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日本海号は大阪〜青森間を結んでいた寝台列車で、2012年3月のダイヤ改正で臨時列車となり、同年度の冬の運転をもって、臨時運転も終了しました。 晩年は、「個室寝台車を一切連結しない、昔ながらの姿を残す寝台列車」、あるいは「開放A寝台車を連結する最後の客車列車」として知られていました。 青函トンネルの開通に合わせて、当時運転されていた2往復中、1往復が青森発着から函館発着に延長されました(2006年3月のダイヤ改正で青森発着に戻る)。 また、その函館発着便に食堂車を連結する計画があったものの、結局は中止され、用意した食堂車はトワイライトエクスプレスに回したという逸話があります。 「昔ながらの姿を残す寝台列車」という点では、基本的な牽引機が、敦賀区に配置されているローズピンクのEF81形であったことも見逃せないでしょう。 敦賀区におけるローズピンクのカマとトワイライト色のカマの配置機数の関係上、後者が牽引に当たることも多かったようですが、 開放寝台車のみで構成された24系”ブルートレイン”を”ローズピンク”のEF81形が牽引する姿は、国鉄時代の面影を見せるに十分なものだったでしょう。 最後の開放式A寝台車であった3両のオロネ24は、岩手県岩泉町、京都鉄道博物館、千葉県いすみ市にそれぞれ保存され、いずれも生存しています。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 夜汽車の残像トップへ ![]() |