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※各画像はクリックすると拡大します。













 2013年1月4日の快速リゾートしらかみ2号はくまげら編成でした[①]。リゾートしらかみ号で使われるキハ40系改造車の編成は、青池・くまげら・ブナの3編成がありますが、3往復あるリゾートしらかみ号の各列車と、各編成は常に一緒の組み合わせになるようにはなっていません。例えばこの2号も、2013年2月中は青池編成が充てられ、3月中はブナ編成が充てられます。なお、各編成の充当予定はJR東日本秋田支社のサイトで見られます。

 HB-E300系でもそうでしたが、いくら座席が特急型車両の普通車相当のものと言っても、”快速”という種別ゆえか、背もたれ上部の布カバーはありませんでした[②]。異常に広い足元もHB-E300系に同様。ただし、キハ40系であるこのくまげら編成(&ブナ編成)には、HB-E300系にはある、LEDの情報表示機や天井の液晶画面がありません[③]。LEDの情報表示機があるべきところには、禁煙マークが居座るだけ・・・。

 川部を出ると板柳、陸奥鶴田と停車して、五所川原に到着します[④]。昨日の朝、ここから「乗る人」として五所川原駅を利用しましたが、今日はリゾートしらかみ号で「通り過ぎる人」として訪れました。同じ駅であっても、立場が違うと、何となく気持ちが全く変わってきます。皆さんも、例えば普段利用している最寄駅を、特急などで”通過”してみたら、なんだか変な感じがしたとかいうこと、ありませんか?

 五所川原を発車して加速していく最中、津軽鉄道の車両が見えました[⑤]。あけぼの号の遅延がなければ、昨日、五所川原のホテルをチェックアウトしたあと、津軽鉄道のストーブ列車に乗りに行っていたのですが・・・、まあ、結果的には残念ながらできませんでした。津軽鉄道に乗るだけならいつでもまた来れば良いですが、ストーブ列車に乗るとなると、また次の冬を待たなければならないのが・・・。

 リゾートしらかみ2号では、五所川原〜鰺ヶ沢間において、先頭の4号車の展望スペースで津軽三味線の生演奏が行われます[⑥]。通路で、演奏中の人の写真を撮っている人の姿が写っていますが、この津軽三味線の生演奏が行われるころになると、他の車両からも、見学者が4号車に流れてきます。かくいう私もその一人ではあるのですが。

 なお、どうにも4号車(2号の場合は)が混雑していて4号車に行けそうになかったり、あるいはわざわざ行くのは面倒くさい(特に1号車の人ならそう思っても仕方がない)という場合でも大丈夫。津軽三味線の生演奏と演奏者の語りは、車内放送が流れるときと同じように、各車両のスピーカーから流れます。ですから、他の車両にいながらでも、生演奏と語りを聴くことができます。

 防風柵のようなものが見えました[⑦]。しかし、線路からあまりにも離れたところに設置されていて、これでは鉄道の防風柵としての役割を果たせるようには到底思えません。明らかに、車が走る道路の脇に設置されていましたが・・・。で、こう気になるものを見つけたら、帰宅してから(その場で、ではないのです)調べてみるのが私の習性。

 鉄道に防風柵があるように、道路にも防雪柵というものがあるのですね。これを道路の脇に設置することによって、吹雪などによる、雪の路面への吹き溜まりを防ぐということらしいです。更に言うと、防雪柵には3つの種類があるとか。

 五能線の内陸部を走ってきましたが、鰺ヶ沢駅の手前辺りまで至ると、ついに海が見えました[⑧]。冬の日本海らしい、荒波の立つ状態でしたが、夏の晴れた日なら、「さざなみ」が押し寄せるような、穏やかな状態も見られるのでしょうか。車窓に展開するこの荒れた日本海は、絶景かもしれませんし、人々を惹き付ける景色ではあるかもしれませんが、美しいのかというと、?です。海は夏でこそ、という先入観のせいかもしれませんが。

 そして、列車は鰺ヶ沢駅に到着しました[⑨]。人口約1万800人鰺ヶ沢町の代表駅で、ここを始終着とする列車も多数設定されています。

 本来ならば停車時間は2分なのですが、2分を経過しても発車する気配がありません。嫌な予感がしてきますね、ええ。案の定、「この先の区間が強風であるため、列車は鰺ヶ沢でしばらく運転を見合わせる」という放送が入りました。八戸線の列車内で五能線の運行情報を確認していたときは、五能線についての情報は何もなく、リゾートしらかみ2号が運休するなどという情報もなかったので、このまま順調に行けるかと思っていましたが・・・。

