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 15:03発の八戸線の久慈行きの普通列車に乗るのですが、はやて30号が八戸に遅れて到着したため、時刻上はもう間に合いません。「たぶん待ってくれているとは思うが・・・」と、八戸線の普通列車がはやて30号との接続をとるために待ってくれていることを祈りながら、やや駆け足で在来線乗り場の方へと向かうと、駅員が「八戸線をご利用される方は云々」と呼びかけている姿を見かけました。どうやら待ってくれているようですね。

 これから、15:03発の久慈行きの普通列車[①]に乗車し、八戸〜久慈を結ぶ、八戸線の全線乗車を果たします。発車時刻を遅らせてまではやて30号からの客を待っているというのに、まだ発車しないのをいいことに、ホーム上で写真をあれこれと撮るのは憚られたので、この発車標の写真だけ撮って、さっさと乗り込みました。車両はキハ40系でした。

 車内は混雑していて、座席は全て埋まっていました。ただ、八戸駅よりも八戸市の市街地に近いところにある、2つ隣の本八戸駅で多くの人が降りて空席ができるはずだろうと予想し、とりあえずデッキで立つことにして、本八戸到着を待つことにしました。

 乗車した車両は両運転台のキハ40形でしたが、運転台がある側には、さすがに仕切りがあって、運転台の機器などに触れられないようになっていました。しかし、助士席側は特に仕切りなどもなく、助士席に座ることさえできるような状態になっていました[②]。もっとも、そういうことをされないように、「この座席は業務用です。客室内をご利用ください。」と書かれたシールが貼られていましたが。

 八戸を出た列車が最初に停車するのは、隣の駅、長苗代駅[③]。八戸市というのは、豪雪地帯である青森県にありながら、八甲田山の存在などの影響により、冬でも雪はそれほど降らず、晴れる日が多いという特徴があります。ところが、外を見てみると、八戸市らしからぬ大雪が降っていました。八戸市らしくはありませんが、青森県らしくはありますね。

 長苗代の次は本八戸です[④]。1面2線で、非電化ではありますが、高架駅になっています。人口約24万人を擁する八戸市の中心部に近いのは、東北新幹線が通る八戸駅ではなく、八戸線の本八戸駅です。新幹線が通る方の駅は街の中心部から外れていて、そこから在来線に乗り換えて街の中心部へ向かう、という構図は、新青森駅と青森駅の関係に似ていると言えるかもしれません。

 私の予想通り、本八戸で多くの人が下車し、車内は一気に空席だらけになり、本八戸からは進行方向左側の席に座りました。八戸駅へと向かわない、下り列車だからでしょうけれども、本八戸から乗る人はあまりいませんでしたね。

 鮫からは先は本数もぐっと減り、ローカル線としての風合いをより強めます。気がつけば、あの大雪は止んでいて、列車は、闇迫る夕暮れの海が見えるようなところを走っていました[⑤]。八戸線は基本的に海沿いを走る路線で、車内からは幾度となく海が見られます。

 階上駅で、上りの普通列車と列車交換[⑥]。もっとも、「普通列車」と言っても、写真の通り、ただのキハ40系というわけではありません。交換相手の普通列車は、ジョイフルトレイン「リゾートうみねこ」で運転されていました。土曜・休日を中心に、1日1往復、八戸線の八戸〜久慈の全区間を普通列車として走っています。私も、できればあれに乗りたかったのですが、下りの久慈行きで走るときは、八戸10:16発の列車に充当されるので・・・。

 16:18ごろに、定刻から4分ほど遅れて到着した陸中八木駅は、駅のすぐ裏が海になっているという、とても海に近いところにある駅です[⑦]。その海への近さゆえに、先の震災では、この陸中八木駅を含む宿戸〜陸中中野間では、甚大な被害が発生しました。震災の発生から約1年の時を経て、八戸線は全線で復旧。陸中八木駅も、元あった場所で再構築されました。

 薄暮の八戸線を下っていく普通列車。本八戸駅で多くの人を降ろし、もうそこで車内は結構空きましたが、本八戸で降りなかった人たちも、駅に停車するごとに1人、また1人と降りていき、車内もすっかりがらがらになりました[⑧]。人の話し声もなく、ただ一定の周期で奏でられる走行音と、車内に響き渡るエンジン音。何か退屈、でも何か良い気分。ああ、あくび、あくび。

 陸中夏井駅は、最後の途中停車駅です[⑨]。そして、列車は無事に終点の久慈駅に到着しました[⑩]。雪が全くないわけではありませんが、その量は、青森や五所川原のそれと比べれば、比較にもならないほどの少なさです。北東北にしては降雪量の少ない、岩手県の沿岸部(久慈市)にやってきたことを、そういうところから実感することもできます。
















 今日の宿として、ここ久慈駅の近くのホテルを予約してあるのですが、今日の移動はまだ終わりません。これから三陸鉄道の北リアス線に乗車し、現在の終着駅である田野畑駅へと向かいます[①]。跨線橋を渡って三陸鉄道のホームへ向かいます。

 私は、JR全線乗車は昔からの目標としていて、強い執着心も抱いていますが、逆に私鉄・第三セクターにはほとんど興味がありません。それらの全会社・全路線の乗車なんてする気はさらさらないです。JRの路線・車両に関する知識はそれなりにあっても、私鉄・第三セクターの路線や車両に関する知識はほとんどなく、ひょっとしたら、特に鉄道に興味がない人とそんなに変わらないかもしれません。

 そんな私が今回なぜ、JR線同士の橋渡しのためや、JR線直通の特急での素通りでではなく、純粋に第三セクターの三陸鉄道の北リアス線に乗る(田野畑では他の路線との接続はありません)のか?

