約1年前に、東北応援パスを使用して青森を訪れる旅をしましたが、強風による列車の遅延や運休を被ったために、
当初予定していた移動ができなくなり、例えばリゾートあすなろ下北号に乗って大湊線を全線乗車することなど、するはずが結局できず仕舞いだった
ことがありました。それは心残りにして悔しいことだったんです。

それから約1年。どうにも、そのときのことが気になっていました。不完全燃焼のままで時を流して良いのか?
幸いにして、首都圏を発って北東北を巡るのにはとても便利なトクトクきっぷ、「ふるさと行きの乗車券(秋田・青森エリア)」がありました。
これを使ってリゾートあすなろ下北号のリベンジでもしてこようか、と。

前回、東北応援パスを使用して旅をしたときは、あくまでも「冬の雪国を巡る」ことが目的だったので、信越地方も目的地の対象でした。
しかし、今回は目的地を「(北)東北」に限定して、そのエリアの未乗路線を徹底的に乗り潰してくることにしました。
そのために、通常は泊りがけでも2泊3日がせいぜいなところを、1泊追加して3泊4日(ホテル2泊+車中1泊)として万全な体勢も整えました。

リゾートあすなろ下北号のリベンジ構想に端を発した、2013年版・冬の東北紀行。さあ、旅の始まりです。



●1月1日●

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※各画像はクリックすると拡大します。













 常磐線で上野駅へやってきましたが・・・、が、時は20:40。今回の旅は、夜から始まります。過去に、夜のうちに現地へ入り、そしてホテルに宿泊し、翌日から行動を開始したという例はありません。今回は、上野から寝台特急あけぼの号に乗車します。

 札幌行きの北斗星号とともに、上野を発着する、僅かに2本しかない定期寝台列車のうちの1つであるあけぼの号。「普通 前橋」「普通 籠原」「快速 高崎」「普通 高崎」と、近郊輸送を担う列車ばかりが発車標に表示されるという中、燦然輝く赤字の「寝台特急」の文字を携えて、遠い北のみちのくの「青森」を行き先として表示されるあけぼの号[①]。旅情を掻き立てます。

 上野駅13番線は、行き止まり式になっています。日本各地から伸びてくる線路はここで終わりというわけですが、逆に考えてみましょう。ここが日本各地へと伸びる線路の始まりでもあるのです。ここから延々と伸びゆく線路が、街を越え、川を越え、山を越えて、環境も天気も変化させて、青森へと導いてくれるのです[③]

 下りのあけぼの号は、上野の入線時刻は20:50。その時刻が近づいてくると、13番線には、にわかにカメラを携えた人が増えてきます[④]。このうち、実際に乗る人がどれくらいいるものかは分かりませんが、撮れるときに、早めに記録しておくことは良いことですね。

 今更説明することでもないかもしれませんが、上野駅を発車する寝台列車(と言っても、北斗星・カシオペア・あけぼのの3つしかないけど)は、尾久車両センターから、機関車を最後尾とし、客車を先頭する、推進回送で入線してきます[⑤]。上野駅でしか見ることのできない、一種の上野の名物とでも言えましょう。

 実際の運転では先頭となるEF64形の撮影は、この旅のときとは別のときに、既に十分にやっていたので、今回は最後尾の24系を重点的に撮影しました[⑥]。角度のついていない、完全な切妻型の金帯の車両が、今日は最後尾を務めます。(※以前に撮影したEF64形の写真はこちら

 方向幕に現れる「青森」の2文字[⑦]。夜行列車に乗って青森へ行き、そこから青函連絡船へと乗り継いで北海道へと渡った時代はとうに昔。その後は青函トンネルの開通によって、列車で直通できるようになり、またいずれは新幹線で直通できるようになります。時代とともに、青森という地の役割と存在感も変わってきました。
 あけぼの号もまた、時代と共に車両を変え、運転時刻を変え、経由路線を変え、本数を変えてきましたが、今も昔も、上野〜青森間での運転であることに変わりはありません。「変わってゆく」青森と、北の玄関口としての役割を終えた「変わった」上野の間を、今日も走ります。

 ブルートレイン(14系や24系)が似合う駅は、場所はと聞かれれば、私は「上野駅の13番線」としか答えようがありません。上野の13番線は、真上に高架ホームがあるために薄暗く、また行き止まり式で、それに次々と発着する、味気のない通勤列車(主に山手線など)が見えません。これらの要素が重なり合うと、ブルートレインが13番線に据え付けられているとき、何とも言えない旅情を感じるのです[⑧]

