〜 島 ノ 下 駅 〜



島  ノ  下
し ま の し た / S h i m a n o s h i t a
訪問日:2016年09月08日

●根室本線・JR北海道●

野 花 南
Nokanan
北海道富良野市字島ノ下 富 良 野
Furano

 JR線の(仮)全線乗車を達成してしまい、これ以上特に乗るべき路線は存在しないという状況に追い込まれた私は、2016年夏の定例の夏季旅行を、悩んだ果てに、「レンタカーで北海道をドライブする」というものに設定しました。
 北海道までの往復も飛行機としたことで、その結果、鉄道がほとんど関与しない旅になりましたが、そうは言っても、私は元来は”鉄道人”です。
 根室本線の島ノ下駅が2017年春のダイヤ改正で廃駅になる予定であるということを知った私は、ドライブにおいて、ちょうどその脇の狩勝国道を通る予定としていたため、せっかくならばと、廃駅が迫っている同駅の訪問を決定しました。
 根室本線・島ノ下、留萌本線・増毛/舎熊。長らく放置していた「途中下車」ですが、2016年の夏にこれら3駅を訪れたときの顛末を、「廃駅前の風景シリーズ」と題し、順次お送りいたします。


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 富良野市内のホテルからレンタカーで出発し、ほどなくして島ノ下駅に到着した。廃駅になることがほぼ確実になっている駅だというからには、いったいどれほどの秘境駅なのかと思っていたのだが、いざ到着してみると、そこには、路線自体の廃線を待たずに廃駅になる駅とは思えない、なかなか立派な駅舎があった<1>。かつては有人駅だったことが見て取れるその佇まいは、”秘境”という感はあまり醸し出していない<2>
 青々と生い茂る雑木、未だにコンクリート化されていない木製電柱の存在などは、ここが少なくとも賑わいのある場所ではないことを示す<3>。島ノ下は、根室本線の中でも、定期の優等列車が一切設定されていない滝川〜新得間にある駅で、普通列車の本数も、決して多いと言えたものではない。この静けさは、まさのそのような環境の反映であるのだが、廃駅になる駅としてはあまりに不釣り合いな立派な駅舎は、ここを優等列車が毎日往来していた、石勝線開業以前の栄華を偲ばせるかのようである。
 駅前の広場は未舗装で、未だに砂利道のままとなっている<4>。この広場に接続する道はきちんと舗装されているのだが、なぜか広場に達する段階で砂利道に変貌してしまう。これでは自転車や自動車の乗り入れには不都合であろう、と思ってしまうが、何を隠そう、この島ノ下駅の1日平均の乗車人員は、なんと0人を記録している(2012年度)。この駅を利用して通勤・通学をする人は、事実上皆無ということである。高校生の自転車も、送迎の自動車も、そもそもこの駅に来ること自体が碌にないということである。
 その一方で、駅のすぐ近くには比較的新しそうな住居も見え、「どうしようもない秘境感」は薄い。先ほどの駅舎の件とも合わせ、やはり、ここが2017年春のダイヤ改正で廃駅になるとは、とても思えなくなってくる。
 そんな島ノ下駅前で大いに目立っているのは、用途廃止となった廃コンテナである<5>。冬季に使う除雪用具などは駅舎内に置かれているようだが、さて、このコンテナの中には、いったい何が入っているのであろうか。