 実際、今回の旅の計画当初は、この三陸鉄道北リアス線や津軽鉄道のストーブ列車(これは結局乗れませんでしたね)に乗るつもりはありませんでした。しかし、こういう旅を計画しているという話を某氏に話してみたところ、「せっかくそっち(青森や岩手)の方へ行くなら、三陸鉄道やストーブ列車に乗ってきたらどうか」と言われました。なるほど一理ある、まあ乗ってきても良いかな、と。

 そういうわけで、まあ私としても三陸鉄道に運賃というお布施をするつもりで(口が悪くてすみませんね)乗ってくるのも悪くはないか、と考え、今回、三陸鉄道の北リアス線に乗車することになりました。

 17:05発の田野畑行きは、写真や映像でよく見る車両でした[②]。36形という車両らしいです。「写真や映像でよく見る車両」とは言ったものの、実際に車内に入ってみると・・・、たまげました。何せ、普通列車だというのに、特急型車両で使われる上等な座席が並んでいたのですから[③]

 しかも、この座席、どこかで見たことがあるような気が強くしました。そう、どこかで・・・。この座席、勝田車両センターに所属していた(つい先日廃車回送を実施)波動輸送用車両、485系K60編成の座席と同一品のようです。見るからに、というか全く同じです。

 普通列車で使われる車両だというのに、特急型車両で使われる座席が並んでいるとは、なんと贅沢な車両なのでしょうか(もっとも。三陸鉄道が所有する全ての36形車両が、この座席を持っているわけではありません)。しかし、いくら座席が特急型車両のそれと言っても、あくまでもこの車両(36形)は普通列車用の車両です。リクライニング機構は殺してあるのでは?なんて思いましたが、なんと生きていました[④]

 この種類の座席の最大の特徴は、座席回転の起動が、座席脇のペダルを踏むことによってされるのではなく、2つの座席の間にある、レバーを引いてされるという点です[⑤]。なぜそんな特殊仕様なのかは分かりませんが、1つ言えるのは、ペダルタイプと違い、このようなレバータイプだと、自分が座席に座ったままでも座席を回転させることができる、ということ。

 列車は久慈が始発なので、整理券を取る必要はなかったのですが、一応取ってみました。券面には「笑顔をつなぐ、ずっと・・・。」の文字が[⑥]。三陸鉄道は今も昔も、地域住民の足となって人と人とを繋いで、それ即ち、人の笑顔と人の笑顔を結び、繋いできました。北リアス線も徐々に運転区間が増えてきて、運休区間は小本〜田野畑を残すのみ(2014年4月運転再開予定)となりました。笑顔が”線”として結ばれるまで、あと少しです。

 ・・・と、あれこれと前置きが長かったのですが・・・、なにせ、もう陽が沈んでしまったので、外は真っ暗。車窓にもこれというものがなく、またトンネルが結構あります。よく分からないうちに駅に着いて、発車して、着いて。

 17:23に到着するのは野田玉川駅[⑦]。三陸鉄道曰く、「駅のホームからは太平洋から昇る日の出を拝むことができます。」とのこと。久慈〜田野畑間の運転再開を知らせるポスターが待合室の窓に貼られていましたが、それにも「笑顔をつなぐ、ずっと・・・。」の言葉がありました。

 そして17:48に、列車は終点の田野畑に到着しました[⑧]。途中、部活の帰りであろう高校生が乗車していた区間もありましたが、皆、田野畑に着くまでに降りてしまい、田野畑で降りた人はごく数人でした。終着駅にしては寂しい下車数でしたが、あくまでも不通区間が存在するがための、仮の終着駅ですからね。それも仕方がないことでしょう。













 先の震災で大きな被害を受けた北リアス線ですが、徐々に運転区間が増えていき、現在でも不通なのは、田野畑〜小本間のみです。現在でもなお列車が走っていない区間があるというわけですが、田野畑駅にあった運賃表は、不通区間も含めて、全区間分が掲載されていました。島越駅は北リアス線で唯一、全く営業・機能していない駅ですが、テープなどで隠されることもなく、しっかりと運賃表にその名を示していました[①]

 田野畑駅周辺も、津波が到達した場所の1つです。駅の施設は大きな被害を免れましたが、駅周辺は壊滅し、津波は駅舎の手前までやってきました。駅前には、「津波到達地」の文字が刻まれた記念碑が建てられています[②]

 駅舎は売店・食堂などを擁していて、そのためか、なかなか立派なものです[③]。「カンパネルラ田野畑」という文字が見えますが、カンパネルラとは、童話・銀河鉄道の夜に登場する人物の名前。田野畑駅はニックネームとして、それを由来とした、「カンパネルラ田野畑」という名前を持っています。

 今日も何度かひどい天気に見舞われましたが、田野畑駅のある岩手県田野畑村は岩手県沿岸部にあり、降雪は少なく、冬でも晴れる日が多いというところです。気温こそかなり低く、なかなか寒いなと思わせるほどのものでしたが、地面の雪は少なく、そして空を見上げてみると、そこには雲1つない快晴がくれた、満天の星空が広がっていました[④]

 周りに大きな光がなく、冬場で空気が澄んでいたということもあってでしょうが、星空はかなり鮮やかに、綺麗に見えました。田野畑駅というのは、正直なところ、特にこれというものがない駅ではありましたが、この綺麗な星空を眺められただけでも、今日、三陸鉄道の列車に乗って、田野畑までやってきて良かったな、と思います。

 明日はまた、青森県へと戻ります。雪にまみれたり、大雪に遭遇することもありましょう。この満天の星空さえ眺められる快晴は、今回の旅の中でも数少ない、一時的な晴れや偶然の晴れではない本当の晴れ・・・、”良い天気”です。



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