● バ ッ ク ナ ン バ ー ●

No.1(山陰本線・飯井駅)  No.2(小野田線・長門本山駅)  No.3(土讃線・坪尻駅)  No.4(東海道本線・根府川駅)


今回は2駅分の下車記をお届けします。




入    地
い  れ  じ / I r e j i
訪問日:2013年10月27日

●竜ヶ崎線・関東鉄道●

佐     貫
Sanuki
茨城県龍ケ崎市入地町 竜  ヶ  崎
Ryugasaki



竜   ヶ   崎
り ゅ う が さ き / R y u g a s a k i
訪問日:2013年10月27日

●竜ヶ崎線・関東鉄道●

入     地
Ireji
茨城県龍ケ崎市字米町

※各画像はクリックで拡大します。

No.1


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◆独特の存在感を放つ唯一の途中駅◆
 関東鉄道に、竜ヶ崎線という路線がある。佐貫〜竜ヶ崎を結ぶ単線・非電化の路線だが、この路線、全長は僅か4.5qしかない。他の路線であれば、1つの駅間距離にも満たないものかもしれないが、この長さをもって「1つの路線」として独立している。
 そんな竜ヶ崎線には、全部で3つの駅がある。起点の佐貫、終点の竜ヶ崎、そして唯一の途中駅である入地。秋空がきれいで風の冷たい10月末、その入地でふらりと下車してみることにした。
◆乗降人員68人の駅◆
 佐貫から竜ヶ崎行きの列車に乗り、目的地の入地にやってきた[-1-]。このときの竜ヶ崎行きの列車には、DMH17系のエンジンを搭載していたことで知られている、キハ532形が使用されていた。もっとも、そのエンジンは新しいものに取り換えられてしまったが、以前からの注目や人気はそのままのようで、車内や沿線には、鉄道ファンが散見された。
 入地の1日平均の乗降客数は68人。かなり少ない数値であることは分かっていたが、いざ入地で降りてみて、降りたのが自分1人しかいなかったということが分かると、何とも言えず寂しい思いになる。
 停車時間は15秒ほどだっただろうか。1人の乗客を降ろし、新たな乗客は誰も迎え入れなかった列車が、終点の竜ヶ崎へ向けて走り出していった[-2-]
◆とりわけ寂しい佇まいの駅◆
 入地駅は単式1面1線の駅である[-3-]。1面1線という駅構造は、実は当駅よりもはるかに利用客の多い佐貫駅、竜ヶ崎駅でも同じことなのだが、それでも、入地駅に限ってとりわけ物寂しさや静けさが漂っているのは、決して気のせいではない。ごく小さな集落の中の、主要な幹線道路からも離れたところに位置するという立地は、必然的にある種の寂寥感を生み出してしまう。
 竜ヶ崎線の利用客はともかくとしても、普段は車しか使っていないという人であれば、たとえ龍ケ崎市民であっても、もしかしたら、この駅の存在を十分には認識していないかもしれない。
◆駅に添えられた”彩り”◆
 入地駅の雰囲気、そして佇まいは、まさにローカル線の駅そのものである。そのことを意識してなのか、待合室の外壁には、旧漢字を用いて「入地驛」と書いた看板が取り付けられている[-4-]。そして、ホームには、関東鉄道の職員によって設けられたというコスモスの花壇がある[-5-]。秋風に吹かれ、吹く風のなすがままに揺れるコスモスは、この入地駅に1つの彩りを添えていた。