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 駅舎待合室の入り口の扉には、台風10号による列車の運行への影響を知らせる掲示物が貼り出されていた<6>。ただでさえ本数の少ない滝川〜富良野間であるが、台風10号の影響でいくつかの列車が運休となっているようだった<7>。ホテルからレンタカーを走らせると、島ノ下駅に10:00前後に到着しそうであったため、「島ノ下10:10発の滝川行きのお見送りができるじゃないか」と思っていたのだが、このとき、その列車(池田発滝川行き)は、帯広〜滝川間で区間運休となっていたため、それは叶わなかった。島ノ下駅も、廃駅が予定されているということで、ぼちぼち訪問者が増えてきてもよい頃合いだとは思うのだが、このときは、列車での訪問は通常よりも難易度が高い状態になっていた。私以外に誰ひとりとして人影が見当たらなかったのも、そのせいだったのかもしれない。
 当然、待合室の中にも、人は誰もいなかった<8>。待合室は比較的綺麗な状態が保たれていて、昆虫やクモの巣、ゴミなどにまみれているようなことはなかった。1日平均の乗車人員が0人である以上、「多くの人が入れ替わり立ち代わり来ることで空気の入れ替えが起こっている」ということはないはずで、地元の人によって手入れが行われているのだろうかと想像するが、それだけに、不思議と”人の気配”を感じる駅でもある。
 2016年3月改正時点における列車本数は、滝川方面が1日に8本、富良野方面が1日に7本という状況のようである<9>。島ノ下を通過する快速列車もあるため、実際に往来している列車の本数は、もう少し多い。駅の利用者がどうにも少ないとなれば、まずはその駅を通過する列車の本数を増やす(JR西日本で例がある)という手立てがあるが、それでは駅自体は生き残るため、総合的な維持費等は結局変わらないことになる。
 現金や切符のやり取りをするカルトンを残して木の板を打ち付けたその場所は、かつての窓口の跡である<10>。島ノ下駅がかつては有人駅であったことを示す何よりもの証拠と言える。国鉄で合理化が進む以前は、地方の小駅でも駅員がいるものであり、島ノ下駅もその例に漏れなかった。
 賑わっている駅・路線がいきなり消えることはありえないように、消えゆくものは、その結末に至る前に、必ず「縮小」の道筋を辿る。島ノ下駅も、無人化や本数の削減をした果てに、廃駅に辿り着た。私がいま目撃しているのは、究極の状態と相成った、まさに「最期の姿」なのである。
 「物置」や「車掌車改造」の駅舎とは異なり、駅舎そのものとして建てられた建築物であるため、造りはさすがに立派である<11>。この待合室は、いったいあと何人の人を迎え入れることができるのだろうか<12>


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 しばらく列車が来ることもないホームへ向かってみる<13>。駅舎からホームへと繋がる道は舗装されていないようで、砂利道のままであった。手前側の線路に渡り板が敷設されているのが見えるが、その周辺が「ありのまま」でありすぎるがために、構内踏切を渡るというよりかは、線路横断をするという具合になりそうである。
 Google Mapで島ノ下駅周辺の地図を事前に確認してみたところ、すぐ近くを空知川が通っていたため、「雄大な空知川を眼前に望める、爽やかな雰囲気の駅なのだろう」と予想していた。ところが、こうして実際に訪れてみると、川への視界は雑木林で遮られていて、何よりも、駅自体が鬱蒼とした森林の中に位置していた<14>。もちろん、この近くにはちょっとした集落や国道があって、秘境と言うほどに辺鄙なところではないのだが、この視点でホームを眺めてみると、”それらしい”雰囲気は十分に湛えられている。非電化ゆえの頭上の見通しの良さは、この駅が自然の中に溶け込んでいる様を見事に体現しているかのようでもある<15>
 「しまのした」と書かれた縦型の駅名標が取り付けられている電柱は、昔ながらの木製のもので、それが、この駅の雰囲気を古めかしいものへと変えている<16>。紺地に白文字、その下にサッポロビールという琺瑯の駅名標は、新函館北斗以外のJR北海道の全在来線駅にあるものと共通の作りで、都市部の駅でも秘境の駅でも差別化はされていない。その駅名標を持つことにより、この駅がJR北海道の駅の一員であることが示される。廃駅までの時間は着実に減少しているが、こうして駅名標を掲げている限り、JR北海道が責任を持って駅としての機能を発揮させることが約束される。
 島ノ下駅は2面2線の相対式ホームを有しているが、2つのホームは千鳥状に配置され、ずれている。そして、駅構内の線路は、実に余裕のある長さとなっている<17>。かつてここを長編成の優等列車が定期的に往来していたときは、列車交換のために、この長い駅構内が存分に活用されていたのであろうか。道央と道東を繋ぐ主要路は、現在では石勝線に取って代わられている。そんな今では、これも往年の栄光の遺物と言えようか。


