根    府    川
ね  ぶ  か  わ / N e b u k a w a
訪問日:2012年4月15日

●東海道本線・JR東日本●

早     川
Hayakawa
神奈川県小田原市根府川 真     鶴
Manazuru



※各画像はクリックで拡大します。


▲521M

▲ホームから人が消える

▲木造の跨線橋

▲駅名標は新しい

▲自動販売機もある

▲小さな待合室

▲レールの上に来たすずめ

▲ホームから海を眺める

▲来る車両も新しい

▲海と山の狭間にある

◆521Mから降り立つ◆
 東海道本線には、ある有名な普通列車が存在する。東京7:24発の下り普通列車、伊東行きの521Mである。この列車は、実は特急型車両の185系で運転されていて、乗り得な列車としてよく知られている。
 その521Mのグリーン車に東京から乗車し、1時間36分で、目的地の根府川に到着した。根府川は特急は停車しない駅だが、通常は特急として走る185系が今は停車している。事故か何かで突発的に臨時停車しているようにも見えるが、521Mは毎日必ず185系で運転される定期列車だから、これは日常の光景だ。
◆東海道本線唯一の駅◆
 根府川駅は東海道本線の1駅にすぎないが、ある大きな特徴がある。それは、東海道本線の本線上にある駅としては唯一、終日無人駅であるということ。しかも、自動改札機もない。また、1日平均の乗車人員もわずか639人(2010年度)しかないという、東京〜神戸間を結ぶかねてからの大動脈、東海道本線の本線上の駅としては、極めて特異な存在なのだ。
 521Mが発車し、それとほぼ同時に到着する上りの普通列車も発車していくと、ホーム上からはいよいよ人がいなくなる。しかし、根府川駅といえども、東海道本線の駅、ましてや東京〜熱海間(=JR東日本)にある駅である。列車の本数は多いし、ホームは15両編成に対応した非常に長いもので、およそ無人駅には似合わない。その長いホームの端から端まで人が1人としていないというのは、山中の秘境駅に自分1人しかいないという状況よりも、寂しさや不気味さはあるかもしれない。
 また、駅名標もJR東日本仕様の新しいものにきちんと取り替えられているし、ホーム上には飲み物の自動販売機だってある。さらに、島式ホームには、小奇麗な待合室も設置されている。無人駅ではあるが、決していわゆる秘境駅だとか、ローカル線の小駅ほどではない。
 さらに付け加えれば、根府川はATOSの範囲内にあるので、列車が来るときには、東京や新宿などの駅でお馴染みの自動放送が流れる。Suicaで入場して、お馴染みの自動放送が流れて、お馴染みの長い15両編成のE231系やE233系の電車が来て、乗って、という流れになるというところは、東京の人がひっきりなしに行き交う大駅と何ら変わりはない。
 そういう意味では、やはり根府川駅は東海道本線にあって列車本数も多い、便利な駅だということではあるのだが、”東海道本線の本線上の駅としては、唯一の終日無人駅”という肩書きは、根府川駅だけのものだ。それに、自動改札機もない。
 あの東海道本線の駅でありながら、支線ではなく本線の駅でありながら、まさかそのような駅があるとは・・・、というのが、根府川駅の詳細を初めて知ったときの思いだ。このギャップがあるから、根府川という駅は面白い。

◆それでもここは根府川駅◆
 さて、そうは言ったものの、ここは根府川駅である。少なくとも都会の駅にありがちな喧騒というのは存在しないように思うし、全体的にはのどかな雰囲気の中にある駅と言えるだろうと思う。
 4番線ホームの、柵がある側には、錆びついたレールが敷設されているが、そこにすずめがやってきていた。首を左右に振ってはぴょんぴょんと跳ねながら移動する・・・。こういうほのぼのとした光景は、都市の駅にはあまり似合わない。人も少ない、根府川駅ならばよく似合う。
 根府川駅は海に近いところにあり、それも特徴の1つである。4番線ホームからは雄大な駿河湾を眺めることができる。やや曇っていたのが残念ではあったが、夏の快晴の日なら、より素晴らしくなっている海を眺められることだろう。
 そうこうしていると、4番線に下りの普通列車がやってきた。15両編成のE231系である。ステンレス製の新しい車両が、15両も長大編成でやってくるが、しかしここ根府川駅は無人駅である。やはり無人駅というと、ローカル線の1両や2両の普通列車が発着するような駅を想像してしまうのだが、根府川駅はまさに例外。
 無人駅に15両の列車が停車するその様子を見ていると、無人駅に対するイメージとの違いが頭をよぎり、「何と不釣り合いな」と、つい苦笑してしまうのである。