◆ホームの待合室◆
 入地駅のホームには屋根が設けられていない。そんな中、ホームのやや竜ヶ崎寄りには、コンクリート造りの待合室がある[-6-]。入り口の扉こそ設けられていないが、コンクリート製で、ベンチや時刻表、掲示物、窓を備えるこの空間は、待合室としての機能を十分に果たすことができる[-7-]
 待合室の中にある掲示物の1つが、各駅への所要時間表である[-8-]。この図を見ると、入地駅が竜ヶ崎線の唯一の途中駅であることがよく分かるとともに、佐貫へも竜ヶ崎へも同じ所要時間であることから、佐貫と竜ヶ崎のほぼ中間地点に駅が存在しているということも分かる(※佐貫までは2.2q、竜ヶ崎までは2.5q)。
 入地駅を紹介しておく上で欠かせないのは、時刻表である。1日平均の乗降人員が68人、つまり乗車人員は34人で、非電化・単線・1面1線の駅となると、つい「いったいどれほどのローカル線の駅なのだろうか」と勘ぐりたくなってしまうが、待合室に掲示されているこの時刻表のとおり、入地駅は、日中は毎時2本、時間帯によっては毎時3本の列車が設定されている。その少ない利用客数からは想像できないような、十分な利便性が確保されている駅なのである[-9-]。もっとも、この毎時2〜3本という列車の本数設定が、1日平均の乗降客数がともに2000人を超える佐貫・竜ヶ崎両駅の利用客のことを念頭に置いてのものであることは明らかだが・・・。
◆竜ヶ崎線のif◆
 佐貫〜竜ヶ崎間4.5qを結ぶ関東鉄道の路線。それが竜ヶ崎線であるが、同路線は、本来の計画通りであれば、藤代〜竜ヶ崎間を結ぶはずであった。しかし、藤代から線路を敷設するとなると、その途中で小貝川を渡ることになり、橋梁を造る必要が生じることから、橋梁の建設を避けて費用の削減ができるよう、小貝川を渡った先の佐貫を起点とするように計画が変更されたという経緯がある。
 もし、竜ヶ崎線が当初の計画通りに建設されていれば、その後の周辺自治体や竜ヶ崎線自体、そして(計画変更により結果的には佐貫で接続することになった)常磐線はどうなっていたのだろうか。龍ケ崎市や取手市(←藤代町)、そして佐貫駅や藤代駅は、現実とはまた違った発展と歩みを経ることになっていたかもしれない。入地駅について考えてみてもそうである。もし竜ヶ崎線が藤代から伸びてきていたとすれば、入地駅は果たしてどうなっていたか・・・?
 1901年1月1日の入地駅の開業から既に110年以上が経過した。「もし藤代から・・・」という”if”について考えてみるのも悪くはない。が、利用客がいかに少なかろうとも、長年にわたり、入地駅は、決して廃駅になることもなく、竜ヶ崎線の駅として営業し続けてきた。そのことを考えると、この「正史」で良かったのだろう、と思わされる。

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◆新旧の混在◆
 ホーム上に立てられている駅名標を見てみる[-11-]。さすがに、開業当初からのものをそのまま使っているはずはないであろうが、何にも守られることなく風雨にさらされ続け、強く錆びついたその駅名標の姿は、経過したその年月、ひいては入地駅が持つ110年以上の歴史をも感じさせる。
 そんな「古さ」がある一方、入地駅には、「新しい」もある。この竜ヶ崎線がSuicaやPASMOなどのICカードに対応した2009年、入地駅にも、ICカード用の簡易改札機が設置されたのである[-13-]。この簡易改札機は完全な室内に設置されているものではなく、雨などによる故障を避けるためか、装置全体が透明なビニールのカバーで覆われていたことが印象的であった。
 今回、佐貫〜入地間の移動には、Suicaを使用した。入地駅に設置された簡易改札機の「出場」の方にSuicaを触れると、聞き慣れている、お馴染みの「ピピッ」という音が鳴った。入地駅が見せてくれる”現代的な”一面である。
◆行き来する1編成◆
 明確な改札口があるわけでもなければ、駅舎(入口)があるというわけでもない。また、駅の周辺に「入地駅→」などと示す標識などもない。駅前で待機するタクシーなんて、もってのほか。入地駅には、「ここに駅がありますよ」と主張する要素がほとんどなく、「風景の一部」として溶け込んでしまっているような感がある[-15-]
 そんな入地駅が”駅”であることを主張できる瞬間と言えば、やはり列車が来るときであろうか。入地駅の周辺で観察や写真撮影をしていると、13:10発の佐貫行きの列車がやってきた[-16-]。車両は、先ほど乗車した竜ヶ崎行きの列車と全く同じキハ532形である。
 竜ヶ崎線についてはあまり知らないという方でも、もう何となくご想像がついているところかもしれないが、全長4.5qで3駅しかない竜ヶ崎線では、1つの車両(編成)によるピストン輸送で事足りてしまうのだ。全く同じ車両が佐貫〜竜ヶ崎間を往復し続けているという点は、竜ヶ崎線の大きな特徴の1つとなっている。
 さて、鉄道ファンからの注目と人気が高いキハ532形であるが、実は毎日走っているわけではない。この車両は使用日が限定されていて、毎月第1・第3土曜日と、第2・第4日曜日の日中(だいたい9:00〜15:00)しか走らない(駅訪問日の2013年10月27日=第4日曜日)。この措置により、必然的にキハ532形が見られる機会は絞られ、その”希少性”は自然と高くなっている。
 地味な路線であることは否定できない竜ヶ崎線だが、殊にキハ532形の運転日となると、鉄道ファンが沿線などにやってきて、竜ヶ崎線はにわかに活気づく。

