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「・・・・・・?」
はて、ここはいったいどこなのでしょうか?
気がついたら、まるで瞬間移動でもしたかのように、先ほどまで見ていた光景とは全く繋がりもしない、違う光景が窓の向こうに広がっているのですが・・・。
携帯電話の画面を開いて時刻を見てみると、時刻は16時5分になっていました。
そう、どうやら諫早駅を発車した後、同駅到着と同時に私に襲いかかってきた睡魔が見事に勝利を収めてしまい、40分以上も寝てしまっていたのでした。
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頭が目覚め切らず、まだ寝ぼけている状態のまま、列車は16時7分、駅に到着しました。
意識がぼんやりとしたままで、次はどこどこという車内放送も耳に入らなかったので、ここが何という駅なのかが分かりません。
いったい、何という駅なのでしょうか。ここは。
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駅名標を探して窓越しに辺りを見まわしてみると、「うらかみ」と書かれた駅名標を発見しました。浦上駅といえば、終点の長崎駅の一つ手前の駅です。
さて、浦上駅と言えば、長崎駅の一つ手前の駅であると同時に、長崎本線の旧線の終端駅でもあります。
ということは、つまり、目覚めたあとに着いた駅が浦上駅ということは、既に旧線は走り終えていたことになります。
241Dに乗車した目的には、大村線の全線乗車以外にも、長崎本線の旧線(喜々津〜長与〜浦上)に乗車するということがあったのですが、肝心の旧線部分は寝ていたがために微塵たりとも記憶がないという結果になってしまいました。
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浦上駅を発車すると、3分で終点の長崎駅に到着します。
進行方向左手の車窓に、地上から山の中腹にかけてできている住宅地が見えてくると、もう終点の長崎駅はすぐそこです。
早岐駅から2時間3分での到着ですが、途中40分ほど寝ていたので、身体としては1時間20分程度しか乗っていないように感じられます。
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分岐器をガタガタと渡ってゆっくりとホームに入り、16時10分、長崎駅2番線に時刻どおりに到着しました。
旅の始まりであった岡山駅から、ここ長崎駅まではずっと西へ西へと進んできましたが、次からはもう自宅の最寄り駅へと向けて東へと戻ってゆきます。
「この旅もついに戻る段階まで進んだか」と順調に旅程通りに進んでいるのを実感するのと同時に、この旅が終わりへと近づいていることも実感してしまいます。
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長崎駅の駅名標。長崎本線の終端駅で、他に接続路線もない(路面電車はあります)長崎駅の駅名標に書かれる隣の駅は「うらかみ」だけ。
つまり、このことが示すのは・・・。
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路線的にいえば鳥栖駅からの、線路で見れば東京や青森などから続いてきた線路の終わりでもあるということです。
「線路は続くよどこまでも」というのはウソであるということは分かりきったことですが、それでも、ここで切れる線路が、最も遠地で言えば稚内から続いてきていることを思うと、ある意味、線路がどこまでも続くというのも間違いではないのかも。
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早岐駅では駅の屋根を支える柱によって、満足にキハ66・67形の顔を撮影できていなかったので、長崎駅で改めて撮影。
顔はキハ58系やキハ65形、キハ40系列とあまり変わらないので、顔自体に何か新鮮味は感じませんが、顔を含む乗降扉以外が全て青色ということには新鮮味と驚きを感じます。
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さて改札を出るか、と思いながら何気なく辺りを見回してみると、留置線に415系1500番代が停車していました。
415系には昨晩小倉駅で会い、今日の昼に肥前山口で会い、そしてここ長崎駅で会いと計3回。その度に地元茨城を思い出してしまい、はるばる九州に来たような気にならないので、今はあまり見たくないかも・・・?
もっとも、今では、415系も最寄り駅では見られない存在なので、どこか、何となく、少し懐かしいような気も・・・。
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改札口を出てまず驚いたのが、改札口前の様子。
長崎駅がいったいどういった駅なのか、ということについては、旅に出る前に事前には全く調べていませんでした。
いざ長崎駅で降りて改札口を抜けてみると、このような開放感があり、大型モニターが壁に取り付けられている空間にいきなり出てしまったので、本当に驚いてしまいました。
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先程の画像の視点で、くるりと向きを180度変えると、駅前へと行くことができます。
高々とした天井、というよりも屋根が駅前ぎりぎりまで覆いかぶさっているので、これなら雨の日や日差しが強い日でも大丈夫かも。
ところで、今更ながらに思ったのですが、ひょっとしたら、長崎駅に駅舎といえるものはないのではないでしょうか?
この屋根があるところを駅舎といえるのかどうかは何とも言えませんが、それ以外に駅舎と言えそうなものはありませんし・・・。
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トイレやおみやげ、飲み物の購入などをしているうちに、1時間15分ある待ち時間はどんどん消費されてゆき、早いことにもう長崎から旅立つ列車に乗車する時間が近づいてきました。
次の列車は17時25分発、博多行きの特急白いかもめ38号・・・、もとい、かもめ38号。
かもめ号は定期列車では783系と885系の2形式を使用しており、その区別のために、発車標には「白い」と表示されているようです。「白い」のは885系の方のかもめ号。
ちなみに、783系で運転されるかもめ号は「特急ハイパーかもめ○○号」と表示されます。
今では、その「ハイパー」は783系を意味することだけに使われていますが、1990年〜1994年は、783系によるかもめ号は列車名が本当に「ハイパーかもめ」でした。
「ハイパーかもめ」などと見たら、懐かしさを感じる方も多いのではないでしょうか?
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長崎本線・鹿児島本線2038M かもめ38号(885系)

長崎〜博多
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改札口を抜けると、既に列車は2番線ホームに入線していました。こちらが、次に乗車する特急かもめ38号に充当される885系。
始発駅だからなのか、はたまた885系が人気の車両であるからなのかは分かりませんが、今まで他の列車では全く見られなかった記念撮影が先頭車両付近で行われていました。
ただ単に特急列車だから記念撮影をしているのかもしれませんが、これほど秀逸なデザインの車両がそこにあるともなれば、ついつい記念撮影をしたくなってしまいますね。
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長崎駅2番線ホームに停車する885系の側面を撮影。
「白いかもめ」と言われるのに相違なく、側面は本当にほぼ白一色で仕上げられています。
側面がここまで綺麗に白で整っていると、青い窓帯を引けば東海道・山陽新幹線の車両になってしまいそうです(笑)
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いざ乗車して車内に足を踏み入れると、指定券で指定された3号車は大混雑!
指定された座席は窓際で、通路側には既に人が座っていたので、まだ座席に座れない乗客でひしめく通路から、自分が座る窓際席に辿り着くのは大変。
おまけに荷物棚が小さいうえにカバー付き(ハットラック式)だったために、持っているバッグが荷物棚に収まらないという始末。
ようやく座席に座り、荷物を足下に置くと、それとほぼ同時に列車は時刻どおりに長崎駅を発車しました。ああ、名残惜しい・・・。
長崎駅発車後の車内放送では、「この列車の指定席は満席です。」と流れました。なるほどそうか、と指定席なのに車内が異様に混雑していたのも納得。 |