
北陸本線・信越本線・羽越本線・奥羽本線4001レ 寝台特急日本海号 (EF81形+24系)

富山(22:20)〜青森(8:45)
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へたくそな流し撮りだ① |

旅情を誘う② |

A寝台車客室内③ |

我が寝台④ |

冷水器は稼働中⑤ |

テールマークを拝む⑥ |

直江津停車中⑦ |

そろそろ就寝するか⑧ |
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富山駅6番線に、日本海号が22:18の定刻に入線してきました[①]。この2011年12月24日の前後は、日本海側はだいぶ荒れた天気となっていて、12月22日大阪発の下り日本海号は、その荒天のために運休となっていました。そのため、もしかしたら自分が乗る24日発も運休するのではないかと思っていて、この旅行中、こまめに携帯電話でJR東日本の列車運行情報のページにアクセスし、無事に運転されるかどうか調べていました。
旧日本海1・4号はJR西日本の24系で運転され、旧2・3号はJR東日本の24系で運転されていました。2008年3月改正で、日本海号は2往復から1往復となりましたが、それ以降は、JR東日本の24系によって、旧1・4号のスジで運転されるようになりました。JR西日本の寝台客車は、方向幕が黒地であることが特徴でしたが、JR東日本の寝台客車は白地の、昔からの国鉄仕様です[②]。
では列車に乗り込みましょう。今回乗るのは、10号車のA寝台車です。この開放式A寝台車[③]は、今となっては日本海号ときたぐに号にしか連結されておらず、客車列車に限定すれば日本海号のみとなっています。通路が中央にあり、その左右にレール方向に設置された寝台が上下2段で並ぶ・・・、オロネ24・プルマン式寝台車です。
今日の宿となるのは、5番・下段です[④]。まぁ・・・、正直、個室でもない開放式の寝台車で、スリッパや洗面用具のサービスもなく、ちょっとばかしベッドの幅が広いからといって、10500円もの寝台料金を取られるのはたまったものではありません。もっとも、私は鉄道が好きだから、それでも構わないと思っていられるんですが、一般的な視点で見たらただのぼったくりですよ。
そうこうしているうちに、列車は22:20の定刻に富山を発車しました。既におやすみ放送が終わったあとだったようで、富山を発車しても、車内放送はありませんでした。自分の寝台でしばらく荷物の整理などをしていると、車掌氏がやってきて、検札が行われました。富山→直江津の乗車券と東北応援パス、そして寝台券を提示します。東北応援パスがあるので、何か特別な反応はないかなと期待しましたが、特に何もなく検札は終了。
この開放式A寝台車は、上段は小さな小窓しかないんですが、下段には大きな窓があり、そしてこれを独り占めできます。下段利用者の特権ともいうべきものです。そのため、私は何としてもA寝台車の”下段”を確保したいと思っていました。もっとも、背に腹は代えられないので、A下段が取れぬならA上段、B下段、B上段の順で寝台券の確保を試みようと思っていましたが、まぁ、希望通りにA下段が取れて良かったです。
荷物の整理を終えたら、車窓を眺めながらコーヒーを飲みつつ、ちょっとのお菓子を食べました。列車の走行音以外には何の音もしないA寝台車で、たった1枚のカーテンで作られた自分だけの空間に佇み、流れゆく夜景を見る。その右手には缶コーヒーが握りしめられ、時々口に入れるお菓子は、口内に甘い味を広がらせ、1人旅をする自分の心をなんだか慰めるようだ・・・、という、至福のひとときでした。
そんな至福のひとときを終えた後は、歯を磨くために洗面所へ向かいました。洗面所付近にある冷水器[⑤]はかなり古臭いものですが、きちんと稼働していて水が出ますし、飲めます。その右側には、折り畳み式の紙コップも健在です。
中間に緩急車が連結される場合は(常時入っているんですかね?よく知らないんですが)、このように、貫通扉のテールマークを間近で拝むことができます[⑥]。青地に日本海の荒波が白で描かれているだけ、という、実にシンプルなテールマークですが、味があります。
23:50、直江津に到着です[⑦]。東北応援パスの有効範囲内だけで乗ろうとするなら、ここ直江津から乗車することになりましたが、私は今回、別に乗車券を購入して、富山まで足を延ばし、そこから乗りました。富山から乗る場合と直江津から乗る場合での乗車時間の差は1時間30分程度にすぎませんが、ちょっとでも長く乗りたいと思っていたので、余計なお金はかかりましたが、これでいいんです。
直江津では7分の停車時間があるので、先頭の機関車を撮影しに行くことも可能でしたが、なんだか面倒くさかったので、そうしませんでした(また、「青森で撮れば良いだろう」と思っていた)。一応ホームには出て、10号車の乗車口付近で適当に写真撮影はしました。
発車時刻が近づいてきたので、自分の寝台に戻りましたが、23:57の発車時刻となっても発車しませんでした。どうしたものか、と思っていると、115系の普通列車が到着するところが見えました。たぶん、遅延していた信越本線の最終の普通列車でも待っていたんだろうと思います。車内放送がない時間帯なので、当然、発車時刻になっても発車しない理由が放送されることはなかったので、それが正しかったのかは分かりませんけれども・・・。
結局、直江津は16分遅れの0:13に発車しました。その後、しばらく車窓を眺め、上りのきたぐに号とのすれ違い(0:33のことだった)などを見て、就寝することにしました。壁面にある寝台灯[⑧]を消して、おやすみなさい・・・、と。
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