 もっとも、こちらとしては、五能線が終日一切の乱れもなく運転される可能性は極めて低いと最初から思っていたので、別に運転見合わせだと言われても驚きはしませんでしたが。ただ、実はリゾートしらかみ2号は、川部に到着する時点で、既に定刻より15分は遅れていました。それに運転見合わせをしているあいだ分の遅れが加算されるとなると、この先の乗り継ぎに影響が出てきてしまいます。

 結局、その数分後、「運転を再開するが(3つ先の)北金ヶ沢まで徐行する」という放送が入り、徐行運転によって進行することになりました。この徐行運転をしている間に、遅れがどれだけ拡大するのか。線形は良くなく、ずっと単線なので、大した回復運転も望めませんから、「どれだけ遅れの拡大を防げるのか」ということが私の関心事です。今回、乗車は追分までですが、追分から乗る予定の男鹿線の列車に間に合うのかどうか?

 ゆっくり、のんびりと、そろそろと歩くかのように走る列車。空を見てみると、もう青空も見えるのですが[⑩]、風はたしかに強い・・・。草木が大きく揺れる姿を見ていると、外界の厳しい状況が窺い知れます。


















 鰺ヶ沢から先は、いよいよ本格的に海に近いところを走行する区間が多くなります。このような車窓[①]が見られることも非常に多くなってきます。そしてそれに伴って、車窓(主に、こういった日本海の風)をカメラで撮影する人の姿が見られるようになってきました。乗っている人のほとんどが車窓に興味と関心を持ち、写真を撮るというのは、やはり”旅行者”の利用が多い、リゾート列車らしいこととも言えましょう。

 お腹がすいてきたので、そろそろ食事をすることに。リゾートしらかみ号は快速列車と言えども、車内販売が行われます。せっかくリゾートしらかみ号に乗ったわけですから、その車内販売で何か弁当などを買っても良かったところですが、今回は新青森駅の売店で、事前にこの焼き鯖寿司の弁当を買っておきました[②]。「あんましおいしくないのでは・・・」と思っていましたが、予想に反して、なかなかおいしかったです。

 いったいどのような吹雪に見舞われたというのでしょうか。窓にへばりついた雪が氷結して何だか凄いことになっている、というような家が何軒も見られました[③]。もはや窓の開閉に支障をきたすのではないか、というような状態になっていました。いかに激しい吹雪があったのかが想像されるところですが、それが1年度の冬の間に何度もあるわけですから、たまったものではありませんね。

 深浦は、鯵ヶ沢を出たあと、最初に停車する駅です[⑤]。深浦駅を含む、岩館〜深浦〜鰺ヶ沢の区間は、ただでさえ本数の少ない五能線の中でも特に本数が少ない区間で、深浦から出る定期列車は、1日に上下それぞれ5本ずつしかありません。また下りでは、9:43発の列車の次は17:07発の列車で、7時間24分も間が空きます。ここで青森行きのリゾートしらかみ1号と列車交換を行いました。

 うとうとしていたら、いつの間にか雪はやんで、空も青空が見られ、太陽も出ていました[⑥]。太陽の光が海面にきらきらと反射するこの光景こそ、海が最も海がらしく、そして綺麗であるときだと思います(写真は、まだ海面に雲の影がかかっているところが多いですが・・・)。

 この晴れた天気も、時間が経つにつれてどんどん磨きがかかり、雲の隙間から太陽が出ているかなという程度の中途半端なものから、車内に日差しが燦々と差し込む、かなり本格的な晴れ模様になりました[⑦]。雪のほとんど降らない茨城県の住民という身分であり、「せっかく冬に北国に来ているなら、雪が降っていなければ」と、旅先で雪が降ることを望んでいましたが、もうここに至るまでに何度も、雪にも、吹雪にも見舞われてきました。  

 新幹線や航空機の発達により、どうにも「距離」というものを感じにくくなってきたようにも思います。今や青森でさえ、東京から3時間30分もかからないで手に届くという状況です。昔なら、特急はつかり号で8時間以上はかかったところです。その所要時間に「距離」がありました。

 今、私はそれこそ、この天候の大きな違いに「距離」を感じています。東京・茨城には、道でも田圃でも、雪はまずありません。一度に大量に降らない限りは、まず残りもしません。では、秋田や青森ではどうなのか。言うまでもなく、そこらじゅうに雪があります。降った雪は残るのが当たり前。

 また、東京・茨城では、冬とは基本的に晴れるもの。雪はもちろん、雨でさえもそんなに降りはしません。だいたいの日は晴れで、昇りゆく朝陽の下、肌にピリッと突き刺す朝の寒さを感じるのが日常のことです。一方、秋田や青森では、冬とは基本的に「雪が降るもの」。天気予報を見ていても、明らかに雪が降る日の方が晴れる日よりも多くなっています。

