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光を出てから22分ほどで、列車は柳井に到着した。この特別なトワイライトエクスプレス・山陽コース上りでは、柳井と和気において、列車から一度下車し、付近を散策・観光する「ミニツアー」なるものが設定されている。参加は任意であり、列車に留まり続けることもできるが、特別なトワイライトエクスプレスに乗るのは今回が初めてであり、当然ミニツアーも初めてということで、ここではミニツアーに参加することにした。

 列車から下車した乗客たちは、2班に分かれ、地元のボランティアガイドの引率の下、柳井周辺を散策する。我々が最初に訪れたのは、柳井川の北側にある、白壁の街並みであった。室町時代の町割りと江戸時代からの建物が現存する街で、国の「重要伝統的建造物群保存地区」にも指定されている。その指定により、白壁の街並みでは、建造物の修理や電柱の地中化なども実施され、今や柳井の観光名所になっている。

 金魚ちょうちんが躍る白壁の街並みを後にして訪れたのは、佐川醤油店であった。柳井の特産品のひとつとして、2年の熟成ともう2年の再熟成を経てでき上がる甘露醤油が挙げられる。この店では、その醤油蔵や道具などを見学することができる。熟成中の醤油は、樽の中で静かに佇み、湖面も全く揺れ動かないが、視線を向けるたびに鈍く黒光りする。甘露醤油生誕の地・柳井で、今日も最高の一品を目指した醤油づくりが行われる。

 閑静な地区にある寺・湘江庵は、「柳井」の地名の発祥の地とされている。柳井には、上洛中に遭難してしまってこの地を訪れたある姫とその一行が、井戸の水を飲ませてくれたお礼に、と、楊枝を井戸のそばに刺したところ、その楊枝が一夜にして巨大な柳へと成長した、という伝説がある。この柳と井戸の話が、現在の柳井という地名に繋がったと言われている。

 この後、土産物店や100円でオルゴールを演奏する装置などに立ち寄りながら、我々は駅に帰着した。約1時間15分の小散策であった。





































乗車記念証を見せて改札を通ると、食堂車の厨房で慌ただしく動き回るコックたちの姿が見えた。この後、17:45より、第1回目の夕食が始まるが、それに向けた準備が進められているようである。広いとは言えない厨房で料理を拵えていくのは、決して楽なことではなかろう。ただ、柳井では2時間も停車するということで、走行中の厄介な揺れがないことは、彼らにとっては幸いであるはずだ。

 トワイライトエクスプレス号は「豪華寝台特急」と呼ばれたが、大阪〜札幌時代は、A寝台車が2両であるのに対して、B寝台車は5両であった。北斗星号の定期列車時代末期は、A寝台車が実質2両(ツインDX1両とロイヤル0.5両×2)、B寝台車は実質7.5両(6号車はロビー・ソロ)であった。もちろん、A寝台車の比率だけで豪華さが決まるわけではないのだが、全寝台がA寝台というカシオペア号の存在があると、どうしても「豪華さ」が弱かった。

 今、特別なトワイライトエクスプレス号は、実質全寝台がA寝台である。1〜4号車までスイート/ロイヤル車が連なり、そしてトワイライトエクスプレス号を象徴するサロンカー、食堂車が続くという、贅沢にして豪華な編成。昔、子供のころ、「真の豪華寝台特急になるために、編成1本にしてでも、スイート/ロイヤルだけにすれば良いのに」などと思っていたことがあるのだが、その夢が現実となった。

 いくら西日本といえども、今はまだ2月。もう少しすれば、辺りも暗くなってくるであろう。先頭に立つ機関車・EF65形の前照灯も、心なしか、より力強く輝き始めているように見えた。トワイライトエクスプレス号の神髄は、やはり、夜行列車―――寝台列車であることに尽きる。外界が暗晦に包まれ、夜風で草木がそよぐような時間帯こそが、この夜汽車での旅が最も楽しく感じられるときであろう。

 出発があまりにも早かったがために、つい忘れてしまいそうになるが、この9040レは、下関10:37発・大阪翌14:19着の「夜行列車」である。さあ、いよいよ夜汽車らしくなってくる。特別なトワイライトエクスプレス号の旅路は、第2の段階に入った。




 

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