全長676キロの「偉大なるローカル線」
日本最長路線・山陰本線を乗りつくす旅−5


京都→福知山/福知山駅
山中を抜けると、視界は一気に開けて、田園風景が広がります。

まさに日本!という感じでしょうかね。
ふと、上の荷物棚の下を見て気がついたのですが、荷物棚の下には模様が入った布?が貼られていました。(布にしては「毛」っぽさがなかったような気もするけど)

そういえば、荷物棚の下に何か模様が入っている車両というのは、あまり乗った覚えがありません。一部が透明になっていて、光が通るようになっている車両はよく乗りますが・・・。
9時20分、園部駅に到着。ここでも221系の姿を目にしました。

昼間の時間帯、京都駅を出る山陰本線の普通・快速列車は毎時4本ですが、そのうちの快速1本と普通列車1本は、ここ園部駅どまりです。
園部駅を出て何駅目かでは、223系にも遭遇しました。繰り返しになりますが、こういった新世代の車両が山陰本線で活躍しているというのが、今だに信じられません。

私の中にある「山陰本線」が、音を立てずに崩れていっている気がします。
・・・決して、悪い意味でではないですよ。もちろんですが。

ちょうど常磐線の415系・E501系が上野口から完全に追い出されて、E531系だけになった時も強い違和感を感じたように、一度作り上げられた印象というのは、なかなか崩せません・・・。
グリーン車といっても、何か特別なことをしてくれる(無料で飲み物をくれるとか)ことの方が、今は圧倒的に少ないです。

時折、グリーン車を「First Class」として案内するのを耳にしますが、到底航空機のファーストクラスになんざなっていない、というのが正直な感想です。

この183系のグリーン車も、座席がちょっとばかり大きいだけ、というのが率直な感想です。それでも、車端には自由に持っていける毛布がこうして置いてあります。
ささやからながら、普通車ではできない、グリーン車ならではのサービスだと思います。
綾部駅に到着。ここでたんば号とまいづる号が分かれますが、連結作業や解結作業にほとんど興味のない私は、自席でおとなしくしていました。(せっかくのグリーン車なのだから、できるかぎり堪能しておかねばね)

京都から、1号車グリーン車の後方には7〜8人の出張客?らしき人が乗車していましたが、1人を残して綾部駅で全員下車していってしまいました。

このほか、弓道の試合でもしに来たのか、弓矢を抱えた高校生らが大量に下車しました。
綾部駅を出ると、8分で終点の福知山駅に到着します。

福知山駅は高架化されているので、高架を駆け上がり、ずいぶん視点が高くなれば、それは終点の福知山駅に到着する合図でもあります。

京都駅から1時間17分の道のりでしたが、営業キロは88.5キロ。
グリーン料金は1番安い、100キロまでの1240円で済みました。

しかもその1240円の中に、繁忙期の指定席料金710円が含まれているので、グリーン車に乗るために余計に払ったお金は実質530円。
JR東日本では、区間によっては実質のグリーン料金が290円となる場合さえあります。
10時08分、終点の福知山駅に到着。下車した際の第一声は「あづっ!」

その暑さに耐えながら(あまりにも熱いので、乗降口→先頭車の移動さえ辛い)、とぼとぼ先頭車にやってくると、ヘッドマークは既に「北近畿」に変わっていました。

しかしその一方で、側面の方向幕は「回送」でした。
それなら、先頭部のヘッドマークも回送にしておけば・・・・。
福知山駅の4番線にたたずむ183系。

もう、すっかり183系の姿もこの地域に根付いていることでしょうけれども、まもなく、置き換え車両として新型の287系が導入されます。
東舞鶴行きの普通列車が、223系5500番代でやってきました。

この「前面に貫通扉を持つ223系」というのは、マリンライナー用の5000番代で何度も目にしているため、全体的には特に真新しさはないのですが、貫通扉に橙色の帯があるところが、マリンライナー用の5000番代との相違点です。

2008年の製造ということで、結果として223系の最終増備車の一員になっています。
今のうちに次に乗車する列車をご紹介しておきましょう。

次の列車は、10時48分発の特急北近畿3号。といっても、乗車するのは1区間だけ(〜和田山)で、さすがに1区間だけではグリーン車は使いません(笑)

本来、このように福知山駅で特急列車を乗り継ぐ場合、特急料金は通算できるのですが、色々と事情があって、特急券は福知山→和田山の単独で購入してあります。
途中下車をして、駅舎から出てきた私は、一目散にあるものを目指して歩きます。

おっ、見えますね〜。さすがの存在感、といいましょうか。
ホーム上から見えたときから、これは行っておくべきだろうと思っていました。
駅前で保存されていたのは、C11の40号機。私は蒸気機関車が今のように「客寄せパンダ」のように走っていたのではなく、定期列車として走っていたころを知らないため、蒸気機関車についてはよく分かりません。

しかし、漆黒の車体や輝く動輪、誇らしげに見えるナンバープレートを見ると、昨今のステンレス車両などにはない重厚感や重々しさ、力強さを感じます。

今、そういったことを身近に感じようと思えば、北斗星号やあけぼの号といった寝台列車を見るのが手っ取り早いのでしょうが、それらもいつまで持つやら・・・。
全体写真。とりあえず、蒸気機関車のことをよく知らない私でも、かなり小型の蒸気機関車だということは分かります。

福知山。これが暑い暑い・・・。
茨城よりも暑いことは間違いなさそうでした。

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