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 千鳥式に配置されたホームは、そのどちらにも屋根はなく、雨や雪をしのげる場所は、駅舎しかない<18>。このような千鳥式配置のホームでは、上下列車の先頭車両(運転室)を互いに近くすることができ、かつて閉塞にタブレットを使用していた際には、タブレット交換のために駅員が移動する距離が短くなり、好都合であった。もっとも、タブレットの使用などとうに廃された現在となっては、この構造に特に意味はない。
 2007年10月のダイヤ改正により、JR北海道の多くの駅でナンバリングが施された。島ノ下駅はその対象に含まれていて、固有の番号として「T29」が与えられた<19>。ナンバリングをするという行為は、基本的には、当然に連続した番号を割り振るわけだが、では、島ノ下駅が廃駅となった後は、T29はどう取り扱われるのであろうか。過去の例から言えば、答えは「欠番」である。その駅が廃止になった後でも、番号の振り直しは行われない。この先、JR北海道のナンバリングで不自然な欠番を見つけるときがあったら、そのときには、かつてそこに存在した駅に思いを馳せるようにしたい。
 地方の駅でよく見かける「名所案内」の看板。島ノ下駅の近くには、紅葉の勝地でもある島の下温泉があるようだが、それを教えてくれる看板は、この錆びつきようである<20>。この駅をそれらの観光のために利用する客が本当にいたのであれば、このような状況に至るまで放置されるということはありえないであろう、と思うのだが・・・。
 下り列車用のホームがある側を構内踏切から眺めてみる<21>。このときは、多数の運休が発生してはいたものの、完全に長期的な運休に入っていたわけではなかった(滝川〜富良野間)ため、信号機はきちんと赤色を灯していた。現在時刻は10:15だが、当分の間は列車は来ず、次は17:25発の富良野行きである。それまでの間、島ノ下駅には、ふらりと訪れた者たちのための静寂の時間が流れ続けることになる。
 向こうに空知川があることは分かっているのだが、生い茂る草木がそれを邪魔してしまう<22>。しかし、ありがたいともありがたくないともつかないこの豊かな緑は、島ノ下駅における最後の夏の象徴でもあった。

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 ホームから見る駅舎は、ちょうど駅前から見るものを左右反転させたような状態にあり、こちら側にも「島ノ下駅」と書かれている<23>。ただし、駅前側は「島ノ下駅」の左にJRロゴがあるが、ホーム側には、JRロゴは貼り付けられていない。ホーム側から見る駅舎は、ある意味では「国鉄時代の雰囲気」を残している眺めと言えようか(もっとも、その下の窓に「JR北海道」のシールが貼られているのはご愛嬌)。
 レールというものは、列車の往来が途絶えてしまうと、たちまち錆びついていくものであるが、このときは全面運休ではなかったため、レール表面の輝きは一応保たれていた<24>。島ノ下駅が廃駅になっても、根室本線自体が廃線になるわけではないため、列車の往来は続くし、レールの輝きも失われはしない。とはいえ、超長期的に考えれば、今は駅が歯抜けになるだけで済んでいることをありがたく思うべき期間ともいえる。現在は廃駅の進行で事態を切り抜けているが、いずれは路線そのものにも魔の手は及ぶであろうし、そうなれば、レールの輝きはおろか、その存在自体が失われる。
 島ノ下駅は、富良野盆地の外縁にある駅で、駅の周辺は盆地を形成する山々に囲まれている。この先の滝川方面は、根室本線はトンネルに突入し、国道は滝里ダムの脇を通り抜けていく<25>。滝川方面の隣の駅は、13.9km先の野花南であるが、かつては、9.5km先に滝里という駅があった。滝里駅は、滝里ダムの建設に伴い、1991年10月に廃駅となり、その後、集落や小中学校、根室本線の旧線とともに湖底に沈んだ。山を貫いていくトンネルというのも、新線の建設に伴って生まれたもので、旧線は、滝里の集落を通り抜ける屋外の区間であった。
 かつては貨物や荷物も取り扱っていて、そのための引き込み線も用意されていたが、いずれも撤去されていて現存しない。根室本線の旧線が湖底に沈んだのであれば、以前の引き込み線は雑草に沈んだというところであろうか<26>。その跡地に群生するエノコログサは、秋ごろまでは見られるであろうが、その先は銀世界の下に隠れ、雪解けまで雌伏の時を過ごす。そしてエノコログサが再び現れたとき、ここに駅はもう存在しない。 <終>



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