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 博多駅は、九州新幹線と山陽新幹線の境界駅です。新幹線ホームはJR西日本が管理していて、駅名標もJR西日本様式のものです[①]。そのJR西日本様式の駅名標についに刻まれたのは「しんとす」の文字。九州新幹線の線路が博多まで達し、山陽新幹線との相互直通運転が行われるようになったことの証です。

 福岡県は人口約510万人。その県庁所在地である福岡市は、人口約150万人。県全体の人口も、県庁所在地の人口も、どちらも九州にある他の県(市)を遥かに凌駕しています。駅(博多駅)を歩く人の数も[③]、都市としての発展度合も[④] [⑤] [⑥]、明らかに一線を画しています。さすが九州一の都市、福岡(博多)というところです。

 駅の西側出口である博多口は、駅ビル・JR博多シティとなっています[⑦]。2006年4月建設開始〜2011年2月竣工の、約5年の歳月をかけて建設されたもので、約230の店舗が入居する大規模な駅ビルです。写真ほぼ中央の、ちょうどガラス張りになっている部分にある大時計は直径約6mにも及ぶもので、夜間は指針や文字盤がLEDによって点灯されます。

 さて、博多からはなんと地下鉄に乗車します[⑧]。自分で「なんと」と言うのもどうかとは思っていますが、JRの全路線を完全乗車することを目標としている私は、(少なくとも今のうちは)JR以外の路線には基本的に興味を示しませんし、乗りに行くこともありません。そんな私ですが、今から福岡市交通局の地下鉄に乗車します。

 切符を購入するために自動券売機があるところへ向かうと、自動券売機を設置するスペースに蓋をした?ものが多数見られました[⑩]。将来的な設置に備えてスペースだけは確保しておいた、というものかもしれませんが、実際にはそうではなく、恐らくICカードの普及によって自動券売機の利用者が減り、それに応じて何台か自動券売機を撤去したその痕跡でしょう。たしかに私も、近距離移動のときはSuicaを使っています。

 自動券売機で購入したのは「エコちかきっぷ」[⑪]。福岡市交通局の地下鉄の路線が1日乗り降り自由になるという切符で、平日は600円ですが、土曜・休日は写真のように100円安い500円になります。券面にで挿入する方向が示されていますが、これは、この面を表にしてかつ矢印の方向で自動改札機に入れなければ、機械が受け付けない、ということなんでしょうかね?

 最近の自動改札機は、逆向きにしようが裏返しにしようが、きちんと処理してくれるそうですが、ここの地下鉄では、そういうことができないタイプの自動改札機を設置しているんでしょうか(なお、実際に裏返しや逆方向で入れたらどうなるかは別に検証しませんでした)。

 私が乗車するのは11:43発の空港線の姪浜行きです[⑫]。この列車に乗って、箱崎線と接続する中洲川端へ向かいます。

 姪浜行きの列車が福岡市交通局の1000系でやってきました[⑭]。わざわざ”福岡市交通局の”と記しましたが、空港線はJRの筑肥線と相互直通運転を行っていて、JR九州の103系1500番代や303系も空港線に乗り入れてくるんです。

 ところで、よく新幹線は「旅情がない」と言われますが、地下鉄というものは基本的に地下を走りますから、車窓は真っ暗。外に出たとしても、見えるものはまずビルが林立する都市の風景。車両もロングシートの通勤型という場合がほとんど。よくよく考えてみれば、地下鉄こそが、鉄道においては最も旅情を感じにくい種類の列車かもしれませんね。

















 地下鉄に乗って向かう先は貝塚駅。箱崎線の終点駅です。博多から貝塚に向かう場合は、まずは空港線の列車で中洲川端へ向かい、同駅で貝塚行きの箱崎線の列車に乗り換えます[①]

 中洲川端から乗車した貝塚行きの列車は、最後の途中停車駅である箱崎九大前を出ると、地下鉄らしからぬ空気輸送状態に[②] [③]。私は地下鉄というと、銀座線に乗ることがたまにあるくらいですが、少なくとも印象としては、地下鉄というと、大都市を走るものであるゆえに、これほど乗客が少ない状況になることはないものだと思っていました。まあ、東京と福岡ではまた色々と事情が異なるんでしょうけど・・・。

