山 陰 本 線/飯 井 駅
下車日/2010年8月22日

▲単式1面1線の小さな駅。実にこぢんまりとしている。
漢字表記 飯井
読み いい
所属路線 山陰本線
所属会社 JR西日本
隣の駅
三見 長門三隅

▼自然に囲まれた小さな駅

 東萩駅10時24分発の1567Dから飯井駅に下車したのは、私と子供1人。「ホームから日本海が見える」という特徴に惹かれて自分は来たのだけれども、さてこの子供は小さな水色のリュックを1つ背負って、ここで降りて、何をするつもりなのだろうか。近くには集落があり、「田舎」とか「故郷」という雰囲気は十分にある。
 「帰省で来たのだろうか・・・?でも1人で?」などと思っているうちに、その子供は駅のホームから姿を消し、1567Dも長門市方面に向けて出発していった。ホームは蝉の鳴き声に包まれる。人の話し声は聞かれないし、駅の近くを通っている道を車が通ることもほとんどないので、ホームにいても、蝉の鳴き声しか聞こえてこない。
 そして辺りを見回せば、深い緑が生い茂った山々、そろそろ収穫を迎えようかという田圃、雄大な日本海。視界にはそれが入り、耳には蝉の鳴き声。本当に「自然に囲まれた」という表現が似合う駅である。

▼ホームから見える日本海

 飯井駅のホームを端から端まで一通り歩いてみる。駅名標を見てみると、ローマ字で「Ii」の2文字が。駅名がローマ字2文字で表わされる、という駅は他にもあるが、幅の取り方は、縦長の「I」が2つ並ぶ飯井駅が一番小さい。あまり知られていないようだが、実は飯井駅は、ローマ字で駅名を表した場合に、一番幅を取らない駅である。
 さて、飯井駅の一番の特徴と言えば、ホームから日本海が見えること。今回、私が全部で180ある山陰本線の駅で、ここで途中下車をしてみようと思ったのもそのためである。間に道路を挟むだけで、海がすぐ近くにある予讃線の下灘駅などにはさすがに及ばないが、こちらはホームと海の間に集落があるので、「のどかな田舎の駅」という雰囲気がある。それはそれで、かえって良いと思う。

▼「これが”懐かしい”というものか」

 駅のホームはちょっと高いところにあり、集落とは急な坂で繋がっている。これがかなり勾配がきつく、走りながら降りる羽目になってしまった。この辺りは高齢者が多そうな気もするし、少ない列車の本数と合わせて、この急な坂の存在は、鉄道を移動手段として選ばないことの一助になっているような気もする。
 そんな急坂を下りると、すぐに昔ながらの家が立ち並ぶ集落に入る。大して齢も重ねていない15歳だが、これがいわゆる「タイムスリップしたような感覚」「懐かしい」「昭和のかおり」などと言われるものなのだろう、ということは何となく分かった。確かに今風な感じは全くしないし、地元や都会にはない雰囲気が漂っている。
 澄んだ綺麗な水がおだやかに流れる用水路が、家の前を通っている。その上を、青い翅をした蝶が、2匹、3匹と飛んでいる。普段、地元で見かける蝶と言ったらアゲハ蝶、それ以外ではキアゲハやクロアゲハくらい。地元では見ることがない蝶を目の当たりにして、いつしか忘れていた「子供心」が一瞬、少しだけ蘇るのだった。

▼徒歩2分で辿り着ける日本海

 ホームから歩くこと2〜3分で、日本海の海岸まで来てしまった。日本海なら、ここ飯井駅にたどり着くまでに何度も見ているので、食傷気味だったと言えばそうなのだが、それでも窓越しに列車内から見るのと、立ち止まって海水を手ですくえるところまで来て見るのとでは全然違う。
 海の絵を描くとき、ほとんどの人は海を青や水色で表現すると思う。だが、実際には海水が泥水のように茶色く濁っているところも多い。少なくとも、私が今までに見てきた海はそういうものだった。しかし、この日本海は水の色が本当に青く、そして透明だった。今までに見たことがないようなその美しさ、透明感に、私は思わず圧倒されてしまった。
 波が打ち寄せるところぎりぎりまで近寄れば、今度は穏やかに打ち寄せる波の音が聞こえてくる。そう、ここで気がついたのは、この日本海を列車の中から見るのではなく、実際に立ち寄って見てみることの良さは、ゆっくり眺められることだけではなく、打ち寄せる波の音を聞くことができることもそうなのだ、ということ。視覚だけでなく、聴覚でもこの雄大で綺麗な日本海を味わえるというのは、やはり大きい。
 岩が組み上げられて陸地になっているところでは、釣り人が2人、釣りを楽しんでいた。私は次に乗る列車の時刻を頭に入れていたが、恐らく彼らは時間に縛られることもなく、のんびりと釣りを楽しんだことだろう。いつか、時計も持たず、こういうところで一時を過ごしてみたいものである。