▲駅舎内部

▲自動改札機なんてない

▲駅舎

▲根府川の海・・・

▲発車標

▲桜の終わりを告げる

▲神社に寄ってみた

▲白糸川橋梁を渡る列車

▲東海道新幹線

▲川のせせらぎ

◆意外な実態◆
 駅舎へと繋がる跨線橋は木造だ。跨線橋を渡った先に駅舎があるが、もちろん、自動改札機はない。簡易Suica改札機こそ設置されているものの、それは紙の切符を利用する者には関係がない。普段なら自動改札機に切符を通すという行為を経て改札外に出るが、今回ばかりは、その行為を経ることなく改札外へと抜ける。
 根府川駅は、1日平均の乗車人員が639人の無人駅である。実のところ、東海道本線の駅らしからぬのどかさと静かさを求めてこの駅にやってきたのだが、実際には駅舎の中には人がいたし、さらに駅前には、近くにあるリゾートスパの送迎バスが停車していて、案内役の人もいた。そのうえ、タクシーも停車していた。駅前の道路も意外と交通量があり、無人駅特有の侘しさはそこには全くなかった。想像していた根府川駅とはだいぶ違う、というのが実際のところだった。
 とはいえ、駅に人がいて、にぎわいがあることは何ら悪くはない。少なくとも、本当に四六時中ろくに人がいなくて、廃駅になる日も近いのではないかという駅の状況よりは、よほど歓迎できる。駅は人が列車から乗り降りする場である。駅は人ありき、人がいて何ぼ、というところか。
 詩人・茨木のり子は、この駅を舞台にした「根府川の海」という詩を発表していて、駅舎内にはその詩の一部の抜粋が、額縁に入れられて掲示されている。「大きな花の向こうに いつもまっさおな海がひろがっていた」という一文があるが、今後日本の人口が減っていき、鉄道の利用が減り、根府川駅の利用者が減っていっても、根府川駅がここにあって営業を続ける限り、”(カンナの)大きな花の向こうに いつもまっさおな海”という情景は、ここに変わらず留まり、展開され続けるのだろう。今後、幾年が流れようとも、世代が代わろうとも、「根府川駅では、カンナの大きな花の向こうにいつも真っ青な海が見られるんだよ」と語り継がれてほしい。例え何であれ、世代を越えて共有されるものがあるというのは、良いことである。
◆駅周辺にあったものたち◆
 駅の周辺の散策を始めようとすると、電話ボックスに貼り付いた桜の花びらが目に留まった。根府川駅を訪問したころは、既に桜は散っていっている最中で、電話ボックスに付着した花びらは、桜の終わりを感じさせた。そういうところから醸し出される、感じ取れる”侘しさ、寂しさ、悲しさ”というのはいかにも無人駅に合う。
 駅のほど近くには、交番や郵便局があった。更に歩みを進めていくと、寺山神社という神社を発見した。今日は特に元日など、特別な日ではないが、せっかくなので、10円をお賽銭として箱に投げ込み、お参りをした。実は何も祈らなかったのだが、手を合わせ、目を閉じて黙って静かにするだけというのも、心が自然と落ち着くような気がして、これはこれで良いと思う。
 根府川駅の熱海方には白糸川橋梁という、赤色の大きな橋がある。道を歩いていると、この橋梁を渡る列車も見られた。以前は撮影ポイントとして有名だったようだが、防風柵が設置されたことで、撮影には不向きになった。ゆえに、列車内からも、橋上から海をきれいに眺めることが難しくなった。しかし、立派な佇まいは不変であり、外から見る分にはどうということはない。山陰本線の余部橋梁が、老朽化のためにコンクリート橋に架け替えられたが、白糸川橋梁にはそういう話はないようだ。今後も末永く、この立派で味のあるトラス橋の姿でいてほしいと願う。
 東海道本線のほど近くを東海道新幹線も通っていて、新幹線の線路の上から、東京行きのN700系の列車が見られた。300系の引退により、東海道新幹線を走る車両は700系とN700系の2形式に集約された。塗装にほとんど差異がなく、全体的に似ている700系とN700系の2形式しか見られないというのはつまらないようにも思われるが、東海道新幹線開業の1964年〜1984年の20年間は0系しかなかったのだから、それを思えば、原点回帰(2形式あるだけ、1形式しか見られないという真の原点回帰よりまし)しただけなのかもしれない。

