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食堂車での第2回目の夕食時間が終了した後、21:45頃から、サロンカーでパブタイムが始まった。「サロンカー」と書いたが、決して嘘ではない。大阪〜札幌時代は、パブタイムは食堂車での営業であったが、特別なトワイライトエクスプレスでは、サロンカーでの営業となる。食べ物も大きく変わり、サラダ、ポテト、スパゲティ、ピラフといったものはなく、チーズやドライフルーツなどの軽いおつまみのみが提供される。

 ひとまず、向こうからおすすめされたフルーツカクテルと盛り合わせを頼んだ。特別なトワイライトエクスプレスでは、乗車中はフリードリンクがつき、その選択肢も、ビール・ワイン・日本酒・焼酎などからウィスキー・梅酒・ソフトドリンクまで、実に多種多様で、あらゆる飲料を網羅するが、カクテルは、通常のフリードリンクのメニューには入っておらず、実はパブタイムでしか飲むことができない。カクテルを飲み、寝静まっていく街を眺めて・・・。

 21:49に瀬野を発車すると、次の運転停車駅は、22:50着の糸崎である。所要時間は1時間1分であるが、この1時間1分というのは、山陽コースの上り便における「ある停車駅からある停車駅までの所要時間」としては、最も長いものである。この列車がいかにこまめに運転停車を繰り返しているのかがお分かりいただけるだろう。糸崎までの約1時間、停車駅はなく、闇夜で躍動する寝台特急らしい走りを楽しめる。

 カクテルを初めとする飲み物は当然飲み放題だが、パブタイムでは、チーズやドライフルーツ、生ハムといったおつまみ類も、何度でも無料で注文できる。いずれも、食堂車の料理長が、サロンカーのテレビの前で直々に切ってくれる。カクテルもおつまみも、どちらもおいしいものだから、一度食べ始めると、なかなか止まらない。人生を振り返ってみても、今日ほどお酒を飲んだ日は、他にないかもしれない。

 やがてサロンカーでは、記念品をかけたじゃんけん大会が催された。トワイライトエクスプレス号の記念品をかけ、車掌に勝った人だけが残り、それ以外は脱落。最後まで残った人に記念品が贈呈される、というもの。記念品の中には、これまた有志が作成した「個室寝台券風乗車記念証」といったものもあった。正確なフォントにすべく、様々な切符から文字を寄せ集めて作ったという、非常に立派な代物。たしかに違和感がない。

 個室寝台券風乗車記念証から、はがき大の乗車記念証、名刺大の乗車記念証21枚セット、特製シールセット、キーホルダーなど、様々な種類の記念品が続々登場。それゆえ、一度じゃんけんに負けたとしても、挽回の機会は豊富にある。和気藹々、乗務員と乗客が一体となって、じゃんけん大会は終始和やかな雰囲気で行われた。獲得したグッズを手土産に、各乗客は、自分のねぐらへと戻っていくのであった。




































糸崎を出ると、次は福山である。ここ福山では、0:07に到着し、6:15に発車するまで、なんと6時間以上にも渡って停車する。「逆にどうやったら下関〜大阪を約28時間もかけて走れるのか」と思っていたが、全時間中の約22%は、福山での停車時間であった。鉄道が好きな私としては、持っているのは全く逆の意見なのだが、停車しているということは揺れがないわけで、「おかげでぐっすり眠れた」と言う人が結構多いらしい。

 0時を過ぎ、車内はすっかり静まり返ってしまった。23:00〜6:30は、フリードリンクのサービスも休止しており、乗務員たちも、しばしの休息に入っている。ただ、自動販売機が撤去された現在の編成では、それでは深夜帯に飲み物を手に入れる手段が皆無となるため、夕飯の終了後、サロンカーにて、お茶・水・梅酒・コップのセットが提供された。こうした細かいところまで徹底しているのは素晴らしい。

 この手の高額ツアーは、往々にして参加者の平均年齢も高いものだから、もう寝床に就いた人も多かろう。廊下も当然、人影はなく、物音もしない。静けさ、雰囲気。そこは、まるで高級ホテルの廊下のようであった。ちなみに、大阪〜札幌時代は、3号車は食堂車であったため、当然、部屋の扉にある「A-Class Room 3号車 Car No.3 A-1」というプレートは、特別なトワイライトエクスプレスの運転開始に伴い、新規に制作したものである。

 福山駅自体はまだ営業中であるが、同駅を発車する列車は、各路線とも既に終了しているので、ホーム上には、一般の客は、特別なトワイライトエクスプレスを撮るためにやってきた人以外の姿はない。そして0:31、長船からやってきた、福山駅の「最終到着列車」が無事に到着。その後、しばらくはホームの照明が灯り続けていたが、0:50ごろ、ホームの照明が消され、駅構内は真っ暗になった。

 夜行列車は夜通し走るからこそ「夜行列車」なのであって、深夜帯はずっと停車しているというのでは、静態保存されて列車ホテルとして営業する寝台客車と同等ではないか、と思ってしまう。朝焼けを求めて寝静まった街を駆け抜け、流れゆく光だけを友とする。やがて空はにわかに色づき始め、車窓の向こうの稜線、あるいは水平線で、火輪が躍り出す。ああいった体験こそ、夜行列車の旅の醍醐味だと思うのだが・・・。




 

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