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上郡からは兵庫県内となり、同時に、いわゆるアーバンネットワークの区間内に入る。網干総合車両所の脇では、何本もの223系を目にし、見かける車両という点でも、徐々に関西(大阪)に近づいてきていることを実感するようになる。姫路では、東京行きのひかり470号とほぼ同時に発車したが、さすがに加速では敵わず、あっという間に置き去りにされてしまった。

 姫路から先は毎時6本、加古川からは8本、西明石からは12本(いずれも特急は除外)など、本数が多い区間に入っていくからか、姫路を出ると、これまでの情けない走りが一転、結構飛ばして走っていく。姫路〜大阪間では、運転停車も西明石待避線での5分のみであり、姫路〜大阪間を1時間19分で走り抜ける。新快速はもちろんのこと、末期のなは・あかつき号などと比べても遅いが、特別なトワイライトエクスプレスとしては大健闘だ。

 本当の寝台特急らしい走りが蘇ろうとしていたころ、13:15頃より、サロンカーで再びじゃんけん大会が開催された。ここでは、昨晩は賞品として出てこなかった安全運行祈願の絵馬などが賞品になった。しかし、結局我々は全敗し、賞品は何一つとして獲得できなかった・・・のだが、特製の卒業証書を2枚獲得した組があったため、その組の方のご厚意により、1枚を我々がいただけることになった。

 グッズの卒業証書と全員配布の乗車証明書には、我々の名前を車掌が直々に書いてくれる。列車で乗車記念証が配られることはよくあるが、大抵は名前など書かれるはずもなく、乗務員が乗客に次々と渡していく。直筆で名前を書くことで、配布には手間がかかるが、その分、「乗っている乗客全員へ配布」というよりも「乗っている乗客ひとりひとり(乗客の田中様、鈴木様、佐藤様へ・・・)に配布」という感が強くなる。

 西明石を通過すると、列車は貨物列車などが使う待避線に入り、新快速などを先行させる。そのとき、下り電車線を、試運転幕を表示した12系が通過していった。青い車体に2本の白線を引き、車内には向かい合わせのボックスシートを配置した、ほぼ原形の12系であった。大半の乗客は無関心であったが、分かる人には分かるというもので、いかにも鉄道が好きそうな人は、12系が通過する瞬間、すぐにカメラを向けていた。

 待避線を13:35に発車し、列車は再び本線へ。大阪までの所要時間は44分で、新快速が西明石〜大阪間を41分程度で走っていることを考えると、この先は本当に頑張って走るようだ。特別なトワイライトエクスプレスの旅も、いよいよ最終盤を迎えた。




































列車線を走って、特別なトワイライトエクスプレスは大阪を目指していく。この先は、もう後続の列車に抜かれることはなく、むしろ、電車線を走る列車を追い抜いて行くくらいだ。近頃は、寝台列車(特急)のことを「のんびりとした・・・」「時間をかけて・・・」などと評することが多いが、それは新幹線や飛行機と比べた場合の話であって、あくまでも在来線の中では「特急」らしくなければならない。

 明石を通過すると、ほどなくして、進行方向左側に、東経135度線上に立つ、明石市立天文科学館が見えてくる。大きな円時計がついた塔は、日本の標準時子午線を示す標柱でもある。そのとき、時計の針は13:43あたりを指していた。もうあと35分ちょっとで、列車は終点の大阪に到着する。昨日下関を出たときは、「長く乗れるのはありがたいが、さすがに約28時間は気が遠くなる」と思ったものだったのだが・・・。

 天文科学館により、乗客の注目は一度山側に向くが、それを海側へ移らせるのは、明石海峡大橋である。日中でも十分見応えがあるが、夜のライトアップされたときであれば、見応えと迫力は更に増す。東海道・山陽本線の複々線区間に入ると、右も左も建物という車窓が一層増えるが、朝霧〜須磨間では、列車は播磨灘に近いところを走り、絶景とまでは言えないものの、車窓における一種の清涼剤となる。

 その後、私は自室へと戻った。自室へ戻った人もいれば、まだサロンカーに残っている人もいることであろう。しかし、何せ個室なものだから、一度部屋に入ってしまうと、他の人たちの様子がまるで分からない。長旅が終わるのを名残惜しそうにしながらじっと景色を見ているのか、それとも楽しそうに他愛のないことを喋っているのか。いや、もしかしたら既に非日常の世界を抜け出し、スマートフォンに夢中になっているかもしれない。

 人には人それぞれの旅の終わり方がある。運営側も、最後の20分は部屋にいろとか、スマホを触るなとか、そこを指図することはできない。しかし、人の内心に関しては、いくらか動かしようがあるはずだ。今後世に送り出されるトワイライトエクスプレス瑞風やトランスイート四季島の運行に関わる全ての人は、旅の最後に、いかに「旅が終わった」ではなく「旅が終わってしまった」と思わせるか、ということに腐心していくのであろう。

 旅をしているまさにその最中に楽しいと感じる旅は、いくらでもある。だが、旅が終わった後、思い出として脳裏に強く刻まれ、鮮やかに、そして正確に思い出すことができるほどになる旅は、そう多くはない。その旅は、目を閉じた瞬間に、実態を持つかのように浮かび上がることができるか。その旅は、ひとたびその思い出を口にしたときに、脳に代わって口を動かせるか。そこが運営側の腕の見せ所となることであろう。




 

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