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 上り列車が近づいてきます[①]。銀世界の中を貫く鉄路を、頭につけた2つの前照灯で切り開いていきます[②]。夏期とは異なり、冬期は、軌道上に雪が積もり、その雪がわだちの音を吸収するので、列車の走行音がやや静かな、籠ったような感じになります。

 夜を迎えた道北の風景[③]。街明かりは少なく、右にも左にも雪原が広がります。ここまでずっと北進してきたところを、いったん南進するわけですが、それでも”最果て”に向かっている感は強くなってきています。

 和寒に着きました[④]。東六線の隣の駅で、今度はここで下り列車を待ち構えます。雪道を走る列車は、先頭部に雪を纏わせるだけでなく、後方で巻き上げる雪によって、列車最後部にも大量の雪を付着させます[⑤]



















 上り列車が走り去っていきます[①]。一応、特急も含め、全ての列車が停まる駅なので、宗谷本線においては主要な駅に数えられるのですが、私以外に乗り降りした人はいませんでした。

 駅の北東にスキー場があります[③]。以前は、鉄道を使ってスキーに行くということは、まるで珍しいことではなく、冬期には多くの”スキー臨”が設定されていたそうですが、スキー人口自体の減少と、自家用車で行く層が増えたことにより、そのような列車は、全く見かけなくなりましたね。いま、スキーのために走る鉄道といえば、冬期にガーラ湯沢駅が開設されるものくらいでしょう。

 跨線橋への入り口に、雪の吹き込みを防ぐためのカーテンが設けられています[④]。これがなければ、横殴りの雪に見舞われたとき、跨線橋の内部は大変なことになるでしょう。ここはカーテンですが、駅によっては、出入り口の半分を板で塞いだり、2つ以上の出入り口があるときは、その片方を完全に閉塞してしまっている駅もあります。

 上下のホームは跨線橋で結ばれています[⑤]。上下で位置がずれているのは、かつてタブレット閉塞をしていたときに、ここでタブレットの交換を行っていた名残りでしょうか(このようにすると、上下列車が同時に停車したときに、先頭車両の運転室の位置が同じになるわけですね)。

 跨線橋からの眺め[⑦]。自家用車であれば、とても運転したくなくなるような積雪でも、列車はその歩みを止めません。が、以前は「冬こそJR」というスローガンを掲げていたJR北海道も、ここ最近は、冬期にあっさりと運休することが多くなり、「冬こそ高速バス」とか、「冬こそ飛行機」と言いたくなる日も増えてきています。

 下りホーム[⑧]。なんか、屋根の高さが異様に低いのですが・・・。旭川駅のように、大屋根を採用することによって、屋根までの高さが事実上無限大になっている駅もあれば、この和寒駅のように、どうしてか恐ろしく屋根が低い駅もあり・・・。

 駅舎内[⑨]。他の利用客は誰もいません。また、和寒駅は、特急列車も含め、全ての列車が停車する主要駅ですが、無人駅となっています。ここ最近の合理化の中で無人になったというわけでもなく、1995年4月から無人駅となりました。

 「頑張れ宗谷本線」と銘打たれたポスター[⑩]。宗谷本線は、1日に3往復の特急列車があるといえども、経営的に苦しい路線であることは、言うまでもありません。個人的には、北海道の大赤字路線は、究極の姿として、主要都市圏以外は”特急列車が停車する駅だけ残す”という方法を提案したいと思っています。それで需要の少ない駅を一掃し、費用削減を狙います。

 駅舎内にあるストーブ[⑪]。無人駅にストーブがあって大丈夫なのか?と思ってしまいますが、本体に貼られた注意文によれば、何かあるときは作業員詰め所までお知らせくださいとのことなので、変なことにはならない・・・はず。

 「和寒駅6:53発士別行 北海道士別翔雲高等学校」[⑫]。和寒町内には、通信制の高校はありますが、定時制の高校はないので、町内に住む人で定時制高校への通学を希望する人は、この高校に通うことになるようです。なお、6:53の列車は、実際には稚内行きで(名寄と幌延で列車番号が変わる)、またその列車を逃すと、次の列車の士別着は9:00以降なので、遅刻します。

 駅の外に出ると・・・、雪が降ってきていました[⑬]。まあ、北国ではよくあることですが。さっきまでは晴れていたのに、気が付いたら大雪に見舞われていた、などということは、日常茶飯事のことだと思います。










 快速なよろ5号に乗ります[①]。旭川〜名寄間には、「なよろ号」と名付けられた無料快速列車が1日に4往復運転されていて、同区間の需要の高さを示しています。同区間には、バスも1日12往復(2019年12月改正時点)が運転されていますが、運賃は安いものの(バス1,320円:JR1,890円)、遅いです(急行便で2時間20分弱、普通便なら2時間40分弱)。

 キハ54形のクロスシート部には、0系新幹線から流用した転換式クロスシートが使われています[②]。普通列車としては上等な代物であると言えますが、逆に考えると、開業当初の東海道新幹線は、”超特急”ひかり号でさえ、普通車は、今でいえば「普通列車並みの」座席だったわけですから、信じられない話です(現代でこれで新幹線特急料金を徴収するなんて言ったら・・・)。

 士別に停車します[③]。羊の飼育が盛んであり、「羊のまち」を標榜しているようです。市の郊外には、「羊と雲の丘」なる施設もあり、私もドライブで訪れたことがあります(雨の日で、また羊は、既に羊舎にしまわれていましたが、、、)。

 続いて風連に停まります[④]。宗谷南線(旭川〜名寄間)には、特急列車は停まらないが快速列車は停まる、という駅がそこそこあり、風連もそのひとつです。特急列車は、旭川〜名寄間を1時間未満で結びますが、快速なよろ号は、そこまで早くはなれないものの、中規模な駅にもこまめに停車し、速さと小回りを両立しています。

 終点の名寄に到着しました[⑤]。今日の移動はここまでです。


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