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 名寄駅舎[①]。以前は、深名線と名寄本線が接続し、まさしく鉄道の要衝でしたが、今は宗谷本線だけとなっています。その宗谷本線も、いつまで、そしてどこまで持つのかが分かりませんが・・・。

 ホテルに戻る道中、素晴らしい青空が広がりました[②]。名寄市に爽やかな朝がやってきました。地面の”白さ”との対比も相まって、スカイブルーの鮮やかさが、より一層引き立っています。しかし、これを見て「ああ、今日は良い天気らしいな」と思えないのが、北国の恐いところ。天気は、いつ、どこで暗転するのか、全く分かったものではありませんよ・・・。

 名寄は、ひまわりが有名です。夏になれば、市内にあるひまわり畑が、他にない絶景を見せてくれます[③]。これほどの素晴らしいものを放っておくわけにはいかないので、いずれは夏の名寄にも訪れたいなとは思っていますが、なにぶんこの広く、そして見どころに絶えない北海道。行きたいところや見てみたいところは、底なしにあるので、いったいいつ、名寄のひまわりの”順番”が回ってくることか?

 ホテルで朝食を食べたのち、再度名寄駅に戻ってきました。下りの特急宗谷号に乗り、北の果てを目指します[④]。以前は、宗谷本線の特急列車は、札幌〜稚内間を1日に3往復しており、そのうち2往復がキハ261系のスーパー宗谷号、1往復がキハ183系のサロベツ号でした。2017年3月のダイヤ改正より、札幌〜稚内の1往復が「宗谷」、旭川〜稚内の2往復が「サロベツ」となり、車両はキハ261系のみとなりました。

 札幌〜稚内間を走る長距離特急列車ということもあり、指定席の比率が高くなっています[⑤]。これとは逆に、短距離特急列車となるカムイ号・ライラック号・すずらん号は、自由席の比率が高いです。ただし、同じ札幌〜旭川間特急でも、カムイ号が指定席1両であるのに対し、サロベツ号・大雪号と接続するライラック号は1両半(+グリーン車0.5両)となっていて、長距離移動者への配慮を行っています。

 先ほどは、あのような青空が広がっていましたが、そこから一転、大雪になりました[⑦]。まあ、別によくあることですけれどもね。



















 特急宗谷号が入線します[①]。ヘッドマークは、以前はこのデザインに「SUPER SOYA」と入っていましたが、2017年3月のダイヤ改正を機に、宗谷号とサロベツ号のヘッドマークデザインが共通化され、そして列車名の表記が消されました。キハ183系サロベツ号のヘッドマークが結構好きだったので、あれをキハ261系に移植してくれれば・・・だったのですが。

 2号車車内の様子[②]。乗車率はさほどでもありませんが、荷物棚を見ると、スーツケースやらバックパックやらが多く、長距離を移動する人が多く乗っていることが分かります。私は名寄からの乗車なので、いたずらに長い乗車時間にはなりませんが、札幌から稚内までを乗り通したら、所要時間は5時間を超えるので、普通車では辛そうです[③]

 雪がシャーベット状になって窓に張り付いています[④]。列車が走ることにより、窓に付いた水滴に寒風が当たり、それが氷結します。その固まりがどんどん成長していくと、このような感じになります。外界の寒さを示す現象であるとも言えますが、こちらは暖房が効いた暖かい車内にいます。もちろん二重窓なので、断熱性も上々です。

 人工物が一切ない眺め[⑤]。建物や道路がないという意味でもそうですが、このようなところに除雪を入れるはずはなく、雪はなすがままに積もっています。木々も、雪が降り積もる中で付着させたものをそのままにし、ただただ寒さの中に立ちすくんでいます。

 分かる人には分かると思いますが、列車は北星駅を通過しました[⑥]。この駅は、待合室がやや離れたところにあり、そしてその外壁には「毛織の北紡」という看板が貼り付けられていて、とても目立ちます。列車内からホームや駅名標を視認できなくとも、この独特な待合室が見えたら、それが北星通過の目印です。本当は、ここも訪れるはずだったのですが・・・。

 うず高く積もった雪が、車窓を塞ぎます[⑦]。これほどの高さにもなると、窓越しに入ってくる光量も減少し、車内は一瞬暗くなります。この大雪を受けて、宗谷号も徐行運転を行うことになりました(ま、運転見合わせにならないだけ良しとするか)。