◆あてどもなくぶらついていくと◆
 あてどもなく道をぶらついていく。根府川駅周辺は住宅街となっているが、この辺り一帯は急峻で、坂が多い。とりあえず道を思うままに進んでいく。川に沿って歩いて行き、更に東海道新幹線の線路の下をくぐる。そのうえで更に道を進んでいくと、道は坂になり、どんどんと高度が高くなっていった。
 ぶらついていて気になったことは、みかんの木の多さである。実際、かつては根府川駅周辺の一帯は日本でも有数のみかんの栽培地であったらしい。現在は需要の低迷と後継者の不足により生産量は減っているというが、そうは言ってもみかんの木はたくさんあった。近くには海もあることだし、童謡「みかんの花咲く丘」の「みかんの花が咲いている 思い出の道丘の道 はるかに見える青い海 お船がとおく霞んでる」という歌詞がふと、頭をよぎった。この曲のメロディーは、作曲者が東京から伊東行きの列車に乗車したその車中で作ったものであるらしいが、なんでも、小田原〜熱海を走行中に、外の景色を見て、最初のメロディーがふっと浮かんだという。そう、この区間には根府川駅も含まれている。どうりで、歌詞の内容によく合う光景が広がっているはずだ。
 高度はどんどん上がっていき、東海道本線の線路と同じ高さになったかと思えば、あっさりとその高さを越えてしまった。そしてなおも坂道を上れば、線路を見下ろす高さになる。そうして、もっとも高くなるところにやってくると、根府川駅と広がる海を一望することができた。ここに来るまで、膝が痛くなるほど坂を上り続けてきた。苦労の果てに見られた絶景だけに、感慨もひとしおだった。他には誰もいない、山をつたう小路の上から、素晴らしい景色を眺める。こんな小さなことでも、幸せを感じられる。
 海のすぐそばへ行くために、坂を下り、下の国道へと出た。この辺りには釣り人がよく来るのか、釣りのえさの販売を行っている店や、軽食を提供する店があった。車の量も多く、人も多い。ここは上の方(根府川駅がある方)と比べても活気がある。
 この後、海を一望して、岸へも行ってみた。大きな石の上を歩くのは意外と難しく、転びそうにもなる。岸に打ち寄せる波は穏やかで、今日も平和な1日が送れるかな、とぼんやりしながら思う。
 ◆約90年前の悲しみ◆
 1923年9月1日。この日は、関東大震災が発生した日である。これによって発生した地滑りで、根府川駅に侵入していた列車(客車2両を除く)、駅舎、ホームが海の底へと沈んだ。列車の乗客・乗務員の111人とホームにいた駅員3人、客20人が死亡したと言われている。
 現在でも、海中には、当時の震災で沈んだホームがそのまま残っているという。一方、根府川駅は翌年には再建され、1973年には、改札口の横(駅舎と跨線橋の間あたり)に、「関東大震災殉難碑」が建立された。関東大震災による列車事故で亡くなった人たちを弔う思いを抱きながら、この碑をじっと見つめた。もう二度と、そんな悲しみが起こることがないようにと。
 忘れられぬべき悲劇が起こったことなど知らないかのように、その横の小さな池では金魚が優雅に泳ぐ。根府川駅にやってくる列車は、震災で海の底へ沈んだ客車列車から、80系や113系、211系などと変わっていき、今は主にE231系とE233系が発着している。何せ、関東大震災は約90年前のことである。車両はもちろんだが、駅周辺の状況なども大きく変わったことだろう。それだけ、時は流れた。
 そして記憶に新しい東日本大震災では、特に津波によって鉄道に甚大な被害がもたらされた。4番線で熱海行きの列車を待つときに、ホームから見える海に目をやる。この海が、今後永遠に穏やかであってくれれば。このホームがある地面が、今後ずっと穏やかであってくれれば。例え利用客が少なくとも、根府川駅に何事もなく平和的に列車が発着して、”いつも通りの日常”があってくれれば・・・。
 熱海行きの快速アクティー号が定刻に到着し、私はそれに乗り込む。こんなたわいもなく、特別でもない当たり前の普通のことが、1日と欠けることなく、今後もできれば良いなと願った。                               <終>

▲みかんの栽培が盛んなのか

▲根府川駅と海

▲広がる海

▲白糸川橋梁を仰ぎ見る

▲国道

▲相模湾を一望する

▲JR公式の駅の案内

▲合掌

▲優雅に泳ぐ金魚

▲E231系・・・、似合わない



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