◆直線街道◆
 単線・非電化というと、ついつい、曲がりくねったローカル線を想像してしまうものだが、実は竜ヶ崎線の線形は非常に良い。全長4.5qのうち、直線区間は3.5qで、総路線距離の約77%を占めている。入地駅を基準にして眺めたとき、竜ヶ崎方面こそ、すぐそこに左への緩やかな曲線があるが、佐貫方面は、ずっと遠くが見通せるほどに、直線が延々と伸びている[-17-]。この直線は、佐貫駅まであと約300mという地点まで、1.8qにわたって続く。
 ただ、残念ながら、竜ヶ崎線を走る列車は、こういった直線区間であっても、せいぜい60q/h程度しか出さないようだが・・・。
◆竜ヶ崎線と蒸気機関車◆
 入地駅のすぐ脇に、「入地踏切」という踏切があるが、その近くに立てられている踏切を示す標識には、蒸気機関車が描かれたものが使用されている[-18-]。110年以上の歴史がある竜ヶ崎線では、もちろん、蒸気機関車が活躍していた時期があった。竜ヶ崎線の蒸気機関車は、1965年まで日常的にその活躍が見られ、それ以降も、4号機・5号機と呼ばれていた2機が、1971年に廃車されるまで在籍していたらしい。
 最後まで使われていた2機のうち、1機は、龍ケ崎市にある歴史民俗資料館で保存されていて、もう1機の方も、東武鉄道のおもちゃのまち駅の駅前で保存されているという。歴史の証人は、解体されることなくその姿を留めているようだ。
◆ちょっとでも待てば◆
 既に述べたように、竜ヶ崎線の列車は、日中は毎時2本が設定されている。そのため、入地駅においても、単純計算で1時間居続ければ、下り2本、上り2本の計4回(本)、列車に出会える。平均すれば、15分に1回は列車に出会えることになる。
 ちょうど佐貫行きの列車を見送ったところということもあり、「もうそろそろ入地駅を離れようか」と思っていたところではあった。しかし、「ちょっと待てばもう1回キハ532形に遭遇できるんだな」と思い、次の竜ヶ崎行きの列車の到着を待ってみることにした。
 踏切の警報機が鳴り出し、列車の走行音が聞こえてくる。快晴の空と冷たい秋風の下、電線や踏切の影を車体に落とした竜ヶ崎行きのキハ532形が、ゆっくりと入地駅に滑り込んできた[-19-]
 「果たして入地で降りる人はいるのだろうか」と思いながら、列車の到着〜開扉の流れを観察していたが、この列車から入地駅に降りてくる人は誰もいなかった。上下合わせて1日82本の列車があるという状況に対して、1日平均の乗降客数が68人なのだから、乗り降りが全くないというのは何ら不思議なことではない。いや、むしろ自然なことで、”いかにも入地駅らしい”光景と言えるのかもしれない。