▼山もある!

 ホームから見え、そして駅から徒歩2分で辿り着ける日本海。飯井駅の特徴は、やはりそれに尽きるのだが、いざ日本海の近くまで来てみると、海岸を山が挟んでいることに気がつく。飯井駅付近には海だけでなく、鮮やかな緑が生い茂った山もある。雄大な日本海だけじゃない、鮮やかな緑を魅せる大きな山もある。
 飯井駅は、ただ海が近いというだけの駅なのではない。総合的に自然に恵まれた、普段の喧騒や自分を追い立てるもの、そういった嫌なことを何もかも忘れさせてくれるようなところにある、「心を無にできる」駅なのだろうと強く感じるのだった。
 鮮やかな山の緑と、海の青(緑)が織り成した光景は、今でも脳裏に強く焼き付いている。何度も何度も後ろを振り返りながら、次の列車に乗るために、飯井駅へと戻っていった。

▼ここに残したものは何

 飯井駅11時26分発の下り列車でこの地を離れる。その7分くらい前に駅のホームに上がったが、列車を待つ人は誰もいなかった。ホームのほぼ真ん中に建てられている待合室のベンチに腰を下ろし、列車を待つ。
 1日の乗車人員は少なく(平均16人/2007年)、もちろん無人駅。近くにあるのは小さな集落だけで、近くに対して人がいるわけでもない。そしてホームには待合室があるという飯井駅は、ひょっとしたら、駅寝に適している駅なのではないだろうか?と思った。朝には、橙色に染まる日本海が眺められるかもしれない、と考えると、それを目的にここを駅寝の場所として選ぶことがあっても良いと思う。
 実際、何人か飯井駅で駅寝をした人はいるようである。ここで過ごした夜、ここで見た朝はどんなものだったのだろうか。そう思うと、何だか私も楽しくなってくる。朽ち果てた木のベンチに腰かけていると、駅寝をした人たちの思い出はもちろん、地元の人たちの日常、ここを訪れた旅人の記憶、それら全てがこの小さな待合室から感じ取れるような気がした。

▼また来たいんだ!

 待つこと約7分、乗車する11時26分発の長門市行きがやってきた。キハ47形の2両編成、この飯井駅によく似合った編成だ。
 最終的に、私以外の乗客がホームに姿を現すことはなく、飯井駅から乗車したのは私1人だけだった。車内に入ると、かいた汗が冷房で冷やされて気持ちが良い。ここからまた旅を再開するのだ、ということを改めて思う。
 扉が閉まって列車が発車すると、数十秒でトンネルに入ってしまった。飯井との別れは何ともあっけなかった。それを考えると、結局、飯井駅も旅の途中で下車した駅の1つに過ぎないのだということを感じる。どれだけ思い出に残っても、今までに下車した、そして今後下車する駅それぞれでの思い出の中の1つにしかならない。しかし、これほどまた来たいと思った駅は今までにはなかったし、今後もそうそう出てこないと思う。
 あくせく汗を流して働いている人もいれば、私と同じように旅をしている人もいるだろうし、家でゆっくり休養している人もいるかもしれない。それら全ての人に、飯井駅での感動を分け与えたい。そう思えるような、心に残る素晴らしい駅だった。
▲ホームからは日本海を見ることができる
▲急坂。これを上り下りするのは、例え若くても辛い
▲徒歩2分で手に入れられる絶景
▲海だけでなく、山もある!
▲小さな待合室
▲後ろ髪を引かれる思いで・・・


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