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※各画像はクリックすると拡大します。

鉄道歴史パーク in SAIJO ②
Tetsudo Rekishi Park in SAIJO ②

カットボディの0系①

妻面から車内へ②

床構造が見える③

家庭用のエアコン④

前から車内全景⑤

着座してみる⑥

運転室にも行ける⑦

DF50形⑧

0系とDF50形⑨

タイムリーだなぁ⑩

 四国鉄道文化館には、本物の0系のカットモデルが展示されています[①]。元々は多度津工場にあったもので、四国鉄道文化館の開館に合わせて移設されてきました。ちなみに、かなり前から十河信二の記念館(つまり現在の十河信二記念館)を西条市か新居浜市に建設する構想があり、構想段階で既に0系をそこで保存する計画だったようで、そのためにこの0系は廃車後、即車体を半分に切断したそうです。

 そして多度津工場は記念館ができるまでの間の0系の置き場となり、2007年11月、晴れて鉄道歴史パーク in SAIJOが開設。この0系は十河信二記念館に隣接する四国鉄道文化館に置かれ、構想が実現するとともに安住の地を得たというわけです。

 妻面から車内へ入ると、車内には2+3配列で簡易リクライニングシートが展開していました[②]。一口に0系と言っても、活躍した時期によって持っていた座席は様々ですが、この0系は簡易リクライニングシートを持っていました。妻面から車内に入ってすぐ右下は、床の構造が見えるように、一部が透明のガラスとなっています[③]
 また、当然ながら0系自身の空調は生きていないので、車内の冷暖房のために車内の家庭用のエアコンが取り付けられています[④]

 私は一応0系の現役時代を知っている世代ですが、さすがにこの0系を見て「懐かしい」と思うほどではありません。ただ、窓側の席に座って前後や天井を見てみると、「そういえばこんな感じだったような・・・」と、ちょっと記憶をえぐられるような感覚はしてきます[⑥]
 ちなみに、車内では、壁面に液晶テレビが取り付けられていて、そこでは、四国鉄道文化館の建設と、そこへの車両搬入の過程の映像を流しています。また、CDラジカセによって、車内には東京到着前の車内放送が流されていて、更には、運転室に入ることもできます[⑦]

 車内放送をCDラジカセで流すということは、鉄道博物館やリニア・鉄道館などの大規模な博物館でも行われていないことなので、これは四国鉄道文化館ならではの試みとして特筆できると思います。

 もう1つ、本物の鉄道車両として、DF50形が丸々1両保存されています[⑧]。これは0系と並べるように設置されています[⑨]。その近くにあるクリアケースには、下灘駅を再現したミニチュアが展示されていました[⑩]。そういえば、ほんのさっきまでいたんだよなぁ、下灘駅に・・・。






鉄道歴史パーク in SAIJO ③
Tetsudo Rekishi Park in SAIJO ③

ヘッドマーク集①

流星マークと「松」②

こっちも運転室に入れる③

床は木造④

機器室内部を見られる⑤

親切だね⑥

この線路は・・・⑦

予讃線と繋がっている⑧

ベランダからの眺め⑨

 アクリルケースの脇では、しおかぜ号や南風号で使われていたヘッドマークが展示されていました[①]。いずれも現在は使用されていないものです。しおかぜ、いしづち、南風の各列車がキハ181系やキハ185系で運転されていた時に使われていたものなので、それらが8000系と2000系で走っているときしか知らない私には「うーん?」。
 最上段の2つのヘッドマークについては、写真でですら実際に車両が装着しているところを見たことがない(その他は写真でなら一応・・・)ので、私にとっては全く新しいものとして映りました。ぶっちゃけ、今2000系が使っているヘッドマークより良いと思うんだけど。。。

 DF50形も0系と同様に運転室に入ることができます[③]。0系もDF50形も、運転室内部の色遣いはほぼ一緒ですね。ただ、真っ先に分かる0系の運転室との大きな違いとして、DF50形の運転室は、床が木造であることが言えます[④]。DF50-1の現役時代、数多くの機関士達が踏みしめたその床には、多くのへこみやはがれが刻まれていました。

 また、片側の側面はルーバーが取り外されていて、機器室の内部を見ることができます[⑤]。大きくて重々しい数多の機器が配置されている機器室は外から眺めているだけでも迫力満点で、これらの機器が1つ1つ役割を持ち、稼働してこの機関車は動いていたと思うと、一種の感動を覚えます。

 床に降りてきて、連結器周辺を見てみると、スカートから出ている管に「ブレーキ管連結器」「暖房主管連結器」と書かれた札が取り付けられていることに気がつきました[⑥]。その部品の名称を書いた札を取り付けるというのは、これまた親切で良いですね。ただ車両を置いて展示するのではなく、その車両のここはこういう名前なんだと、部品の名前を教えてくれるというのは、いや本当に良い試みだと思いましたね。

 さて、DF50形が載っている線路なんですが・・・[⑦]、実はこれはすぐ近くを走る予讃線の線路と繋がっています[⑧]。ここで展示されているDF50形も、多度津工場からDE10形の牽引によって予讃線を走ってきて、そのままこの線路の上を走ってきて四国鉄道文化館の中に入りました。
 そしていつか、この線路は全てのJR線と繋がる可能性があると思うと、線路を辿ればどこへでも行けるという、鉄道の魅力(私はこれが鉄道の一番の魅力だと思っています)を改めて感じます。

 館内には怪しい(?)螺旋階段があり、それを上っていくと、伊予西条駅構内が見えるベランダへと行くことができます[⑨]。2両編成の7000系の姿が確認できますね。そろそろ時間もなくなってきているので、四国鉄道文化館(鉄道歴史パーク in SAIJO)の見学は、この程度にしましょう。






伊    予    西    条    駅
Iyo-Saijo Station

ホテル①

ホテール②

ホテエエエル③

宇多津まで乗車④

夜の闇が迫る⑤

 四国鉄道文化館を後にしたら、夕飯を購入するために近くのローソンへ。弁当やら飲み物やらを適当に買ったら、次の列車に乗るために伊予西条駅へと向かいます。・・・しかし、それにしてもやたらとホテルが目につきますね。

 伊予西条駅の本当に近く(徒歩2〜3分圏内)だけで「西条ステーションホテル」[①]、「オレール西条」、「西条アーバンホテル」[②]、「西条国際ホテル」[③]の4つがあるのは確認できました。正直、そんなホテルが互いにしのぎを削るような場所ではないと思うんですが・・・、実際は結構激しい争いが繰り広げられているのかもしれませんね。

 そして伊予西条駅へ。今度は、18:34発の特急しおかぜ28号で宇多津へと向かいます[④]。ええ、もちろんグリーン車ですよ。いくらボロクソに言っても、ノミ券で無料で利用できるなら、そりゃあ利用しないわけがありません。

 ところで、私は過去に本四備讃線全線と予讃線の高松〜松山間は乗車していて、実は先ほど特急宇和海16号で松山駅に降り立ったその瞬間に、JR四国の全路線の制覇を達成していました。もっとも、松山駅では駅舎の外に出たりせず、宇和海号からしおかぜ号へただ乗り換えただけで、あっさりと後にしたので、あまり「これにてJR四国の全路線を制覇!」という感じはしなかったんですけどね・・・。

 空は夜の闇と夕焼けが同居するようになり、しかし着々と夜の闇が迫ってきています[⑤]。今日で四国を後にして、地元へと戻っていきます。闇が姿を現しつつあるこの空を見ていると、旅の終わりが近づいてきていることも同時に再認識します。



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