● バ ッ ク ナ ン バ ー ●

No.1(山陰本線・飯井駅)  No.2(小野田線・長門本山駅)  No.3(土讃線・坪尻駅)  No.4(東海道本線・根府川駅)


今回は2駅分の下車記をお届けします。




入    地
い  れ  じ / I r e j i
訪問日:2013年10月27日

●竜ヶ崎線・関東鉄道●

佐     貫
Sanuki
茨城県龍ケ崎市入地町 竜  ヶ  崎
Ryugasaki



竜   ヶ   崎
り ゅ う が さ き / R y u g a s a k i
訪問日:2013年10月27日

●竜ヶ崎線・関東鉄道●

入     地
Ireji
茨城県龍ケ崎市字米町

※各画像はクリックで拡大します。

No.2


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◆キハ532に執着?◆
 キハ532という車両がファンから人気がある、ということは私も知っている。この車両を追いかけている者ではないが、「せっかく竜ヶ崎線の沿線までやってきたのだから」と、入地駅から竜ヶ崎駅へ移動する道すがら、キハ532の列車が来るたびに撮影を試みてきた。・・・が、私には、非電化路線の単行列車を撮影する、という経験がなかった。それゆえ、撮影してみても、なかなか納得する仕上がりにならない。
 「あと○○分待てばまた来る。止むを得ん、もう1回だ」「また失敗したか。仕方がない、もう1回」。特にキハ532形が好きというわけではなかったが、知らない間に、「なんとしてでも(自分なりに)納得できるものを撮りたい」と思うようになっていたらしい。竜ヶ崎駅へ向かって歩くのを中断してまで、キハ532形がやってくるのを待つ自分がいることに気が付いてしまった[-1-]
 背景がきれいでないことは承知しているし、車体の右側面が影になっていることも承知している。しかし、今日撮ったものの中では、構図などの面から考えて、1番良い仕上がりであった。車体の影は、後で修正を施せば問題ない。
 そのキハ532形であるが、竜ヶ崎に15:00に到着する列車をもって、駅構内の車両基地へと入り、キハ2000形と入れ替わってしまった。キハ532形は運転日が限定されている車両であるが、それだけでなく、運転される時間帯も制限されている。竜ヶ崎15:08発の列車からは、”今風な”車両のキハ2000形で運転されていく[-2-]
◆竜ヶ崎駅界隈◆
 ようやく竜ヶ崎駅にたどり着いた[-3-]。竜ヶ崎駅は、竜ヶ崎線の3駅の中では最も利用者が多く、また同線の終点駅でもあるのだが、単式1面1線という構造は、それこそ入地駅と変わらない。しかし、ホームには、ほぼ全体にわたって屋根が設けられている。また、唯一の駅員終日配置駅であり、簡易的な車両基地もある[-4-]。竜ヶ崎線で最も充実した駅であることを示す要素は、たしかに持っている。
 駅の脇にある小さな車両基地では、キハ532形への給油が行われていた[-5-]。竜ヶ崎9:11発の列車から佐貫14:52発の列車まで使われて、竜ヶ崎〜佐貫間をいったい何往復したのだろうか。次回の運転は第1土曜日(11月2日)。それまでの月〜金の平日はお休み期間である。1か月で4日しか運用されないキハ532形は、常総線を走るキハ100形(元・国鉄キハ35系、やはり運転日は限定的)とともに、今後も、関東鉄道の人気車両として君臨するのであろう。
 ちなみに、竜ヶ崎駅の脇には、関東鉄道のバスの車庫である「関東鉄道竜ヶ崎営業所」がある。鉄道の車両基地とバスの車庫の両方が設けられている竜ヶ崎駅は、関東鉄道の旅客輸送サービスにおける拠点の1つとなっているようである。