 では、つまり何が言いたいのか。時間で距離を感じられなくなっても、天候の違いには、距離を感じさせるだけのものがあるということです。冬の北国では、周りを取り巻くものは雪で、晴れはそんなにあるわけではないもの。今、こうしてリゾートしらかみ号に乗りながら、久々に晴れ間に出会って、冬の北国での晴れの希少性というものを感じています。そういえばこっちに来て、雪が降って当たり前だというように、感覚がすり替えられている・・・。

 そんなことに気がついて、そして私はそこに「距離」を感じました。ああそうだ、実はここは東京から700qやそれ以上に離れたところなのだ、と。所要時間の短縮で、日本が縮んだとか小さくなったとか、そんなことを言っても、実は大きさを測っている定規も一緒に小さくなったんだろ、と。所要時間で距離感を狂わせても、事実が見せる「距離」の現実はどうにも隠しようがないことなのです。

 岩舘で列車交換。交換相手の列車が進んでいく先の線路は、雪によって完全に覆いつくされていました[⑧]。それだけの雪が降っていたということでもありますが、ある程度の列車の本数があれば、こうもすっぽりと覆われることはないでしょうから、これは同時に五能線の本数の少なさを体現しているとも言えそうなところです。

 いつの間にやら、再び天気は悪化していました。川を渡っていきますが、一部は凍結していました[⑨]。この川を渡ると、もう間もなく能代に到着します。能代は、五能線の起点・東能代の隣の駅です。

 そして列車は能代に到着しました[⑩]。能代市は人口約5万7000人の街で、奥羽本線と五能線が接続し、トワイライトエクスプレス号を除く全旅客列車が停車する、東能代駅が隣にありますが、より市の中心部に近いのは能代駅の方です。そのため、乗換駅としての性格が強い東能代駅と本家の能代駅を結ぶ、1区間のみの運転の列車が多数設定されています。

 「バスケの街」とありますが、能代市にある能代工業高校は、男子バスケットボール部が全国大会で50回以上の優勝をしています。そのため、能代市も自らを「バスケの街」と称しています。写真のゴールは実用できるもので、リゾートしらかみ1号・3号の乗客は、能代駅に停車している最中にフリースローに挑戦でき、成功すると記念品がもらえます。













 能代の次は東能代で、その手前で奥羽本線の線路が進行方向右手に現れ、合流します[①]。川部から始まった五能線への乗車が、もう間もなく終了します。川部も東能代も、ともに奥羽本線と接続する駅。五能線は、起点駅と終点駅で接続する路線が同一という路線です。

 東能代〜川部間は、奥羽本線経由なら98qですが、五能線経由では147.2qと非常に遠回り。当然、所要時間は奥羽本線経由よりも圧倒的に長く、そのうえ本数もかなり少なく、また運休しやすい。奥羽本線でも移動できる区間を、わざわざ積極的に五能線を利用する理由はないものですが、ずっと内陸を走っていく奥羽本線に対して、五能線は海沿いを走りますから、より良い車窓を求めるのなら、それは選ぶ理由になりうるかもしれません。

 そして列車は東能代に到着[②]。これをもって、全長147.2qの五能線の全線乗車が完了しました。列車の大幅な遅延こそ発生しましたが、運転中止に遭うことなく、なんとか五能線を全線乗車することができました。大湊線にしてもそうでしたが、冬季に特に運休が多発する路線を、冬季の旅程に組み込むというのは、今考えると、結構な賭けですよね。

 もう途中から「今の遅れはどれくらいなのか」というのを気にするのをやめていたのですが、ここで遅れの程度を確認してみました。発車標には、12:22が発車時刻として表示されていますが、時計が示しているのは13:17[③]。約55分の遅れというところですね。もうこれを見る前から分かっていたことですが、残念ながら、乗り継ぐ予定だった、追分13:42発の男鹿線の列車には間に合いません。東能代〜追分は、最短でも40分程度はかかります。

 東能代では列車の進行方向が変わるため、座席を回転させます。川部で乗ったときは右側が壁でしたが、今は左側が壁になっていますね[④]。リゾートしらかみ号のうち、秋田〜青森間を走る2往復は、東能代、川部、弘前でそれぞれ進行方向を変え、計3回の方向転換を行います。1つの列車が途中で3回も進行方向を変えるというのは、なかなか珍しいものでしょう。

 電化路線である奥羽本線の架線の下を走って、1時間7分遅れの14:10に、下車駅の追分に到着しました[⑤]。男鹿線と接続する駅ではありますが、追分で降りたのは私1人だけでした。追分の次は終点の秋田なので、ここでも降りなかった人は皆、秋田まで乗るということになります。乗ること自体が目的になるリゾート列車ですから、「男鹿へ行くために追分まで乗ろう」というような、普通の移動手段として利用する人はあまりいないのでしょう。



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