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◆徒歩紀行◆
 今日は入地駅だけでなく、その隣の竜ヶ崎駅も訪れる予定としているが、今回は竜ヶ崎駅までの移動手段として、列車ではなく徒歩を選択してみた。入地〜竜ヶ崎間は駅間距離でも2.5q程度であり、徒歩でも問題ないであろうと踏んだためである。
 龍ケ崎市は東京のベッドタウンとしての開発が進められた地域であり、現在の人口は約8万人で、人口密度も1000人/qはあるという立派な街に成長した。もちろん、だからと言って街の隅から隅までが住宅街と化したわけではない。宅地化は部分的なものであり、旧来からの農村風景はよく残っている[-21-]。竜ヶ崎線は、特に入地駅の前後において、住宅の少ない田園地帯の中を走るようになっていて、その区間では、とりわけローカル線の雰囲気が強くなる[-22-]
 竜ヶ崎方面へ向かって、道を線路沿いに歩いていく[-23-]。龍ケ崎市は私にとっては近所の街であり、おおよその状況や雰囲気は知っていて、また土地勘もある。それゆえ、旅先で降りた駅の周辺を歩き回ってみるときとは違い、目に入ってくる風景はいずれも見慣れたものであり、残念ながら、「新鮮さ」はほぼ皆無であった。しかし、徒歩で練り歩いてみると、車やバスからでは気が付かないようなものの存在に気が付くことができた。小さな路地の発見はその例である。たとい地元・近所であっても、その全てを知り尽くしているということはないのだということを感じた。
◆踏切と歴史と◆
 竜ヶ崎駅へ向けて歩き続けていると、遮断機も警報機もない、第4種として分類される踏切に遭遇した[-24-]。列車が接近しているかどうかの判断は、そこを横断する人や車の目視にゆだねられるというものであり、ある意味では、ローカル線の象徴と言えるものかもしれない。単線、非電化、1両、第4種踏切。竜ヶ崎線には、ローカル線らしさを演出するための要素が揃っている。
 入地〜竜ヶ崎間には、門倉2号踏切の名前が与えられた踏切がある。何の変哲もないただの踏切だが、その付近には、かつて「門倉停留場」という単式1面1線の駅があったらしい。踏切の脇に立てられた案内板が、そのことを教えてくれた[-25-]
 もっとも、門倉停留場があったのは1900年〜1957年までであり、廃駅となってから、既に55年以上が経過している。駅があった当時を偲ばせる遺構などは何もなく、ホームがあったであろう場所も、草がぼうぼうと生えているだけだった[-26-]
 ちなみに、竜ヶ崎線には、もう1つ廃駅がある。佐貫〜入地間に設けられ、門倉と同様、1900年〜1957年の間で営業していた「南中島」である。これも歴史のifだが、もし門倉・南中島の両駅が、廃駅を免れて残存し続けていたら、正史とは異なったどんな展開が起こっていたのだろうか。

◆さらに歩く◆
 引き続き、竜ヶ崎駅へ向かって歩いていく。できる限り線路に沿って歩くよう心がけるが、残念ながら、入地駅から竜ヶ崎駅に至るまでの全ての道のりを、線路沿いの道を歩いて、というわけにはいかない[-28-]
 線路距離で竜ヶ崎駅まであと約600mというところにある馴馬県道踏切まで至ると、線路にぴったりと沿って走る道が出現する[-29-]。この道をずっと進んでいくと、終点の竜ヶ崎駅に到達できる。
 線路をまたぐ架道橋があったので、その上にのぼり、竜ヶ崎線の線路を佐貫方面への視点で俯瞰してみた[-30-]。線路は真っ直ぐと伸びている。この直線率の高さは、やはり竜ヶ崎線を特徴づけるものの1つであると思う。それだけに、直線を走る場合でも、列車が60q/h程度しか出さないことがとても残念なのだが・・・。車両の性能的にはもっと出せるはずなのだから、もう少し頑張ってほしいものである。
 60q/hが80q/hや90q/hになったとしても、所要時間はせいぜい1分ちょっとしか縮まらないかもしれない。とはいえ、車両に余力があるのはたしかであるし、今ある設備・資源で竜ヶ崎線のサービスを向上させようと思えば、「運転速度の向上」が真っ先に選択肢として挙げられそうに思うのだが。


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