◆レールブロック◆
 コンクリートに溝を掘り、レール(金属板?)を入れたものを発見した[-7-]。いったい何なのであろうか。真っ先に想像できたものは、踏切の、車が走行する部分の渡り板であったが、それが正しいのかどうかは分からない。金属の錆び方からして、新しいものに取って代わられた「古い方」ではないかと予想するが、こんなところに積み上げておいて、この後はどうするつもりなのだろう。
◆一体感のある車両基地◆
 キハ532形は、その車体の一部が屋根の中に入っていたが、一方、1両のキハ2000形が屋外に出ていた[-8-]。車両基地や留置線に停車している車両というのは、間近に近づけそうで近づけないものだが、竜ヶ崎駅に隣接する車両基地では、このキハ2000形にかなり近いところまで寄ることができた。それもそのはず、歩行者や車が通る道路と基地の敷地内は、アスファルトか砂利かという程度の差しかなく、仰々しい柵や門は存在していないのである[-9-]。周りの風景との一体感がなんとも強い車両基地である。
 そして、錆びついたトタン製の簡易な屋根(6番の写真を参照)は、昭和の雰囲気を色濃く残した構造物であると言える。いつごろからあるものなのかは定かではないが、1962年に撮影されたという写真では、既にその存在が確認できる。頑丈な作りの建物ならともかく、板1枚かというようなトタン製の簡易な作りで、よくぞここまで(それこそ、あの大地震をも乗り越えて)使われ続けているものだ、と感心してしまう。
 ◆竜ヶ崎駅◆
入地駅のことを考えると、やはりその差は大きい。竜ヶ崎駅のことである[-10-]。まだ駅舎の中には入っていないが、並べられたベンチや改札口、駅員、そして窓口の存在などが確認できる。やはりこちらの方が”駅”らしい。
 竜ヶ崎市の代表駅というのは、本当は佐貫駅ではなく、この竜ヶ崎駅なのだが(時刻表の路線図でもそう案内されている)、実質上は佐貫駅が代表駅として機能している。列車の本数などの利便性で水をあけられていることが理由の1つだが、何より、東京・水戸方面への輸送が完全に常磐線に一任されているからということが大きい。竜ヶ崎駅が最寄り駅だという人でも、佐貫駅まで自家用車で行きつけるという人は何人もいることであろう。
 しかし、日中でも毎時2本という列車本数、そして常磐線の列車との接続を意識した時刻設定もあり、竜ヶ崎線は、それほど不便な路線とは言えない。通勤・通学でも、行楽でも、竜ヶ崎線⇔常磐線という連絡による移動は、十分に実用性のあるものとなっている。たとえ佐貫駅のサポート役であっても、竜ヶ崎駅の存在意義は大きい。

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◆駅名と市名の関係◆
 今、私がいるところは、茨城県龍ケ崎市である。読みはりゅうがさき。一方、駅名は「竜ヶ崎」である[-11-]。読みはりゅうがさき。このように、読みは同じ「りゅうがさき」でありながら、地名と駅名の字が一致しないという状況となっている。
 地名と駅名の不一致は、それほど珍しいものではない。過去の例では、東海道本線の米原(まいばら)駅があったところは、米原(まいはら)町であった。米原町は後に周辺自治体との合併を行い、米原(まいばら)市となった。また、中央本線の小淵沢(こぶちざわ)駅があるところは、山梨県北杜市小淵沢(こぶちさわ)町である。
 やや珍しいパターンとしては、因美線の智頭駅が挙げられる。駅名は智頭(ちず)だが、所在地は鳥取県智頭(ちづ)町である。 漢字も読みも一緒でありながら、ひらがなでの読みの表記の仕方が違うのである。
 更なるパターンを探してみると、品川駅は、東京都に品川区という区がありながら、所在地は港区となっている、というものがある。地名と駅名の関係には、いろいろと奥深く、面白い裏があるようである。
◆駅舎内を見る◆
 「駅舎」と呼ぶに十分なコンクリート造りの建物があり、そしてベンチ、自動販売機、待合室、窓口、自動券売機、駅員などが見られる駅舎内。1面1線の構造は同じでも、関連施設の充実度が入地駅とは段違いである[-12-]
 改札は列車別制となっていて、列車が停車していないときは、改札口に金属製の棒が渡され、ホームに入ることは不可能な状態になっている[-13-]。しかし、佐貫からの列車が到着すると、列車から降りてきた人たちや、逆に佐貫行きの列車に乗ろうとする人たちで、改札口は一時的に人でにぎわう。
 なお、入地駅では、ICカードの入場・出場用の簡易改札機はそれぞれ1台であったが、竜ヶ崎駅ではそれぞれ2台の設置となっている。
 竜ヶ崎線ではJR線との連絡運輸を行っているようで、自動券売機で、JR線の1320円区間までの各駅への通しの乗車券を購入することができる[-14-]。1320円区間には、県庁所在地の水戸や、山手線内の各駅が含まれる。もちろん、竜ヶ崎線ではSuicaやPASMOの利用ができるので、紙の切符でもICカードでも、佐貫駅における竜ヶ崎線から常磐線への乗り換えが便利なようである。
 待合室の中に入ってみた[-15-] [-16-]。プラスチック製の椅子が並べられている空間である。「扉が開いてから席をお立ち願います」という、バスの乗り方についての案内のポスターがあるのは、関東鉄道がバスの営業も行う会社で、バスの乗り場が駅のすぐそこにあるからなのだろうか。
 