 さて、そろそろ乗り込もうかと思いますが、今回はA寝台個室シングルデラックスを選択しました[⑨]。正月だからちょっと贅沢にやろうか、と。万一、この乗車を最後にあけぼの号が廃止されてしまっても、後悔のないようにという意味合いも込めてあります(となると、今後廃止されるまでにあけぼの号に乗るときは、毎回シングルデラックスになってしまいますが・・・笑)。

 各個室の前の廊下はカーペット敷きで、電球色の照明が暖かく灯り、壁には模様があって、個室の扉は濃い木目調の風合いで仕上げられた、A寝台車にふさわしい高級感のある空間です[⑩]。2013年の今でも、古臭さは感じませんね。


















 今宵は、シングルデラックスの車両である7号車の7番室が私の部屋です[①]。決して広いとは言えない空間ですが、ソロのように1階・2階という区分がなければ、開放B寝台車のように上段・下段という区分があるわけでもないので、天井の高さは、即ち客車の床面から天井までの距離全てです。ですから、この上方向への開放感、余裕というのは、なかなかのものがあります。

 以前は、ビデオ放送視聴用のモニタがありましたが、残念ながら撤去されました。しかし、シングルデラックス利用者へのサービスとしての、歯ブラシや石鹸などが入ったポーチのプレゼントは、現在でも行われています[②]。もちろん、タダなので、ありがたく持ち帰ることにしました。ちなみに、あけぼの号のシングルデラックスは2008年8月にも乗車したことがあるので、このポーチも2つ目です(これで片方を保存用、もう片方を実用にできる!)。

 あけぼの号のシングルデラックスのベッドは、簡単な操作で、ソファーに転換することができます[③]。下りは朝起床してからが長く(青森到着は9:55)、上りは就寝するまでが長い(青森発は18:25)ので、この転換機能の価値は大きいです。一般論で言えば、下りは就寝するまでの時間がそんなにあるわけではない(上野発21:15ですからね)ので、今ここでソファーに転換することはないのでしょうが、ま、例によって夜更かしするので・・・。

 個室内には洗面台があります[④]。歯を磨いたりする際に、部屋から出ないで済むので、ありがたい存在ですね。一応温度調節もできるようですが、私はずっと冷水が出るようにして使いました(お湯で口をゆすいだり、顔を洗ったりするのが嫌いなので)。

 窓下には、各種照明のオン・オフや、冷暖房の調節をするための操作盤があります[⑤]。時計・目覚まし(の設定)や、BGM用のスピーカーなどもここにあります。各ボタンは、ベッドに寝ながらでも手の届く位置にあります。

 部屋の出入り口の扉の真上に、ぽっかりと空間がありますが、ここは荷物入れとして使用します[⑥]。あけぼの号のシングルデラックスには補助ベッドがあり、2人で利用することも可能ですが、2人目用の浴衣や枕はここに置かれています。

 ・・・と、あれこれしているうちに列車は21:15の定刻に上野を発ちました。もう何度か別のDISCOVER どこかでも書いたような覚えがありますが、車内放送の停車駅の案内で、「・・・羽後本荘、秋田、・・・弘前、青森」といった遠地の駅名を聞くと、これから遠いところへ行くんだと思えて、妙にわくわくしてきて、そして何とも言えぬ旅情を感じます。

 23分で、21:38の定刻に大宮に到着します[⑦]。この旅を決行する前、天気予報では「年末年始の北日本は荒れる」としきりに言っていたので、そもそもあけぼの号は運休にならずちゃんと走るんだろうかと思っていましたが、幸いにして運休とはなりませんでした。が、定刻での運転を終点の青森まで継続できるかはかなり不透明です。大宮に定刻で着いたと言っても、この先の保証までには・・・。

 大宮から高崎線に入ります。本流のあけぼの号というのは、東北本線経由で福島へ行き、そこから奥羽本線に入って北上するという走り方をするものなのですが、現在のあけぼの号は、現行の走り方をしていた寝台特急「鳥海」を「あけぼの」に改称したもので、本流ではないというのが実情です。

 途中駅で普通列車を追い抜きます[⑧]。元日ということもあってか、向こうの普通列車の乗客は少なめでした。写真の、湘南色の帯を巻いたE233系のような、よく見慣れている車両が見られるうちは、まだ旅の気分もそれほどは高ぶりませんが、やがて普段は見ることのない車両が見られる地域へ入ると、いよいよ旅の気分が高ぶってきます。

 北日本は荒れているということらしいですが、一方こちら関東は月がくっきりと見えるほどの晴れです[⑨]。こんな見事な晴れ模様だというのに、あっちは天気が悪いというのは、言われてもおよそピンとこないものですが、走ることで天気が変わるということは、それだけ長い距離を走ってきたということにもなります。月明かりにも見守られながら、列車は北上を続けます。

