〜周防灘を望む、本州の端の小さな駅〜
◆小 野 田 線/長 門 本 山 駅◆
下車日/2010年8月22日


漢字表記 長門本山
読み ながともとやま
ローマ字表記 Nagato-Motoyama
所属路線 小野田線
所属会社 JR西日本
■隣の駅■
浜河内
Hamago-chi



※各画像はクリックで拡大します。


▲駅名標

▲小ぢんまりとした駅に123系が佇む

▲これが本当の「終着駅」

◆本州の端っこの小さな駅◆
 所要時間5分、途中停車駅は僅かに1つ。単行運転の123系から降りてきた乗客は、両手で数えられるほどで、ホームに降り立つと、皆散り散りになった。ここは小野田線本山支線の終点駅、長門本山駅である。
 支線に乗って終着駅に来るというのは今回が3度目。最初は2010年3月の東北本線の利府支線への乗車で、2度目はこの長門本山駅を訪れた時の旅での山陰本線の仙崎支線である。ただ、同じ支線の終着駅でありながら、利府支線の利府駅とも仙崎支線の仙崎駅とも何だか違う気がする。
 それもそうか、利府駅は支線と言えど天下の東北本線の支線の終着駅で、元々は本線の駅だった。仙崎駅は、仙崎が金子みすゞの生誕の地だったということもあっては、駅舎の内部は金子みすゞに染め上げられていた。
 さて長門本山駅は、と言えば、利府駅のように自動改札機があったり多くの利用があったりするわけでもなければ、仙崎駅のように観光資源に恵まれた場所にあるわけでもない。駅は本当に質素で、まさに「鉄道の駅」という感じがする。
 駅の外へ歩みを進める途中で、車止めが目に止まった。ここは小さな小さな駅だが、線路が途切れる駅の1つだ。「線路は続くよどこまでも」という言葉は当然嘘だったわけだが、ここから始まりずっと繋がり続ける線路で札幌にでも鹿児島にでもどこにでも行けると思うと、たしかに線路は無限に続いているような気がしてならない。
 駅の方を振り返ってみる。1面1線のホームに小さな待合室があるだけの小ぢんまりとした駅に、123系が佇んでいる。今でこそ123系だが、2003年までは旧型国電が本山支線の専用車として活躍し、ここ長門本山駅に姿を現していた。
 最後まで本山支線で走っていたクモハ42001は、戦争もJRの民営化も平成への移り変わりも見事に潜り抜けて、製造から実に70年間もの間走り続けた。
 そして今は郵便・荷物車を改造した123系が、本山支線に限らず、小野田線全線で活躍している。クモハ42001は当然生まれながらにして旅客車だが、123系は元々は郵便・荷物車であり、余剰となったそれらを改造して旅客車とした車両が123系である。
 深い茶色をした旧型国電、郵便・荷物車改造という異色の車両である123系。どちらも魅力があり、味わい深い車両である。
 小さく小ぢんまりとしていて、そうでありながら何とも言えない独特の雰囲気がある長門本山駅には、そういった味わい深い車両がよく似合う。

◆周りに溶け込む長門本山駅◆
 駅の敷地から出ると、すぐそこには道路が走っている。駅の敷地、という言い方をしたが、もちろんこれにはそれなりの理由がある。
 それは、長門本山駅は周りを柵などで囲まれたりしていないため、どこからどこまでが駅なのかが正確には分からないからである。だから道路からそのまま線路に入ることはもちろん、123系を目の前にして立つこともできる。
 そのように周りと一切仕切られていないがため、長門本山駅は異様なまでに周囲に溶け込んでいる。それは、鉄道の駅がそこにあるということを遠目には感じさせないほどである。
 「なんだか分からないが、電車が1両そこにポツンといる・・・。」そう形容しても良いかもしれない。
 そして123系という車両は、そんな周りに溶け込んでいる長門本山駅にとても似合う、この場所にぴったりな車両なのである。
◆石炭と長門本山◆
 駅前には道路が左右方向に走っているが、車通りはさほど多くない。それに、道を歩いている人もほとんどいない。実に静かである。
 ここ長門本山は、かつては石炭の産出が盛んで、本山支線の線路ももう少し先、石炭を積み込むための桟橋まで伸びていたという。本山支線が造られたのも、そもそも石炭の産出のためだった。
 当然、ここには仕事を求めて多くの人が移り住んできた。それに従って、長門本山は1つの街として発展し、人の行き来も結構なものになっていた。例えば1956年末の時刻表によれば、本山支線の下り最終列車は今より5時間40分ほど遅い、雀田23時57分発長門本山0時02分着の列車だったという。
 炭鉱は1963年に閉鎖されたが、それが本山支線を含む長門本山という場所一帯に大きな影響を与えたことは容易に想像できる。下り最終列車も、今は雀田18時12分発長門本山18時17分着の列車である。
 ただ、雀田方面を見てみれば大きなマンションもあるし、駅の近くには新しそうな家もある。もちろん、人が住んでいるのかどうか怪しい家も、廃屋となっている家もないわけではないのだが、それでもまだ長門本山という場所が完全に廃れ切ったわけではないということなのだから、憂えることはない。
 ぼうぼうと生える草村の向こうには、周防灘が広がっていた。大きく広がるこの海だけがかつての栄光を知っているかもしれない。

▲どこまでが駅?