◆古くからの街並み
 龍ケ崎市にはニュータウンとして開発された地域もあるが、竜ヶ崎駅周辺に広がる市街地は、旧来からの市街地である。竜ヶ崎駅は、その市街地の端っこに位置している。駅前には、市街地への入り口とも言える交差点がある[-17-]
 駅のほど近くから、長さ約1.8qに及ぶ商店街が始まる[-18-]。ここが旧来からの市街地であることをもっともよく象徴しているものと言え、道の左右に、様々な店が展開する。竜ヶ崎駅のほど近くにも大型のスーパーがあり、また新規に開発されたニュータウンの方に様々な商業施設があるという現状では、こういった商店街において営業する個人商店レベルの店は、なかなか経営も厳しいのが現実であろう。
 そんな商店街には、(軽蔑の意味合いはなしに)時代に取り残された感が漂う。ある店の扉には、かつては切符の販売などをしていたのであろうか、「全国JR全線〜JR東日本提携店」というシールが貼られていたが、そこにあった車両の絵は、シャークノーズの200系であった[-19-]
 細帯の入った緑帯にシャークノーズの先頭車両というと、東北新幹線を代表する車両として輝き、2両の2階建て車両を組み込んでいた、200系のH編成が思い出される。マルスと思しき機械などは見当たらず、恐らく切符の販売も既に終了してしまったのであろうが、そんな”廃業した店”と”200系H編成”が重ね合わされると、やはり、どこか前時代的な状態で時が止まってしまったような感を受ける。
 商店街の中に、八坂神社という神社への入り口があった[-20-]。何もない平穏な日曜日ともなれば、当然、ここを訪れる人などいないわけだが、そういえば、年が明けての1月1日まで、あと2か月ちょっとしかない。


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◆夕刻の龍ケ崎市◆
 色々と歩き回った果てに龍ケ崎市役所に来たころには、すっかり夕方になってしまっていた[-25-]。10月も末。時間が経過するごとにどんどん肌寒くなっていることは、身をもって実感している。
 その市役所の敷地の一角には、枝垂桜が植樹されていた[-26-]。これから紅葉が・・・という時期であるが、そこにあった木が桜であったとわかると、これらの桜が咲き誇る春の日が楽しみになってくる。高校から大学へ、という大きな変化が自分自身に起こるからということもあるのだろうが、来年の春は、何だか普段よりも楽しみにしておけるような気がする。
◆闇近き竜ヶ崎駅◆
 竜ヶ崎駅に戻ってきた。市役所の辺りから竜ヶ崎駅に戻るまでのわずかな時間でも、周囲はたしかに暗くなる。駅舎内やホームの蛍光灯、時刻表にも明かりが灯り、夜を迎える準備がされていく[-27-]
 佐貫からの列車が到着するという頃になると、駅員が改札口を開放し、佐貫行きの列車に乗車する人たちは、ホームへ入ることができるようになる[-28-]。これから一緒に乗車することになる人たちが他にも何人かいるわけだが、この中に入地駅で降りるという人は誰もいないであろう。私自身もそうであるが、これらの人が皆、佐貫が目的地であることは、恐らく間違いない。
 竜ヶ崎駅には、屋根から吊り下げるタイプのきちんとした駅名標がある[-29-]。竜ヶ崎、入地、佐貫の3駅がある竜ヶ崎線だが、竜ヶ崎・佐貫は端部の駅であり、駅名標の「隣の駅」は、片方しか記されない。竜ヶ崎線の駅で、駅名標の左右両方に駅名を記することが許されているのは、入地駅だけなのである。その点は入地駅が唯一であり、竜ヶ崎駅、そして佐貫駅にも真似をすることはできない。
 17:08、佐貫からの列車が到着する[-30-]。この折り返しの列車である17:10発の佐貫行きの列車に乗り、佐貫へと戻っていく。
 たった2分の停車時間で佐貫へと折り返すキハ2000形。折り返しまでの時間が短ければ短いほど、ピストン輸送をしているのだという感じが強くなる。この後の夜も、深夜も、1両のキハ2000形がひたすら竜ヶ崎線を往復し、単行列車ならではの走行音を奏でながら、1日の終わりへ向けて走っていく。                  <終>


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