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先代 のEF81形は、側面に銀色の流星が描かれ、「星ガマ」と通称されている。では、現在のEF510形はどうであろうか。星ガマの機関車からバトンを受け取った機関車にふさわしく、青色の車体の側面には、金色の流星が大きく描かれている。安易に全てを金色とするのではなく、後を引く5本の筋のうち、3本を白色としているところに、デザイン担当者の工夫を感じる。
 そして、その流星の下に引かれたやや太めの金帯に注目したい。この金帯をずっと目で追っていくと気がつくであろう。この金帯は、24系の引かれている金帯のうち、下から2本目の金帯と高さが一致するのである。客車に合わせた色、客車に合わせた金帯、そして時刻表などで見られる寝台特急のマークを思わせる流星。まさにブルートレインのための機関車である。














推進回送 で北斗星号は上野駅13番線に入線してくる。そのため、入線直後は、「尾灯を点灯させた機関車」という珍しいものを見ることができる。もっとも、珍しいとは言っても、北斗星号では毎日の出来事なのだが。尾灯と前照灯の両方が点灯した状態を経て、やがて尾灯が消され、前照灯のみが点灯する。闇夜を切り裂いて走る北斗星号。その道筋を照らす明かりが灯った。
 EF510形と24系は、互いの連結器によってがっちりと結ばれる。電源車の正面部分にある北斗星号のテールマークが光り、機関車の前照灯のガラス部にそれが映り込んでいた。従える者と従う者。EF510形は、客車との連結面の側には、前照灯も尾灯も点灯されないが、その代わり、テールマークの後ろの蛍光灯が、連結面をほのかに照らす。両者が離れるその時まで。














かつて 上野駅には多くの夜行列車が発着していた。何も東北新幹線開業前のころを引き合いに出そうというのではない。10年前でもいい、時計の針を2004年に戻してみよう。当時は、上野発着の定期夜行列車として、北斗星2往復、あけぼの1往復、北陸1往復、能登1往復があった。これのどこが「多くの」なのかと言われそうだが、現在は北斗星1往復のみである。当時はそれに加え、カシオペア号が半定期的に運転され、繁忙期には臨時の北斗星81号・82号、エルム号までもが運転されていた。
 「旅情」という言葉は曖昧模糊としていて、実像らしい実像はない。だが、上野駅に佇む夜行列車には旅情がある、ということを否定する人は、そう多くはないだろう。とはいえ、わざわざたいそうに「旅情」なるものを感じてしまうようになったのは、夜行列車があまりにも減りすぎて、夜行列車というものが特別な存在になりすぎたからではないか、とも思う。
 縦長のアクリル製の駅名標には、EF510形の側面の流星が、これから進んでいく大宮方面を向いて映っていた。














上野駅 13番線のホームは、アスファルトのものではなく、タイルによって覆われたものになっている。そのため、線や模様を描くことが可能になっていて、高架の連絡通路に繋がる階段とエスカレーターの前には、円形状の謎の模様が描かれている。
 模様や線が描かれているためか、13番線には、他のホームにはない特別な雰囲気がある。そんな13番線ホームの上を、今日も多くの人が行き交い、13番線の独特の雰囲気は、その人々の姿を炙り出す。北斗星号の利用客だけではない。食材を積み込むための作業員、写真を撮りに来た人、ただ見物に来た人、車掌、駅員、食堂車の乗務員・・・。その身分も、そしてここにやってきた目的も様々であるが、その全てが、今日の下り北斗星号に関わった人物である。
 エンブレムを撮影している人たちを見つめてみた。こうしている間にも、いったい何人の人が私の目の前を通ったのだろうか。














19:01 。1レの19:03の発車時刻まであと2分となった。合図灯を持った駅員が立ち、発車の時を待つ。そして、2013年7月から使用が開始された新しい発車メロディー「あゝ上野駅」が13番線ホームに流れる。あゝ上野駅は、「東京(上野)へ集団就職で”やってきた”若者たち」を題材とした歌であった。上京という言葉が特別な意味を持たなくなった(であろう)現在では、北斗星号という「東京(上野)から地方へ”向かっていく”列車」にこそ、この曲が合っているようだ。物悲しいメロディーが、またしても旅情を掻き立てる。
 北斗星号の車掌に向かって、駅員が白色に点灯した合図灯を振る。車掌はこれを確認して乗降扉を閉扉する。車側灯が消灯すれば、いよいよ旅立ちの準備が整う。駅員は、乗降扉が閉まった後のホームを、左右を見て今一度安全確認する。