▲海も見える最果ての地

▲駅前の様子

◆穏やかな昼下がりに◆
 晴れた暑い夏の日、長門本山駅では静かに時間が流れている。そろそろ太陽が夕日っぽくなってこようかという頃、青空も、真昼間のような本当に澄んだ青色ではなく、やや薄い水色になってきた。
 私はいわゆる乗り鉄であり、列車に乗ってあちこちに行くことが本当に好きで好きで仕方がないのだが、こうして何の意味もなく駅の近くにいて、空をぼんやり眺めてみるというのも、乗り鉄しているだけではできないということに気が付く。
 グリーン車に乗ったりすることは、乗り鉄における贅沢の1つであるが、案外、こうして時間を無駄に使うことこそが実は何よりも贅沢なことなのではないかと思う。人間、限られた時間内で何かをするのだから、時間を無駄に使うことほどもったいなく、しかし贅沢なことはない。
 だからこそ特急や新幹線は存在しているのだが、高い特急料金を支払って特急や新幹線という贅沢をしておきながら、それで時間をなるべく節約しようとするという相反することをするのだから不思議なものである。
 と、そんなことを考えている間にも、時間はゆっくりと流れていく。そろそろ陽が傾こうかというころになったとはいえ、8月である。吹く風は暑く、かいた汗は肌を伝わって下へと流れていく。 こうして無駄に過ごす時間も、旅の思い出の1つである。
◆線路脇の花◆
 長門本山駅は周りを柵に囲まれていないので、あたかもバスの停留所かのような雰囲気があるのだが、線路脇には花壇があった。
 花壇というほど整備されているわけでもないが、自然に生えてきたものにしてはあまりにも整い過ぎている。地元の人がボランティアで整備したのかもしれない。
 せっかくなので、花と123系の写真を撮ってみることにした。姿勢を屈めて、今回は花を主役にする。そよかぜでそよそよと揺れる花の姿は、ファインダー越しに見ていても何だか面白い。
 現在、JR西日本では国鉄型の近郊型車両を単色に塗り替える計画が進んでいる。その計画では、123系は黄色で塗られることになっている。当然、123系の黄色塗装に限らず、単色化はファンの間では評判は悪いのだが、黄色一色の123系は、ここの花壇の花に合いそうな気もする。
 「これから消えてゆく普通の塗装に123系で良かった」と思う一方、「黄色の123系と花壇の花を一緒に撮ってみたかった」とも思った。
 それこそ、奥に写っている黄色いタンポポと一緒なら、同じ黄色同士、結構良い絵になったのではないかと思う。

◆登場回数は1日5回◆
 列車の発車時刻が近づいてきたので、駅へと戻る。待合室の中には発車時刻表があるが、朝と夕方に合計5本分の列車の発車時刻が書かれているだけである。
 全線で1日3往復しか走らないという岩泉線にはさすがに及ばないが、それでも本数が少ないことは間違いないし、夏休み中や冬休み中はともかく、やはり普段は学生の利用が中心なのだろうか。
 しかし今は夏休みである。利用の中心は通学の学生よりも、青春18きっぷなどでやってくる遠来からの鉄道ファンであろう。もっとも、かくいう私もその1人だが。
 それでも年中土曜も休日も、本数や時刻を一切変更しないで、毎日同じ時間に列車がやってきて発って、そして本山支線の1日が終わる。今日という日も、そんな1年間365日いつも変わらない本山支線の1日にすぎないのである。
 ホームへ移動すると、123系が来た時と全く同じ状態で私を待ってくれていた。ただ、時間の経過により、太陽が来たときよりもより夕日っぽくなり、夕日に照らされる123系も、心なしか来たときよりも優しい表情をしているように見えた。
◆張り詰めた空気もなく◆
 17時45分発の雀田行きで長門本山駅を発つ。一緒に長門本山駅にやってきた、鉄道ファンと思しき人たちは既に全員乗車していた。どうやらまだ乗っていないのは私だけのようである。
 車内の両脇を横断するロングシートに座っている人はぽつりぽつりと、3、4人程度だった。まさにローカル線、というところである。しかしながら、その3、4人の人たちは皆、長門本山駅に来るときにも同乗していた人なのだが。
 車内に射し込む夕日が、ロングシートに腰かける人の影を作り、床にその影を映す。もう1時間半くらいもすれば、この辺りは闇に包まれることだろう。その頃には、「短くて少ない」本山支線の1日も終わる。
 私もロングシートに腰かけて、発車を待つとする。長く延びる、文字通り「ロングシート」にばらばらに座った乗客は、他の誰とも視線を交わさず、皆静かにじっと前を見つめている。
 まるで人と人との関わりを嫌い恐れているかのように見えるが、しかし同じ鉄道ファンである。今日はそうでなくても、ひょっとしたら、こうして行きも帰りも乗り合わせた鉄道ファン同士が、帰りの列車内で長門本山駅訪問の感想などを語り合う日もあるかもしれない。そんな気もする。
 数分後、何の発車の合図もなく扉が閉まり、123系は1328Mとして、長門本山駅を後にした。終点雀田までは5分の道のりだ。 <終>
 
▲青空と道・花壇の花と123系

▲1日5本

▲夕日を浴びる123系



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