 音威子府です[⑧]。既に積もっている雪の量、そしてこの車窓の様子が、現況を物語っていることかと思います。いやはや、もう「凄まじい」の一言で。2018年2月25日、音威子府村は、積雪量281cmを記録し、これがこの冬の最大値でした。なお、同じ日の平年値は162cmです。ちなみに、この281cmという数値は、今期最大どころか、最終的に、観測史上1位の記録となりました(1982年観測開始)。

 豪雪の中を進んでいきます[⑨]。後に「平成30年豪雪」と名付けられることになる大雪の中の、音威子府村が観測史上1位の積雪量を記録するという日でありながら、北を目指して走り続ける宗谷号。当時は、「これでは乗り継ぎのバスに間に合わないかも」という心配ばかりが頭を支配していましたが、よくよく考えると、そのような状況下でありながら運休になっていなかったこと自体が奇跡でした。

 大雪もあれば、青空もあり・・・[⑩]。雪雲の切れ間に現れた青空は、まさしく一瞬の”オアシス”です。開けない夜はない、と定型句的に言われるように、止まない雪もない、というところでしょうか。

 佐久を通過します[⑪]。現在では、普通列車しか停車しない駅になりましたが、宗谷本線の優等列車が急行列車であった時代は、ここは急行停車駅でした。急行が停まらなくなったから廃れた・・・というわけではありませんが、今の佐久駅は、利用客も少ない小さな駅です。

 車窓に現れた謎の車両・・・、ややっ、これは[⑫] [⑬]。DE15形による排雪列車でした。宗谷本線では、日本で唯一の「定期排雪列車」が走っているとのことですが(つまり、雪があろうとなかろうと走るということか?)、これがそうなのでしょうか? この列車に出会ったのは天塩中川駅でしたが、この駅も、なかなかの雪の積もりっぷりで・・・[⑭]



















 糠南〜雄信内間で、列車は、宗谷本線で唯一のトンネルに入ります[①]。北の果てに向かう路線であるからには、さぞかし険しいところを貫いていくのだろうかと思いきや、意外なことに、トンネルは、このひとつしかありません。そしてこのトンネルも、1965年に開通したものであり、それ以前は、本当にトンネルゼロでした。

 キハ54形の普通列車と行き違います[②]。その場所は、雄信内駅でした[③]。この時点で、宗谷号は相当に遅れているので、定刻であれば、幌延での列車交換になっていたようでしたが、あちらの普通列車は、宗谷号の到着を待たずに幌延を発車して(もちろん早発はしませんが)、雄信内でこちらを待っていたようです。

 幌延[④]、そして豊富と停車していきます[⑤]。「特急列車が停まるくらいなのだから、さぞかし大きい駅なのだろう」と思いたくなりますが、実際には、そうではありません。停車したからといって、必ずしも乗り降りがあるわけでもなく・・・。

 「日本最北端の無人駅」として名を馳せる抜海を通過します[⑦]。特急列車は停車せず、普通列車しか停車しませんが、鉄道ファンらしき人影がありました[⑧]。抜海11:49という普通列車があるので、それでやってきたのでしょうか。この駅も、廃駅になることが予定されており、もしそうなると、日本最北端の無人駅は、ひとつ手前の勇知駅に移行します。

 抜海〜南稚内間では、天気が良いと、日本海側に、利尻島や礼文島が見えるそうです。私も、それを楽しみにしていたのですが・・・、いや、このような天気では[⑨]。島の形どころか、少々の先すら見通せない吹雪です。

 さて、まもなく南稚内です[⑩]。あれだけ「北の果てを目指す」、「乗車券は稚内まで」と言っておきながら、なぜ南稚内で降りるのか? それは、南稚内駅で降りたことがまだないから・・・と言えば、ある程度それらしく聞こえますが、本当の事情は、もっと別のところにあります。詳しくは語りませんので、皆様、ぜひ「大人の事情」をお察しください・・・。

 南稚内に着きました[⑪]。あと一駅で終点の稚内ですが、ここで降りる人も少なくありません。たしかに、終点にして日本最北端の駅は稚内ですが、市街地は、南稚内駅周辺にも広がっているので、ここでの乗り降り需要もあるわけです。

 最近、JR北海道の特急型車両では、行先表示のフルカラーLED化が進められているようです[⑬]。元々は方向幕であったキハ261系基本番代、キハ281系、キハ283系において、フルカラーLEDに交換される車両が確認されています。

 終点の稚内を目指し、南稚内を発車する宗谷号[⑭]。終点は次の駅です。


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