 箱崎線は中洲川端〜貝塚を結ぶ路線ですが、終点の貝塚のみ、地上駅になっています。終点の貝塚に到着する直前に、列車は勾配を駆け上がって地上へと出ます[④]。そして11:59に終点の貝塚に到着しました[⑤]

































 そんなわけで、貝塚駅にやってきました。駅周辺はマンションなどが立ち並ぶ、福岡市内の住宅街という感じ[①]で、「海が見える」とか「秘境駅である」とか、そういう特徴はありません。もちろん、それでもわざわざ地下鉄に乗ってここまでやってきたわけですから、きちんとそれなりの目的を持ったうえでやってきたわけですが。

 駅のすぐ近くに、貝塚公園と呼ばれる公園があります。私が今回貝塚駅にやって来たのは、この公園の来訪が目的です。「貝塚公園に鉄道が好きな奴が行く」となれば、分かる人はもう分かるでしょうが・・・。

 実はこの貝塚公園には、20系の緩急車が保存されているんです[③]。「せっかく、はるばる九州へ行くのだから、貝塚公園にある例の20系を見ておこう」と思い、今回、貝塚公園にやってきました。車両端部の、丸みを帯びた独特の形状をしている「顔」の部分は、直線で「顔」が構成されている14系や24系とはまた違った格好良さ、そして「柔らかさ」を持っているように思います[④] [⑤] [⑥]

 ここの20系は、見ての通り屋根などの設置はなく、また周りを囲う柵などもないため、風雨にさらされたりいたずらされたりして、車体がだいぶ劣化してしまっていました。そこで、再塗装などの修復作業が行われ、写真のようなきれいな姿を取り戻しました。車両側面に沿って設置されているデッキ(窓越しに車内を見るためのもの)には、「祝 ブルートレイン〜」という掲示がありました[⑦]

 惜しむらくは、この20系が「晩年の急行・臨時運用時代」の状態である、ということでしょうか。正規の20系の塗装は、幕板部にもう1本白色の細帯が入るんですが、残念ながら、この20系にはそれがありません(晩年の20系は、幕板部の細帯が省略されるようになった)。
 修復作業を行うにあたって、同時にその細帯を入れた方が(要は全盛期のころの姿にする)喜ばれたのでは、とも思いますが、ここは福岡県ですから、「九州を走っていた夜行急行列車・かいもん号の20系」として保存することに意義があるのかもしれません。

 もっとも、20系の現役時代を知らない私からすれば、20系という車両がこうして保存されていて、それが見られるだけでも十分満足なので、塗装のことは全然気にならないんですが(笑)

 上述していますが、車両の側面に沿って、窓越しに車内を見学するためのデッキが設けられています。そのデッキから車内をのぞいてみました。往時の3段寝台がそのままの姿で残されています[⑫] [⑬]。車内に配置された寝台のうち、1区画だけは、写真のようにシーツが敷かれ、浴衣やハンガー、枕なども置かれていて、営業列車として走る往時の姿を思い浮かばせます。

 20系の緩急車は、「顔」の部分に2枚の窓が取り付けられていますが[⑮]、このうち正面右側の窓の部分は車掌室で、左側は乗客が自由に立ち入りできる、実質の「展望室」でした。20系は、私にとっては、もっと早く生まれていれば是非乗りたかった車両の1つですが、そう思うのは、この展望室の存在が大きいです。20系に乗って、この展望室から流れゆく車窓を見つめる、ということをしてみたかったなと・・・。

 修復作業が行われ、状態も良くなった20系ですが、残念ながら屋根などの設置は行われませんでした。これではまた早いうちに車体が劣化してしまうのでは・・・とも思いましたが、その代わり、青空の下で太陽の光をいっぱいに浴びる20系、というものを見ることができます[⑯]。その様は、まるで終着駅へ向けてラストスパートをかける姿のよう。また、屋根がないことにより、20系の展示場所周辺には開放感があります。

 短い時間でしたが、何とか貝塚公園の20系の見学に成功しました。旅を再開しましょう。次に乗る列車は、12:39発の西新行きの列車です[⑰]。その6分前に中洲川端行きの列車がありますが、これは見送ります。中洲川端行きの列車は2000系という、先ほどの1000系よりも新しい車両でした[⑱]

 私が乗る西新行きの列車がホームに入ってきましたが、これは貝塚に来るときに乗車した列車と同じ1000系でした[⑲]


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