Page:3

※各画像はクリックすると拡大します。















 車両前面に雪をびっしりとたくわえた789系[①]。0番代は、もともと青函特急として活躍していましたが、本州〜道南と道央・道北では、寒さや雪のレベルが違うので、後者への転用に当たっては、耐寒・耐雪能力が強化されています。ただ、それでもやはり基礎的な設計が弱いのか、故障率がやや高く、冬期には1000番代によって代走されることがあります。

 ライラックのヘッドマーク[②]。781系で運転されていたころは、幕式のヘッドマークによる表示でした。785系は、ライラック号に運用されていたこともあったので、”LEDによるライラック号のヘッドマーク”は、実は785系によって既に実現しています。

 旭川駅構内[④]。ホームのほぼ全域が大屋根によって覆われているので、中の方にいれば、雨や雪を被ることはありませんが、出入りする列車が足回りにつけてきた雪が、軌道上に散乱しています。大屋根は、無数の鉄骨によって支えられていて、構造物は一切合切カバーされていないので、その無骨な造りを堪能することが可能です[⑤]

 以前は「HEAT789」のロゴが貼られていた場所に、現在は、北海道各地の名所や名産物を描いたロゴが貼られています[⑥]。この編成には、旭川市の旭橋をロゴ化したものが貼付されていました。789系0番代は6編成が在籍していて、そのそれぞれで異なったロゴが使われているので、ライラック号に乗車されるときは、ぜひロゴの種類を確認してみてください。

 ライラック号の行先表示[⑧]。分かる方は分かると思いますが、北海道を走る車両のLEDの行先表示機は、盛大に故障していることが多く(やはり極寒地の気候は、電子部品には良くないのか?)、まともに表示されているものの方が少ないくらいかもしれません。幸い、この車両は、ドット欠けや色違いもなく、正常な表示ができていました。

 北の果てを目指して、ここからは宗谷本線を進んでいきます。次に乗るのは、16:38発の名寄行きの普通列車です[⑨]。その約1時間後に名寄行きの快速列車が出ているように、名寄までは、比較的列車本数が多くなっています。

 旭川駅の駅名標[⑩]。旭川駅は、ホーム全体が大屋根で覆われているため、屋根から吊り下げる仕様の駅名標がありません。また、ホーム表面に立てているものもないので、駅名標は、階段・エスカレーターを囲うガラス部分に、シールのようなものを貼り付けることで用意しています。光らないだけでなく、半透明にもなっているという、他にないつくりの駅名標です。



















 名寄行きの普通列車は、2両編成のキハ40系で運転されます[①]。これまで当たり前のように乗ってきた北海道のキハ40系ですが、函館本線の山線区間には、いよいよH100形が導入されたことですし、今後順次置き換えが進んでいくのでしょうか。なお、先ほどのライラック23号とは、対面で乗り換えができるようになっていて、階段等による移動は不要です[②]

 旭川を出ました[③]。留置線にキハ40系がいます。ところで、ここは高架区間なわけですが、これだけの雪が積もると、当然、”雪の重量”というのも、相当なものになっているはずです。私は建築の専門家ではありませんが、高架橋の設計にあたっては、やはり冬期の積雪による荷重の計算もなされているのでしょうか?(→させているらしい。当たり前か)

 旭川四条に到着[④]。旭川駅は、2010年に高架化されましたが、旭川四条駅は、それよりも遥かに早い1973年に高架駅となっています。なお、ここは電化区間に含まれていますが、旭川〜旭川運転所間の電化は、電車の回送を行うためのものであるため、721系等による電車の普通列車は停まりません。営業停車する列車は、全て気動車です。

 もう暗くなってきました[⑤]。冬の鉄道旅の厄介なところは、日没が早いということです。もちろん、夜は夜で、夜景という車窓を見ることはできるわけですが、それでも”車窓を楽しむ”という点においては、陽は長いに越したことはありません。

 旭川運転所が見えてきました。ラッセルヘッドを連結したディーゼル機関車が多数留置されています[⑥] [⑦]。DE10形に酷似したDE15形という形式ですが、除雪運用がない春期や夏期は、列車の回送や客車列車の牽引といった”アルバイト”も行います。