 高崎には22:46に到着します[⑩]。例えば、上野〜秋田ということで考えると、こまち号も選択肢としてありますが、高崎〜秋田となるとどうでしょう。こまち号を使おうと思っても、いったん大宮まで出なければなりません。一方、あけぼの号なら高崎から乗り換えなしで秋田へ直通。高崎を22:46という遅い時間に出て、秋田には6:38という早い時間に着きます。実に便利な列車と言えましょう。

 高崎からは、上越線へと入ります。上越線といえば、水上、越後湯沢、小出などを擁する、日本でも有数の豪雪路線。これから窓の外に繰り広げられるであろう雪景色は、北東北を巡る旅のオープニングとも言えるかもしれません。


















 言い忘れていましたが、天井灯と壁灯(電球切れでしたが)はオン・オフの2段階だけではなく、つまみを回して、無段階に明るさを調節することができます。違いが分かりにくいかもしれませんが、参考までに、天井灯の明るさ最大のものとちょっと落としたものの2つの写真を掲載します[①] [②]

 夜行列車とは、眠っている間に移動をするために使うものですが、私は「夜の景色を眺める」と称して、気が済むまで起き続けて、夜行列車の中ではろくに眠りません。起きている間、いつ小腹が減るか分からないので、上野駅であらかじめ、夜食用に万世のカツサンドを購入しておきました[③]。旅行の相棒・缶コーヒーも忘れずにね。時刻は23:00ごろ。ちょっと小腹が減ってきたので、ここいらでカツサンドを・・・。

 23:40過ぎ、列車は水上駅に運転停車をします[④]。ここで機関士の交代を行います。あけぼの号は上野〜青森の間で、水上、新津、秋田の3駅で機関士の交代を行い、計4人の機関士(高崎・長岡・酒田・秋田の各運輸区所属)によって青森へと導かれます。客車列車の運転というのは、電車などよりも、運転士の技量で乗り心地に差が出やすく、青森まで乗れば、4種類の「乗り心地」を味わうことになります。

 水上を出ると、一気に雪深くなります[⑤]。まるで白い絨毯がレールの下に敷かれたかのようです。雪が線路の下にはっきりと積もるくらいになると、これまでの雪のないところよりも、走行音が軽くなって、小さくなります。

 全長13q以上にも及ぶ、長い長い新清水トンネルを抜けると、同じたくさん雪が積もっている景色でも、なんだかより「雪国」へ来たんだな、という感じがします。湯沢町には、リゾートホテル・マンションが結構あるようで、建物の灯りが増えます。そして越後湯沢駅を通過[⑥]

 「新清水トンネルを抜けたら大雪になっていたりしないだろうか」と思っていましたが、実際にはトンネルに入る前と変わらず、見事な星空でした。しかし、六日町を通過すると、辺りが一気に濃霧に包まれました[⑦]。写真ではちょっと分かりにくいですが、実際には「よく運転見合わせにならないな」と思うような、僅か2、30m先さえも見えないような、極めて濃い霧でした。

 そうは言いつつも、運転には影響のない程度だったのか、徐行や停止もなく、あけぼの号は上越線を快調に走行。上越線の終点・宮内駅を通過し、新幹線の高架橋が見えるようになると、列車は長岡に到着します。

 列車は1:06に長岡に到着[⑨]。機関車交換のための運転停車です。以前は、全区間EF81形が通していましたが、2009年3月のダイヤ改正からは、上野〜長岡間はEF64形の牽引に変更。よって、ここ長岡で機関車交換が行われることになりました。部屋からは、長岡から先を、終点青森まで客車を牽引する、EF81形の136号機の姿も見えました。

 機関車交換のための運転停車なのですが、1:06到着で発車は1:44、停車時間は38分と、かなり長いです。機関車を交換するのにそんなに時間が必要なのかとも思いますが、何かしらの理由はあるのでしょう。車窓を眺めることが好きな私としては、38分も窓越しに見える景色が変わらないというのは、結構苦痛です。いや、本当に。退屈で仕方がないし。

 動かぬ車窓を見ていても何にもならないので、そろそろ「夜行列車に乗っている人らしいことをしよう(要は眠ると)」と思い、ここでソファーをベッドへと転換しました[⑩]。シーツは上野の乗車の時点でマジックテープで表面に貼り付けられていて、これはソファーの状態でも保持されるので、シーツを敷く必要はありません。どかしておいた掛け布団と枕を置き、窓のカーテンを閉めれば作業は終了。

 では、とりあえずここいらで就寝することとしましょう。



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