◆2月25日◆
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 翌朝。私は、6時過ぎにホテルを出て、名寄駅へと向かっていました。まだ人通りも車通りも少ないこの時間帯に、市街地では、除雪作業が行われていました[①]。昨晩のうちに、それだけの雪が新たに降ったということでしょうか?

 商店街[②]。この時間帯は、まだ開いている店もないので、店の灯りは灯っていません。また、歩いている人もいません。バス停があるようですが、これほどにも雪が積もっていると、運転席からは、バス停の標示がかなり見にくくなりそうです。

 歩いていて「あまり寒くないな」と思いましたが、昨晩も見た温度計は、今朝は-9.9度を示していました[③]。氷点下20度も珍しくない名寄市においては、「今日の冷え込みは緩い」と言える程度のものでしょう。現に、いくら対道北の装備をしているといえども、関東人の私が、特に困らない程度の気温なのですから。

 6:23発の旭川行きに乗車します[④]。車両はキハ40系1両で、前面上部の行先表示部には「快速ワンマン」と出ていますが、これは誤表示であり、実際には、この列車は、全ての駅に停車する普通列車です(秘境駅レベルのところにも停まる)[⑤]

 夜明けが近づく北の大地[⑥]。白銀の先から、空を赤く燃やす太陽が昇ってきています。まだ高さが足りませんが、もう少し上の方まで来れば、地面にも陽射しが当たり、そしてその陽光は、白一色の銀世界を、また違った色に染めてくれることでしょう。

 士別に停車します[⑧]。北海道に「しべつ」という地名はもうひとつあり、それは、道東にある標津町です。以前は、標津線という路線もありましたが、「標津」と名乗る駅はなく(実在したのは”根室標津駅”と”中標津駅”)、鉄道の世界においては、”しべつ”というと、今も昔も士別駅を指しています(地名においては、士別は「サムライしべつ」と呼んで区別することもあります)。

 北剣淵という駅で下車します[⑨]。前面は綺麗ですが、後面は、やはりというか、こんな姿で・・・[⑩]


















 北剣淵駅にやってきました[①]。昨晩下車した東六線と同じく、普通列車でさえも一部は通過してしまうという駅で、宗谷本線のダイヤを見ると、この早朝になんとか訪れることができそうであったため、降りてみました。

 士別駅と剣淵駅を結ぶ一直線の中にある駅で、左を見ても、右を見ても、ひたすらに直線が続いています[②] [③]。案の定、屋根もない板張り駅なので、通過列車に乗るときは、ここに駅があることに気が付かないかもしれません(高速通過をする特急列車ならば、なおさら)。

 ホームの表面を足でこすってみると、ホームを成す板が見えました[④]。 今は冬なので分からないですが、この駅のホームは、木板でできています。北海道には、板張りの簡易な駅が数多くありますが、そのような”不採算駅”がいよいよ整理され始めそうな感じなので、気になる駅があるならば、訪問はお早めに。

 昨日の東六線駅には、私と同じ行動パターンをとる人がいましたが(同じ列車で降りて、同じ列車で帰る)、今日、先ほどの列車で北剣淵で降りた人は、他にはいませんでした[⑥]。”仲間”がいることは、決して悪いことではないと思いますが、殊に秘境駅訪問においては、やはり「自分ひとりしかいない」という環境が理想的です。誰にも邪魔されず、ひっそりとした場所で、ひっそりと過ごす。それが秘境駅の醍醐味です。

 士別方面には、ちょっとした勾配があるようです[⑦]。まあ、たいしてきつい勾配ではなさそうですし、例えば先ほど乗車したキハ40-1714であれば、機関も高出力型に換えられていますが、冬の北海道では、たまに”積もった雪や勾配のせいで発車できない(空転する)”という事象に遭遇することがあります(経験済み)。

 今日の北剣淵駅は、恐らく、私が一番乗りでしょう(先ほどの6:58の普通列車が、上下を含めた一番列車のため)。まだ誰も足を踏み入れていない積もりたての雪に、私が思いっきり足跡を刻んでおきます[⑧] [⑨]。しかし、明日にもなれば、新たに降ってくる雪によって、私の足跡は、きれいに消されてしまうのでしょう。

 宗谷本線の線路と交差する道路[⑩] [⑪]。また雪が降ってきてしまったためか、見通しが悪くなっています。冬の北海道には、当然冬ならではの楽しみや見どころがありますが、レンタカーが使えなくなってしまうため(こんな雪道は運転できない)、公共交通機関で何とか行けそうなところにしか訪れられなくなるのが、玉に瑕です。

 木製の小屋、という表現が似合いそうな待合室[⑫]。屋根上には、今季に降ってきた雪を全て蓄えています。出入り口の扉は、雪に侵食されつつあり、そろそろ扉の開閉が難しくなってきそうな頃合いに見えます[⑬]














 下り7:11発の普通列車がやってきました[①]。滞在時間13分というのは、ちょっと物足りないですが、まあやむを得ません。この手の秘境駅を効率的に訪れるためには、上下列車をうまく組み合わせるのはもちろんのこと、多少の滞在時間の短さを割り切ることが大切です。

 この列車は、宗谷南線の下り一番列車で、旭川を6:03に発ってきました。乗っている乗客も少なく、車内には長閑な時間が流れます[②]。この後、女子高生とその親御さんらしき人が乗ってきて、今日は何かあったかなあと思って調べてみたら、この2月25日は、名寄市立大学の受験日でした。そして私は、彼女の武運を心の中で祈っておきました。

 キハ54形のクロスシート部には、0系新幹線の転換式クロスシートが流用されているものの、さすがに多少の改造はされています(座席間の仕切りを兼ねたひじ掛けをなくす、窓側のひじ掛けをなくす等)。しかし、一方で、0系時代のものが残っているところもあり、そのひとつは、「つまみによって引き出すテーブル」[③]。通路側の席にだけ見られる装備です。

 多寄に到着しました[④]。「なよろ」という駅もあれば、「たよろ」という駅もあり。アイヌ語を語源とする駅名や地名が多いからだとは思いますが、北海道には、似た名前の駅や地名も多いですよね。

 名寄に着きました[⑤]。ここでキハ54形とキハ40系の切り離し作業が行われます[⑥]。キハ54形の方は、名寄で列車番号を変えつつ、最果ての稚内まで向かいます(旭川〜稚内間を走るロングランな普通列車)[⑦]。本来の予定では、引き続きこの列車に乗り、北星という駅も訪れる予定でしたが、その戻りとなる上り列車が、低気圧の絡みで運休となったため、名寄で打ち切りとしました。

 雪をびっしりと付けたキハ40系[⑧]。2両目として後部につく車両だからまだ良いですが、この面を先頭にする(上り列車として折り返す)ためには、雪落としをしなければならないでしょう。


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