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草木も眠る丑三つ時・・・。サロンカーへ足を運んでみると、そこには、2人の乗客と2人の車掌がいて、他愛のない会話を繰り広げていた。大阪〜札幌時代であれば、深夜のサロンカーで流れゆく車窓を眺める・・・とでもなるのだろうが、なにぶん、今のこの列車では、車窓は1cmたりとも動かない。そうすると、するべきことは会話しかない。車窓に意識が行かない分、会話はよく弾んでいたようだ。

 こんな深夜に起きているのは自分くらいだろう、と思っていたのだが、元気な人というのは、案外他にもいるものだ。見知らぬ乗客同士がサロンカーで出会い、深夜に雑談をするという状況は、比較的想像に難くないが、車掌も参加しているというのは面白い。乗客は旅人だが、この列車に乗って山陽本線を駆ける車掌もまた、れっきとした旅人である。同じ属性の人間同士。心の通い合いは早い。

 このとき、サロンカーには、トワイライトエクスプレス専用の緑色の制服を着た車掌と、JR西日本様式の黒色の制服を着た車掌の2人がいた。前者は、じゃんけん大会の進行も務めた、乗客専務の車掌、まさに”カレチ”。後者は、基本的に運転業務を担当する車掌のようである。交代前・交代後の車掌、機関士、食堂車の従業員のことも考えると、動員する職員の数はかなり多い。この列車にかかる人件費は、相当な額であるに違いない。

 緑色の制服を着た車掌は、トワイライトエクスプレス号によく乗務していて、急行きたぐに号などへの乗務もしていたようだ。その中で出会った奇妙な客の目撃談、対応談などは、実際に現場で遭遇した車掌だからこそ語れることであると同時に、話しぶりが上手く、笑いを誘う。

 途中から会話に加わる気にはあまりなれなかったので、ぼんやりと聞き耳を立てるだけにしていたのだが、それでは退屈だろうと見かねたのか、緑色の制服を着た車掌が、私に制服を着せてくれたり、、車掌用の行路表や時刻表を見せてくれたりした。この車掌は広島〜岡山間での乗務だが、写真の通り、大阪車掌区の所属である。乗務区間に大阪は全く含まれず、広島〜岡山というのも、現在の大阪車掌区では、乗務範囲外だ。

 乗務範囲外にまで出向いているのは、大阪〜札幌時代、トワイライトエクスプレス号を担当できるJR西日本の車掌は、大阪車掌区の約260人のうちの約40人に限られていたからだ。この列車は、列車を熟知した、選ばれし40人のうちの誰をも乗務させずに走ることはできない。ただし、乗務範囲外ということで、列車運行の根幹に関わる業務は、乗務範囲に応じた各車掌区の車掌が随伴し、担当する。黒い制服の車掌の正体は、これである。

 やがて座談会もお開きとなり、サロンカーにいるのは、私ひとりだけとなった。気が付くと、ホームの照明も復帰していた。誰もいないのに煌々と光るホーム。一方、こちらも、ひとりの男がぼんやりしているだけなのに、明々としている。「人っ子一人いない深夜なのに、堂々と駅にいる」「深夜なのに、明々とした列車内にいる」・・・。そうか。列車は動いていないけど、こういうところに、夜行列車らしさが立派にあるじゃないか。




































営業を終了してひっそりとしている食堂車にやってきた。もともと、食堂車内部の写真は、営業終了後であり、働いている従業員の迷惑にならず、かつ停車中で被写体ブレを誘発しにくい、深夜の福山停車中に行うつもりであった。ただ、深夜の食堂車に立ち入って良いか事前にお伺いを立てたところ、あまり気は進まないというような回答であったため、ここでは、客席には入らず、仕切り扉の外から覗いてみるだけにした。

 食堂車は既に2度利用しているが、改めてサロンカーから食堂車へ向かってみると、そこには、濃いマホガニー色をした木目調の壁、仕切り扉のガラス越しに華やかな世界、そのガラス上で我々を歓迎するスイートエンジェル、扉の上には食堂車のアイコンなどがあり、ここが特別な空間であることを余すことなく主張している。入り口の前に立っているだけで、一種の畏怖を感じてしまう。と同時に、訪れる者の高揚感が呼び起こされる。

 北斗星号の食堂車は、非営業の深夜帯は、室内灯は点灯(通路を兼ねているため)するものの、テーブルランプは消灯し、カシオペア号では、客席は2階部に独立し、通路にはならないため、完全に消灯されていた。今、ダイナープレヤデスは非営業時間帯であり、通路としても使わない(食堂車の向こうの7号車は乗務員専用)が、テーブルランプも含め、全ての照明がついていた。ダイナープレヤデスのきらめきは、深夜でも健在だ。

 そのとき、テーブル上に、食器類や下準備を済ませたと思われる食べ物、容器、朝刊などが、ラップや黄色い布をかけられながら保管されていることに気が付いた。なるほど、どうりで深夜の立ち入りが忌避されるわけだ。防犯面の意味合いもあるだろうが、それ以上に、衛生面から考えて、料理を提供しない時間帯であっても、食堂車は、できるだけそっとしておいてもらいたいということか。

 時刻は、時に5:00を過ぎていた。「揺れがあってこそ夜行列車」、「揺れがあってこそ眠れる」と私は思うのだが、せっかく、9040レ”臨時寝台特急”特別なトワイライトエクスプレス号、それもロイヤルに乗ったのである。少しくらいベッドで眠ってみなければ、それはそれでもったいない。

 誰もいない車内を歩き進み、3号車1番の自室へ。下関を発ってから18時間半以上、一睡もせずに過ごしてきた。朝食の第1回目は7:00頃から始まるため、睡眠という睡眠をとることはもはや不可能であるが、”1日目から2日目への切り替え”として、しばしの眠りにありつこう。




 

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