●2月23日●
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 北浜7:16発の列車に乗って網走に戻りますが、来るときの列車とは打って変わって、車内は座席を自由に選びたい放題のガラガラっぷり。まあ、知床斜里始発なので、今これに乗っているとすれば、それは前日までに知床斜里入りしているということですからね。釧路始発とかであれば、もう少し客も多いのでしょうが。

 というわけで、”流氷”仕様のキハ54形の海側席に座り、網走に向かいます。オホーツク海まで旅をしてきた流氷も、今度は誰にも邪魔されずに車窓から眺めることができます。また、先ほどよりも少し天気が良くなってきたようで、太陽が段々と明るくなってくるとともに、先ほどは姿が見えていなかった知床連山の稜線がくっきりとしてきました。桂台のホームは・・・、足跡もあまりなく・・・。

 釧網本線の桂台〜網走間には、ごく僅か(600mちょっと)に高架線となっている区間があります。鉄道が高架ということは、後から鉄道を上にあげたのだろうと思いますが、そんなに列車本数が多いわけでもなさそうなのに、なぜ・・・。一応、この区間では、もし地上線のままだったなら、4か所の踏切が存在していたというようには見えましたが(衛星写真より)、まるで後発の高規格単線路線かのようです。

 列車は北見まで行きますが、私は網走で下車。まあ、北海道フリーパスを使用しているからには、”いかにして特急に多く乗ってやるか”という嫌な意識が湧いてこざるを得ませんからね。この後は特急大雪号に乗車しますが、別にそれを女満別からにしたり、美幌からにしたり、北見からにしたりする理由はないですから(長く乗るほどお得、というわけです)。

 釧網本線と石北本線の2路線を跨る列車は、1日に1.5往復設定されています(2023年9月現在)。




         







 網走駅で特急大雪2号に乗り換えます。いまJR北海道には、「北海道の恵み」と称した、4両のラッピングを施したキハ40形が在籍していますが、そのうちの2両がここ網走駅にいたようです。一応、彼らの名誉のために言っておくと、外装だけでなく内装も改められていますが(綺麗になっているらしい)、改造費用は、1両あたりたったの850万円とのことで・・・。

 特急大雪2号は網走を8:06に発車します。2023年2月時点での大雪号・オホーツク号は、4両編成を基本とし、そこに1両の全室グリーン車を連結していましたが、編成案内の3号車と2号車がどうもシールか何かになっているように見えるのは、北斗号からハイデッカーグリーン車が転じてきたときに、この編成案内を”お手軽に直した”という証左でしょうか。




                                         





















 下りの特急列車が来るには早すぎる(まだ7時台ですよ)ので、入線してくるキハ183系は、車庫から出てきたものであるはずですが、方向幕の表示は、なぜか「特急オホーツク 網走」でした。北海道の自動改札機未導入駅では、列車別改札を行うのが基本であるため、せっかく注目のキハ183系がやってきても、しばらくは改札口の前で待たされます。

 それでも発車の20分前くらいには改札を始めてくれたので(普通はもう少し遅いのではないかという気がします)、余裕をもってキハ183系の撮影に興じることができました。かつては特急北斗号で使用されていたハイデッカーグリーン車が、オホーツク号と大雪号に転用され、それと入れ替わりでキロハ182が退きましたが、実はキロハ182は、キハ183系最後の”初期型車両”の生き残りでもありました。

 キハ183系という車両が消えるに際して、それをどのように記録するか。もちろん”外面”も大切ですが、鉄道車両とは所詮は乗り物、外を眺めているよりも、中に乗っている時間の方が長いのが当たり前です。ということは、車内の写真を撮影しておくことも、思い出作りとしては重要です。ハイデッカーグリーン車特有のスロープ、旧世代の車両という要素を色濃く主張する手動式の蛇口。全てに価値があります。

 ハイデッカーグリーン車・キロ182には、面白い特徴が複数あります。ひとつは、開放式B寝台車を思わせる、デッキ部の片寄せ通路の構造。もうひとつは、カーテンで閉ざされた向こうに広がる、車販準備室の空間。車販”準備室”という割にはやけに広いですが、キハ183系では、キハ80系にあった食堂車が製作されなかったため、かつてはここに実際に調理器具も置かれ、軽食や弁当の販売を行って、食堂車の代替としていたとか。

 そして「開放式B寝台車を思わせる・・・」といえば、このキロ182、なんと開放式B寝台車に備えられていたものと同一の引き出し椅子があります。片側に寄せられた通路の壁から出てくるこの椅子に座り、窓越しの景色を眺めれば・・・、本当にあの開放式B寝台車の旅を追憶できそうです。2016年3月の急行はまなす号の廃止により、開放式B寝台車という存在が消滅しましたが、ある意味での最後の生き残りがここにありました。


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