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駅前で待機している観光バスに乗り換えて、ミニツアーの一行は、備前市にある、備前焼の窯元を訪ねた。和気駅からのミニツアーは、バスで備前焼の窯元を訪問し、備前焼の歴史や概要、窯などについてのガイドを聞いたり、作陶中の様子を見学したり、抹茶や和菓子の振る舞いを受けたりする、というものであった。以前の上り山陽コースでは、窯元の見学ではなく、閑谷学校の見学だったようだ。

 バスを下車した後、一行は2班に分かれ、桃渓堂と一陽窯という2つの窯元にそれぞれ向かった。一陽窯へ行くこととなった私は、窯元の職員に先導され、焼き上げに使用される窯や原料となる土を見学した。話によると、備前焼では、ひとつとして同じ模様のものが出来上がることがないのが特徴であるらしい。工房では、焼き上げ前の、まだ乾燥中の備前焼がたくさん保管されていた。今後、そのひとつひとつが立派な作品になっていく。

 工房の中では、2人の職人がまさに作陶をしている最中であった。2人の間に会話もなければ、我々が入ってきたことに気が付く様子もない。その神経は今、全てがろくろの上を回る作品に集中している。ろくろの上の作品に手を添えるたびに、その形は変わり、形を成していなかった「塊」から、美しい形状を持つ「備前焼」へと進化していく。水壺と作品の間を往復する手の動きでさえ、洗練されて無駄のない、熟練者ならではの技に見えてくる。

 ひたすらに、ただひたすらに。備前焼に一途になり、人生をかける職人から、今日も、古くて新しい”唯一無二”の備前焼が生まれていく。

 ちなみに、桃渓堂と一陽窯は、赤穂線の伊部駅から約260mのところにある。特別なトワイライトエクスプレスを東岡山〜相生において赤穂線経由とし、伊部駅まで直接来てくれれば一番良かったのだが・・・。ホームの長さなど、様々な事情は承知するが、トワイライトエクスプレスで優雅な旅をしていたと思ったら、座席が2+2のごくごく普通の観光バス乗り換えさせられた、というのは悲しい。




































見学が終了すると、ミニツアーで一陽窯にやってきた一行に、抹茶と和菓子がふるまわれた。私と連れは和室へ案内された。そこには完成した備前焼が多数展示されていたが、同じ形状・大きさのもの(つまり、”モノ”自体は一緒)のものでも、その色合いや模様に関しては、同一のものはない。焼き上げ時の炎の動きひとつでさえ変わる模様は、気まぐれが生み出す最高の芸術作品でもある。

 抹茶と和菓子が入っていた食器は、もちろん、備前焼であった。どちらも美味であったが、口にする前の、ただ机の上に置かれているだけの状態のときから、「これはおいしそうだな」と思っていた。日本のお菓子と日本のお茶の姿を美しく浮き上がらせ、よりおいしそうに見せるのは、やはり日本の和食器(備前焼)ということか。その色合い、仕上がり、質感が、存在を共にする料理を見事に彩る。

 形状も大小も模様も様々な備前焼を見ながら、窯元からふるまわれた抹茶とお菓子をおいしく食べた。それは言い換えれば「食器を見ながら物を食べる」という状況になるわけだが、これはちょっと奇妙だ。ふつう、食器は観賞の対象になるだろうか。だが、文面に起こすと不自然でも、実際にそれを行ってみると、何のおかしさも感じなかった。そう、備前焼は芸術作品でもあるのだから。「ただの食器」で片付く代物ではないのだ。




 

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