体験するべく、羽田から宮崎に飛んだのでした。

旅が持つ世の中への力を信じよう
1/1の夢旅人の北海道物語



2020年
7月23日〜26日
 資本主義のこの世の中には、ひとつの真理があります。それは、”カネを持たざる人は生きられぬ”ということ。金を稼ぎ、それを使って他者に回し、その人もまた金を使う。このサイクルを崩したとき、日本は成り立たなくなります。
 旅には、日本を形作る重要な骨格を保つ力がある、と私は信じます。世間がうるさくなっても、綺麗ごとだけを追い求めるようになっても、自分の中に強い信念を秘めてそれを貫き通すとき、私の旅は、誰かのために役立つはずに違いありません。
 そんな強い思いを解放する地に、私は夏の北海道を選びました。この世の中に二人といない夢旅人が北の大地を駆け巡るとき、市井は少し元気になってゆきます。

まだ知らなかったシマネを島根に変える
ロック・オン!島根に狙いを定めて!


2021年
4月24日〜26日
 ふと手にした「新幹線&やくも早特3」という名のトクトクきっぷ。それは、私を島根に誘うには十分な存在でした。
 47都道府県すべてに行ったとか、JR線を全部乗ったとか、威勢の良いことは言っても、「で、お前はその街をどれだけ知っているのか?」と問われたとき、私は自分に自信が持てません。これは、ある意味”乗り鉄人”の宿命でもあります。
 そんな私は、もっと隅々まで「観光」をする必要があります。私は、もっと「島根」を知る必要があります。まだまだ知らないことだらけの「シマネ」を、「島根」に変えていく必要があります。
 私の照準器は、島根県を捉えました。さあ、昂る興味を友に、いざ島根へ。

いま、四国の風に吹かれて・・・
いいこと。きっと。四国だから。



2021年
7月22日〜26日
 四国は地味である、と、いったい誰が言うのでしょうか。北海道や九州、あるいは沖縄と同系列で語られることもある(非本州という点で)四国が、あまり目立たない、何なら行っても大して面白くない場所として扱われてしまうことには、私は大いなる反感を抱きかねません。
 とはいえ、「じゃあ、四国に行ってみたら、どのようなものがあるというのか?」を世の中の旅人の皆さんに知らせないことには、四国の魅力が伝わっていかないということも、また事実です。
 四国にそよぐ風を求めて、ふと四国に興味と関心の全てを振り向ける。そうして引き出された、ひとつの旅という”成果物”は、いま、私自身も「あれは満足度が高かった」と言えるものになりました。4泊5日の四国物語、ここに開演!

北風に乗ってさあ冒険だ!
凍てつく大地で祈る、2つの”さらば”
(1〜12ページ公開)



2023年
2月22日〜26日
 「北の大地」という言葉が、以前ほど憧れと共に語られなくなったとしても、北海道の魅力は健在です。とはいえ、大阪に住んでいると、横浜に住んでいたときと比べれば、北海道へ行くことの難易度は大いに上がり、なかなか北海道にも足を運べずにいました。
 そのような中で、留萌本線の一部区間廃線と、キハ183系の引退が発表。その2つを突き付けられたとなれば、さすがに北海道に向かわないわけにはいきません。それを何かを理由に放っておくのであれば、もう鉄道人失格です。
 かつてJR東海のCMは、「距離に負けるな、好奇心」と謳いました。誠にその通りです。時間とカネの問題に立ちはだかられても、旅人には行くべきところがある―――そう信じて、私は女満別へと飛びました。