 旭川運転所の脇で運転停車を行います[⑧]。ただし、ここは駅ではありません。列車に便乗する乗務員や保守要員が乗り降りするための簡易な乗り場で、写真左側に写っているように、今回も、誰かしらの乗り降りがありました。

 運転所の敷地の隅っこに、ブルーシートで覆われた車両がありました[⑨]。この車両に関する情報は掴みかねていますが、恐らく、SLニセコ号で使用されていた4両の旧型客車ではないかと思います。2015年7月に撮影された空撮写真でも、やはりブルーシートに覆われた車両があったことから、冬期だからシートを被せているのではなく、保留車として長期保管するために被せているようです。

 永山に着きました[⑩]。快速以下の列車は全て停車するほか、永山で折り返す列車もあり、地域の主要駅となっています。そのため、ある程度の本数が確保されている旭川〜名寄間でも、旭川〜永山間はそれなりに列車本数があります。

 石狩川を渡ります[⑪]。ここは凍結していないようですが、北に向かえば向かうほど、一般的には、気温は下がっていくものであり、天塩川などは、冬期には凍り付くことも珍しくありません。

 北比布に停車します[⑬]。この普通列車は、旭川〜名寄間の全ての駅に停車しますが、北比布をはじめとする一部の駅は、普通列車でも通過となるものがあります。そういった駅は、往々にして奥地や街はずれにあるわけで、雪に包まれる冬期には、その秘境感がより一層高められます。

 スキー場が見えました[⑭]。今日は土曜日ですが、利用客の姿が見えませんね。どうしたのでしょうか?

















 2両編成の列車すらも収まりきらないような駅に降り立ちましたが、さて、いったいここは・・・?[①] [②] いま私が下車した駅は、東六線という駅です[③]。立地でいえば、農村地帯のど真ん中にあり、”秘境”とは少々趣が違うのですが、駅の前後は、線路の両脇が林で固められているため、外界から隔離されているような雰囲気があります[④]

 とまあ、そういう感じの駅なので、先ほど触れた北比布と同様、ここは、普通列車でも通過となるものがあります[⑤] [⑥]。今日の最終目的地は名寄ですが、上り列車と組み合わせれば、東六線に立ち寄ることが可能とが分かったため、途中下車しました。夕闇に包まれ、物音が立つこともなく、他にない”孤独感”が流れて・・・となることを期待していましたが、このときは”同業者”がひとりいました。

 非常に柔らかく、それでいて固まりにくい新雪の多さが、この駅で乗り降りする人の少なさを物語っています[⑦]。水分が多い本州の雪ならばこうはいかぬだろう、という軽い歩き心地や、一歩を踏み出すたびに鳴るキュッという足音が、気温や景色とはまた違った方向から、「自分はいま北海道に来ている」ということを教えてくれます。

 線路と十字方向に交差する道路[⑧]。街灯の数も少なく、これから時間が下っていけば、辺りはより一層暗くなってしまうことでしょう。アスファルトや草が露出している箇所は1cmたりとも見当たらず、雪解けを迎える時期まで、ここは銀世界が支配します。

 東六線駅の全景[⑨]。単式1面1線の駅で、ホームの有効長は23mほど。1両編成ならばなんとか収まりますが、2両以上となると、先ほどのように列車がはみ出してしまいます。混じりけのない白い雪は、何色にも染まるものであり、LED照明に照らされれば、その白さはより一層際立ち、ナトリウムランプに照らされれば、暖かみのある橙色になってくれます。

 東六線駅には、待合室があります[⑩]。この駅は、1956年に、まず「東六線仮乗降場」として開設され、その3年後に正式な駅となりましたが、入り口上部にある「東六線乗降場待合室」という看板は、もしかすると、仮乗降場時代からの名残なのかもしれません。内部の壁は板張りで、ベンチは木製、床・・・というか地面は砂利仕立てと、いかにも簡易な造りです[⑪]

 すっかり陽が落ちてしまいました[⑫]。向こうから列車の灯りが近づいてきています・・・。


TOP                    10  11  12  13  14

DISCOVER どこかのトップへ

66.7‰のトップへ